■司会の丸山純さんが、竜一くんの向かって左に並んで座る。二人で進行する感じ。丸山さんの「じゃあいくか」という声で、448回目の報告会が始まる。宮川竜一くんは、2008年12月、20歳のときに報告会(356回)をしている。第18回(1981年3月)の平田オリザさんに次ぐ、年若い報告者だった。まず前回の報告会レポートを書かれた、藤木安子さんの紹介があった。ほんとうにすばらしいレポートだと思った。藤木さんの文章を再読して、ぼくも鮮明に当時の体感を思い出した。
◆今回は、2年1ヵ月におよぶアマゾン川筏旅。猿「ペッペ」、犬「ドミンゴ」、「キジ」という名前のオウムと一緒に。旅は2014年に開始し、3ヵ月前に帰ってきた。前回の報告会では、アマゾン川にいる竜一くんと日本在住の親とが常時ケータイで繋がってることに、地平線の一同はとてもショックを受けた。同時に、家族との繋がりに、感じるものがあった。
◆丸山さんからの宮川竜一説明。旅が目的ではなくて「手段」である。小学校の3〜6年生にかけて、父親の仕事の関係でアメリカ在住、日本人学校に通う。3年生のときに映画オーディションに応募、そして主演。神田沙也加との共演だった。そのアメリカ短編映画「おはぎ(Bean Cake)」が中学1年生(13歳)のときにカンヌ映画祭で「パルムドール賞」を受賞する。この映画が「宮川竜一の原点である」。「まず、とにかく全編を観てほしい」。「今の宮川くんと表情がまったく同じ」と丸山さん。
◆「おはぎ」全編上映(12分間)……会場、しずまる。会場のみんな、真剣に映画に見入ってる。ところどころ、会場、笑う。上映後、会場、なお、しずまりかえる。まだ、つかみがない感じ。作品の物語では、田舎から都会の小学校へ転校して来た主人公は、お母さんがつくったおはぎが世界でいちばん大好きだ。しかし「いちばん好きなのは天皇陛下です」と学校の先生に言わされる。「素朴」のさまを演技する竜一くんが際立つ。
◆竜一くんが心境を語る。「この映画が自分の原点」。「ここにいつも戻る」。幸せになるということは「注目を浴びること」ということを、このとき覚えた。この受賞によって「自分には才能がある」と思い始める。そのことを、追いかけ始める。今現在も追いかけてる。丸山さん「有名になりたい!ということが竜一くんの原点にある」。「そういうことは、なかなか、言えないことだと思うが、その未来について、今日は、話をしようか」と竜一くんに言う。竜一くんは、しずかにうなずく。
●そして、ここ数日間の竜一くんについて、丸山さんから説明がある。丸山さんは「地平線報告会には魔物が棲む」と言う。だから、ふつうは報告会をやった後で落ち込む。しかし、竜一くんは、報告会が始まる前に落ち込んだんだ。2日前に、丸山さんへFacebookメッセージがあって、人生始まって以来の最悪の精神状況で「何も話せない」というひどい落ち込みよう。電話しても出ない。地平線報告会始まって以来のドタキャンか……。竜一くんは、ある人から「自己愛性パーソナリティ障害だ」と、報告会の2日前に指摘されていた。本人は、かたくなにそれを信じた。
◆ドタキャンはなんとか避けたい丸山さんは、前日に竜一くんと会った。「きみがそう思ってるだけじゃないのか。気にするな」と丸山さんが説得したが、まったく効き目がない。強く深く滅入っていて、「昨夜はゾンビの顔をしていた」。茫然自失の体調のままで会場に来た。だから今日、彼はまだ「患者」のままです。竜一くんは一歩も進めないままだ。
◆「自己愛性パーソナリティ障害」について、丸山さんから説明がある。☆自分を特別視し、周囲に尊大な態度をとる/
☆自身の成功や自分の魅力、理想的な愛への空想を巡らせる/☆過剰な称賛や特別扱いを求める/☆他者と協調することが困難/☆嫉妬深い/☆自身の目的達成のために他者を利用する。丸山さん自身は、これらの精神医療的診断に疑問をもっているが。「ということで今回の報告会は、人生最悪の状態の患者と、大勢の心理カウンセラーという構図で進めます」という進行提案が丸山さんからなされる。異例の設定の地平線報告会だ。
◆「宮川くんはパフォーマーであり、表現者ということは外せない」と丸山さん。丸山さんからの、インタビューという施術が開始される。宮川くんの人生を振り返る。前回の報告以降、今回のアマゾンに至るまでどんな人生だったのかということを、竜一くんが説明を始める。「ぼくは日大芸術学部で、演劇科の学生してました」と自身のことを語りながら、ときおり遠くを見つめるような、ぼんやりした眼差しの竜一くん。だいじょうぶか。
◆会場は、あいかわらず静かだ。そこで、竜一くん、自己愛性パーソナリティ障害とその自分史について語りはじめる。先の症例条件8つの全部にカッチリ当てはまる。自分はもう絶対に「これだ」。「障害だ」。「親の教育に、育て方に問題がある」。病んでる家庭に育ったんだ。それに気がつかなかった。「おやじに、いっぱい殴られていた」。「母親は、外に熱中することがあったし」。好きな人に愛を求めるが、ぼくは愛を与えられない。そして、ぼくは他者に嫉妬する。そのような「自分」に、とても落ち込んでる。「絶望ってこれだな」と気づいた。「悪魔ってこれだな」と。
◆「この悪魔的な脳から抜けられない」。「変えたい」。でも「(絶対に生涯)治らない」って書いてあって。絶対に幸せになれないことがすでに決定してるのに、「幸せを手に入れようとする」自分がつらい。「ぼくは、ネガティブ思考なので」と加える。「そういう人間が『こういう旅をしなければならなかった』という話を今日はします。この報告会で、ほんの砂粒一つでも、希望が見えたら、それでいいと思ってる」。
◆丸山さんは、みなさんにも幸せを見いだしてほしいというその「サービス精神」が、希望を持ち帰ってもらわなくてはダメだというその「義務感・使命感」がわからないと言う。それに対して竜一くんは、ウソをついてでも「人に喜んでもらわなくてはならない」という使命感がある、と応える。自分はエンターテイナーなので、演技します。自分は演技性パーソナリティ障害でもありますから。(あらゆる要素を「なりきる」力としながら)演技しまくる人生なんです。妬んでるのに、ハッピーだと演技する日々です。「実際は、他者を妬み恨んでる」と言う。
◆そして「ぼくは患者なので、今日はよろしく」と、竜一くんはお願いをする。ここで「宮川竜一報告会」の離陸準備はようやく整った感じ。いよいよ開演。
■「『ダンシング・アクロス・ザ・アマゾン』はピエロの格好をした自分が踊る旅で、2年間やってきましたが『ほんとうに自分がやりたかったことなのか??』と今は考えてしまう。なんとか自分は愛されてるなっていう実感が必要だから、自分は演技するんだけど……。丸山さんが、すかさずフォローする。「地平線会議に来てる人は、みんな病気」。「思いあたるでしょう?」と会場にうながす。「今の日本社会に適応できるヤツのほうが、病気」「迷惑かけてる人は、ふつうにいっぱいいる」。病名のない「メイワク」もたくさんたくさん。「某E本さんの疾患である地平線偏愛症候群。延々と続く地平線自慢は病気」以外のなにものでもない。
◆でも「宮川くんは、自分は世界一不幸だと思ってる」。「報告者がどん底の場合は、めずらしい」。今日は、いつもと逆に報告者が『下から目線で』報告しますと、丸山さんが一気に話す。丸山さんが会場を見渡しながら言う。「(聴衆が)おののいている」。「(今日の聴衆は)みんなうしろめたい」のだ。竜一くんが言う。みなさまのまえで『助けて』と、いま言っています。凹んだ竜一くんが一人でこの会場に行けないと言うので、今日は、丸山さんちに集合し、一緒に来た。
◆「まず大学をどうやって出たのか?」と丸山さん。大学時代は、あちこち旅をしていた。練馬の実家から仙台までの無銭歩き旅(これは、おがたがもっとも好きな彼の「作品」)。インド・ネパールも歩いた。2回目の夏休みに、親にカネを借りて、1ヵ月くらいアマゾンを下って来た。それが8年前の報告。そのあと、「人」のどん底をみたかったので、池袋のホームレス生活のルポルタージュをした。3.11災害があって、関東の自宅から東北までを自撮り語り、ネットにアップした。翌日にドイツ大手メディアの『シュピーゲル』からネットリンクを依頼され、以後継続する。半年後、シュピーゲルから「ドイツに遊びにおいで」と招待される。
◆丸山さんが、今回の旅は準備期間5年というけど、「なんで、アマゾンなの?」。竜一「いつも自己紹介のときに、夢を伝えてきた」。「やりたいことを、リベンジしたかったから」。「アマゾンへ行って映画をつくって、ドキュメンタリー映画で、みんなに希望を与えられるような人間になりたい」と、就職の面接で言い続けながら、ニートと鬱を繰り返した。
◆前回は撮影編集技術の不足でぽしゃったので、ドキュメンタリーを勉強した。ドイツの町でラジオ体操する竜一くんの映像が報告会場に流れる。「パフォーマンス人間」ということを会場が納得。ロンドンでは、路上音楽もやった。ロンドンから直接アマゾン旅へ行ってもよいと思ったが、ロンドンでは資金は貯まらなそうだったので、とりあえず日本に帰って稼いだほうがいいと思って帰国した。そして、クラウドファウンディングをした、3ヵ月で130万円集まった。いま、2000人のフェイスブックともだちが世界中にいる。
◆丸山さんが「なんで、こんなにメディアに出たがる」のかと問う。そして、なぜ「ダンシング・アクロス・ザ・アマゾン」なのか? 鬱になったり、躁になったり、激しい自分がある。とにかく表に「出たい」「注目を浴びたい」「世界中の人に自分を見てほしい」という病気なので、ユーチューブ再生100万回を目指す。「解り易さ」で、世界中に共感を呼ぶ、という計画。そのためには、世界中にフォーカスする。言葉よりも、ダンスという動的表現に有効性があると思った。そして、ピエロという「記号」的様相で、より共感を得られると思った。出発の半年前くらいから、プランがいっそう固まる。
■アマゾンの旅について、映像と説明開始。実際のダンスの映像。今回の旅は「勇気と闘う」がテーマ。そのためには「恥ずかしいことをやるんだ」と言う竜一くん。そこで、飛行機の中をピエロが走りまくるパフォーマンスをすることにした。こんな「恥ずかしい」ことをやってるのは「ぼく一人しかいない」。ここまでやらないと「達成感」を感じられない自分。
◆そして、旅が始まる。まず地図が映される。アマゾン川の源流からの説明。旅のコンセプト。「海から海へ人力で」が、旅の計画。太平洋に面したカマナ海岸から、標高5600mを越えてクスコを通って、山を徐々に下りて、ルートを検討しながら(筏下りの開始地点など)ジャングルを歩いた。ブライ区チルンピアリ村から川を下りはじめた。プカルパ(植村さん出発地点)を通過。イキトス通過。そして、コアリーで「命の危険」を体感して旅を終え、日本へ帰国した。大西洋までは、がんばればあと3ヵ月くらいだったが……。というのが今回の旅の概要。
◆旅の最初は、開放感でいっぱいだった。毎日ダンスと記録をしていた。歩きはじめの映像を上映。音楽軽快。なんだか広大な感じだ。大きなサボテンと一緒に記念撮影したり。悠々としていて嬉しそうな竜一くん。「ぼくは『自分が主役の映画を見続けたかった』んです。だれも創ってくれないから『自分で創る』んです。カメラマン、演出家、脚本、主演、全部やります」。それを、だれかに観て欲しい。「ぼくは旅が、好きで」アマゾンだとキャッチーで注目されるだろーし。希望を与えたいというふれこみの「自分を愛されたい」という気持ち。「自分を愛されたい」と「希望と勇気を与えたい」が、体内を混沌併走する。
◆リャマと旅をすることにした。リャマは6000円。名は「はなちゃん」。5キロの荷物を持ってくれる。動物が好きで、家にダチョウやキリンを飼いたかったという小学生からの夢をかなえたかった。「はなちゃん」は生後1年経ってない。自己主張が激しい。気に食わないと怒る。腹減ると、歩かない。旅を始めて半年目くらいに、ある犬と出会う。ビスケットで釣る。名は「コミーゴ」(ぼくと一緒にという意味)。高所で寒い。寝袋の中では犬と一緒に暖をとる写真。インカ系の人たちとダンスしてる写真。楽しげだ。田舎の犬なので、車を知らなかったコミーゴ。1ヵ月くらい共に旅して、クスコで交通事故で死ぬ。
◆コミーゴと似た犬「ドミンゴ(にちようび)」を買う。生後3ヵ月くらいだ。リャマ同行は制覇したので、クスコで友だちにプレゼント。「はなちゃん」との別れで、泣いた。想い出に「はなちゃんの毛」を持つのは、長旅の負担になるので、やめた。アマゾン源流の水はぺちゃんこのペットボトルに入れて持ち歩いたけど。竜一ザックは35キロ。
◆次の同行者を考えた。常に「自分が特別に目立たないとダメ」な病気。なので、まさか牛と一緒に旅は、なかなかだれもしないだろーって思った。牛を飼うことに決める。牛乳飲みながら旅すると、おもしろいだろーな。でっかい角あると、かっこいいな。牛への理想条件が、どんどん大きくなってくる。Facebookのともだちらの「期待に応えたい」んだ、で、会場は大きく笑う。やっと理想の牛を見つける。7歳以上の牛。牛参加で、会場が一気になごむ。ここで、ようやく竜一くんペースになってくる報告会。牛の名は「カミーナ」(歩きなさい)。旅は、ほとんど野宿。人の家にも泊めてもらうが、気をつかうこともあるので、野宿が多い。
■筏つくりの話。トッパという軽い木でつくった。自分で一から創りたいという強い想いがあった。自分で設計図を描いて、一ヵ月かけてつくった。牛は、筏旅の前に、売った。
◆ぼくがスタートした地点からアマゾン筏スタートした人はだれもいない。人力での横断がルールだから、もっと歩いてもよかったんだけど、1年間歩いたので、歩くのが、もういやだった。ところが、それはとても「怖い」筏旅となった。筏の動画……筏が岩にひっかかって、びくともしない。半日かけて、10メートルも進まないというときもあった。足も炎症で、痛くて、精神的に滅入ってくる。「毎日が、怖い」と言う。豹みたいな肉食動物がふつうに出てくるのだそうだ。竜一「こわすぎる」。夜、眠れることを、神に感謝するような気持ちになってくる。泣きたいけど、涙が出ない。泣き声の、夜間テント動画。
◆「人」も怖い。アシャニンカ族が怖い。アシャニンカ族と一緒に、つくり笑顔で踊るけど内心はボロボロに疲れてる。こんな大変な旅になるとは、思ってなかった。石油パイプラインを爆破するぞと、村人を脅すマフィアがいる。村ではコカインをつくることが、唯一の現金収入源。
◆今夜は久々に、焚火できるぞ。雨降ってないし。野営だ。すると、アシャニンカ族に取り囲まれた。弓矢集団に囲まれる。勝手に荷物をいじくられる。竜一くんは、すごく笑顔で、おだやかに、一個ずつ、荷物を開けて説明する。好意的ではない。彼らは狩猟者で、戦士たち。つねに闘いモード。警戒される。徐々にアシャニンカ語が、トラウマになってくる。村で一番外界に通じている人物である学校の先生に、「筏で日本から来たの?」と聞かれる。
◆竜一くんが荷物を片付けてると、夜中に文明側のボートが通る。アシャニンカ族はみんなしゃがんで、岩のフリをする。文明を恐れている。アシャニンカ族と一緒に踊らなくてはならないという使命感があるが、精神的に参ってる。笑顔をつくって無理矢理ダンスする。なぜなら、自分は映画の「主役」をしなくっちゃならないから。
◆夜中に、どこから来るかわからない酔っぱらいのアシャニンカ族が、鉈とかライフルを持ってる。怖い。アシャニンカ族のことがトラウマになってるから、治安のよい村アタラヤに着いたら、安堵感がハンパじゃない。もう、ホテルから出たくない。鬱。旅を続行することなんかできない、って気持ちになる。
◆ここで、報告会前半が終わり、休憩。竜一くんが来る。竜一くん話す。「人を励ますっていうことは、できませんよね」。「ウソついてだったらできる」。江本さん、来る。今夜の江本さんは、ボクシングのセコンドのよう。「おもしろいから、結論なんてなくていいから」。「映像が活きてる」。「これで病気は治るんじゃないの?」と竜一くんを励ます。報告会レポートは「アドバイスするし」と、江本さんが、おがたのことも励ましてくださる。日本に連れ帰った犬のドミンゴは報告会場に来るはずだった。んだけど、竜一くんの状態がイマイチで不参加。
■後半スタート。旅の経緯。地図を見ながら説明。アシャニンカ族はアタラヤの手前に、たくさんいた。イキトスからは、筏をつくる。24時間休みなく筏で下りたかったので。筏の構造と性能の改善改良の説明。筏が流木にひっかかった。水圧の威力。コントロール不能。「こりゃ、転覆するなー」。ひっかかった木を切ろう。じゃぁ「鉈だ!」。次の瞬間、真っ暗。こりゃ、脱出できん。筏ひっくり返ってる。自分は水の中にいて。空気吸おう。できん。水上へ。あがれん。水にもまれながら、人間の能力を考える。水中無呼吸での、意識の維持の限界を考える。次の瞬間、「茶色と白の」「何か」が脳意識に見えてくる。すごくボンヤリとした「何か」。おそらく、それは、うなだれてる自分の家族と、実家の家具の色。
◆そして、「知らなかった」って、気持ちになった。この物語の結末って、この人生の、この世界の結末って「あんがい早く訪れる」んだなって思った。ふつうに80歳まで生きれると思ってたのに、「あ、いま、終わるんだ」って思った。同時に、「あ、ここに、ロープがひっかかってる」と思った。これをなんとかすりゃ、出られると思った。白い世界に向かって入っていったら、それが水上だった。
◆ピピピという音。カメラの作動音。GoPro(小型防水動画カメラ)だった。水中で、溺れながら録画ボタンを押してた。撮影の執念が、浮上した瞬間の顔を、無意識に撮影していた。次の瞬間、「犬はどうしたんだ」って思った。溺れちゃうじゃんか。首、縄で筏と繋がれてるから。そしたら、ドミンゴは岸のほうへ向かって、自力でちゃかちゃか泳いでた。自分で縄をちぎって。
◆ぼくはボートが来てくれて、助けてもらって、筏を岸で直した。1キロ岸を走って追いかけてきたドミンゴと再会して、生きててよかったねと抱き合った。こりゃ、安全優先せねばと思って、安定するカヌーを買って旅を続けた。カヌーを使用することで、ちょっと気持に余裕できたので、鳥を飼った。オウムだ。
◆映像データは、大切なので防水して、常に体に巻き付けてた。映像……「これは唯一、気の楽になる作品なので」と、上映開始。音楽、のどか。竜一くんと、同行の動物たちの、「いかにも」仲良しっ「ぽい」動画。後半、音楽が、広がりながら深く重なってくる。撮影カットなかで手前にある、さまざまな被写体が説明される。「どんだけ、大変か」と竜一くん。同行の仲間は、役者として撮影のためのキャラクターとしているわけです。すべての役者の本能を知ったうえで、撮影プランを立てます。自分は、ゆっくりと動作するシーン。理想をイメージしながら、なんども撮り直す。映像に付随する音楽を脳裏に想いながら。視られながら視ている、一体の自己、仮想しながら想定する、止まることのない連続。ドミンゴは、向こうに待たせておいて、オウムは、あっちから、ここを通って、テントの高いところへ登るということを予測したうえで、撮影を開始する。
◆あーあーあー、おおお、と、本人、けっこう、感無量、はいっている。「ここまで、一人で、計画・撮影する人は、いないと思う」という竜一くん。まったくだ、スゴいと、思う。こういう、自慢はいいなって、思った。次は。ハッピーバースデー、の映像。だれも話す人がいないけど、動物たちが一緒。
◆猿を仲間にした。イキトスの市場で買った。Facebookで、みんなが「あとは猿しかないだろ」って盛り上がってたから、やっぱりその期待に「応えたい」。「桃太郎ってすごい、リーダーシップ」。「部下を戦いに出して、一人も負傷させずに、カネもって帰る。なんてえらいんだ!」。だから「ぼくは、桃太郎にトライ!」って、竜一くんはモチベーションを自己鼓舞して、旅を、演技をつづける。
◆ということで。さて、最後の映像です。豪雨の濁流の中、カヌー漕ぐ。ばしゃばしゃだ。ドカドカ岸が崩れてゆく。土砂がカヌーを直撃したら、ひとたまりもない。どうしようもない絶望的な状況をなおも行く、という映像。カヌーの中は風呂に入ってるみたいにばしゃばしゃだ。舟は水没してゆく。それでも「撮影できて、よかったな」という、気持ちを語る。「強くなるしかない」と言葉を吐く。アマゾンの臨場を会場へつなげることば。会場に映し流れる動画は、すごくすごく大変そうな状況。ここで「成立」について、言う竜一くん。「成立させたいんだ、作品として」。カヌー筏は、どんどん、工夫して改良する。壁をつくると風圧で舟が飛ぶので、次の筏では、壁はつくらなかった。
◆これから、ブラジル国境。波が高い。浸水だ。また、沈みそうだ。でもまた、舟が助けに来てくれた。荷物だけ維持して、退去する。筏を捨てた。アマゾンの風は強力。もう、ダメ、な、筏旅。だけど、翌日、次の筏をつくりはじめた。ドラム缶四つ、その上に板を敷く。これは軽い、座礁しないし、ひっくりかえりにくい。
■報告会もクライマックスに近づく。残り15分。「筏で、楽しい旅してるんだ」って言うと、向こうの人に「いいね、おもしろいね」って、言われると、思ってた。でも、違った。だれからも「やばいぞ」「やめたほうがいい」って、言われる。治安がよくないからだ。
◆コカインの生産は、ペルーでは、ごくふつうのこと。でも。コロンビアやブラジルに入ると、違う。一般人の、あまりカネのない人らが、コカインを流してる。リスクテーキング。そして、どんどん高価になってくる。高価になると、治安が悪くなる。殺人がざら、盗難がざらだという。
◆自分は、今までの道程で死ぬようなことは、なかったから信じなかった。5年準備したし、もう2年間旅をしてきたし、ぜったいに、ゴールしたい旅だから。あきらめるわけにはいかないんだ。でも。会う人には毎度毎度、「死ぬぞ」「死ぬぞ」と言われてしまう。精神状態がギリギリになってくる。もう、こんな旅は、金輪際、一生したくないって思うようになる。日常で死を意識せねばならない。「死ぬぞ、死ぬぞ」と繰り返し繰り返し言われる。
◆夜中。ボボボ……舟のエンジン音。起きると、威圧的叫び声とともに、発砲音。散弾銃だ。足に弾があたってるから、散弾を使っていることがわかった。その瞬間。考えない。その瞬間は考えないで、筏から逃げた。寝袋ごと、水中に飛び込む自分。泳いで逃げようとしても、体が浮くのでよけいやばい。ライフルで、狙い撃ちにされて、終わる。だから、筏の下に隠れた。ライトに照らされないようにしながら。
◆そしたら、やつらが、筏に乗りこんで来る。警察とか軍ならいいと、最初は思ったんだけど。雰囲気が緊張してる。これは物盗りだ。殺される。ドミンゴは果敢に吠えてる。筏の下に隠れながら、板のすきまから上の人たちが見える。そのときも「彼らが殺しにきた」と、小声の英語でGoProに撮影録音してる自分がいた……。ぼくの物語は「ここでは終わらないぞ」「撮影をとにかく残しておきたい」という、いろんな気持ち。
◆荷物を全部持って、やつらが去っていったあと。命だけは助かった、と筏に座ってた。そしたら、また、やつらが戻ってきた。寒くて、眠くて、どーしようかなのとき。こんどこそ「殺しに来た」と感じた。また、水中に落ちて逃げたけど、すでに見られてるんだから、もうだめだ。水中で手をあげて。相手の「全面的味方」「なんでも協力します」「なにか必要なことあったら言ってくださいね」「あなたのこと大好きです」と命乞いをする。目だけ出して、ライフル構えてる。「おい、乗れ」。筏に這い上がって、正座して、覚悟する。「ドラッグはどこなんだ」。「出せ」。「このタンクの中だろう!」。
◆筏に、這い上がりながら。ついに、このときが来たと、ほんとうに覚悟を決める。しかし、「それでも」と思う自分。「それでも」まだ生きてる。俺は怖くないんだ。親は悲しむかもしれないけども、俺が死ぬ。「俺」が死ぬんだぞ。死ぬやつがいちばん辛いに決まってるだろ。だから、親にはガマンしてもらおう。親には覚悟してもらおう、って気持ちになった。そしたら、やつらはすごいいい人たちで。「日本から来た観光旅行者なんです」と説明したら、わかってくれた。「ドラッグないなら、いいよ」って。カメラとか、パソコンとか、全部返してくれた。そして「ここらへんは、すごく治安が悪いから」「気をつけろよ」と、すごくいいやつらに、励まされる。
◆報告会場は、なんだか共感の笑い。すげぇ、いい人たちだなーって、「ありがとーございまーす!」ってハグしようとしたんだけど。相手も緊張してるし、それはさせてくれなかった。お金とか、お礼を差し上げようかと思ったら、逃げちゃった。それが今年の3月22日のこと。
■そのあとは「どーしようか」って、考えてた。旅を続けるかどうかを。そしたら、別のボートが通過した。そのときに、初めて、いままで経験したことがないような、すごい恐怖がわき上がった。それが、人生で一番「怖い」体感。今までは、「死ぬ」かもしれん、という修羅場をどう乗り切るかなので、「怖い」とか、考える余裕がなかった。考える余裕があると、すごく「怖い」。ライフジャケットのことすらも。ちょっとは防弾チョッキ代わりになるんじゃないかとか、思ってる自分が。もぉ「こりゃ、ダメだ」って、自覚。怖すぎて「生きてる心地しない」。
◆この怖さは、息を止める肺の苦しさとかではなくて、一瞬で「心臓が止まる」感じなんだ。こんな心理状態じゃ「話にならない」って、旅をやめた。こんなの、旅でも冒険でもない、って。生きてる心地がしない。「余裕」がない、これは自分が大好きな「イタズラ」なんかじゃない。
◆日本に帰ろうと決めてから、時間つぶしで教会へ行った。クリスチャンじゃないけど、お祈りした、みんなと。教会で「神様ありがとー」って声に出して言ったら。神様と対話したような気持ちになった。今、命があることが奇跡なんだ。存在が奇跡なんだ。神様と対話してる気持ち。その時間がとても気持ちよくて。すべての存在が、生き物が愛おしいと、思った。悪いやつ、醜いやつ、ムカつくやつとか、そんなこと関係ない。もう、存在してることが、かわいい。愛おしい。それが「愛」ということではないか、って、虫一匹も殺せない気持ちになった。それは、命を2回、脅かされることによって、初めて「愛」を知ったような。
◆自分の親には、頭ぶんなぐられるのが怖かった。怖すぎて、なんで、怒られてるのか、わからなくなる。誉められるときには、すごく誉められた。甘やかされて育ったことは、すばらしくて。ちゃんと、すなおに、愛を求められなかった。愛されなかった、親に。自分は、いままで自己愛を勉強できなかったという物語にしようかと思ってるんだけど、今回の報告会は。
◆筏の転覆のときに思ったことだけど。人生の経験値と時間軸ということには。幼少期があって、それからの人生の継続について考えていた。将来はアフリカに行って象に乗って旅をしようとか、旅の道中は考えていた。でも「死ぬんだ」って思ったら、線(人生の経緯)も全部消える。「点しか」残らない。「今」っていう、「現在」だけがある。死んだと、思ったら、生きてた自分。白い世界に、立ち現れた自分。「生きてた」って、思うと、線は関係ないな、って。線なんか幻想で、「今しかない」んだ。
■「最後に希望の話をします」。「自己愛性パーソナリティ障害に気がついたぼくは、生まれ変われる。ぼくは人のことを、愛せるかもしれない、って、今は思ってる」。「生きてるうちに、生まれ変わろう」。「そしたら『可能性は無限大に成るんじゃないの』って、ぼくは思う」。「これで、この報告会は、希望っぽくなったかも」と、ぼくこと、竜一くん。
◆丸山さん。「人が生まれ変わる瞬間を、垣間見たような報告会でした」。「今日の最初は、病人のようで未来がないという状態で始まりましたが」。「パーソナリティ障害患者として語り始め、最後には、一粒の光を持ち帰ってほしいって言ってましたが、どうでしょうか、みなさん」。丸山さん、会場を、見渡す。今日は「とても大きなものを、受け取ったような気がします」と、丸山さんが締める。
◆質問代表は、ゆずきさん。「世界中の人に旅の動画を観てもらったから、パフォーマンス人間としては満足ですか?」という深い質問である。答える竜一くんは、「世界中の人に観てもらう予定で、これから映像作品をつくって、みなさんに、観てほしいと思っていますが」。
◆「ピエロ自身は、本望でした。でも、ピエロを演じてる本人は、心の中で泣いてるかもしれない」と答えながら、さらにことばをつづける。「ぼくは、パフォーマンス人間ですから、パフォーマンス人間としては、大満足です」。今回の旅の最後の映像撮影で、カメラに向かって。「みなさん、観てくれてありがとー、ぼくのShowを!と言ってるんだから」。(緒方敏明 彫刻家)
■報告会を終え、二週間が経ちました。自分が「自己愛性人格障害」であることを認め、一生治らない病なのだと思い込んだときから、経験したことのない絶望の世界が始まりました。誰かを愛そうとすれば、その人に対する嫉妬や裏切りを繰り返してしまい、僕に愛された人は精神的に病んでいくのだということを知ったのがきっかけでした。これが報告会の数日前の出来事だったので、時期が重なってしまい、司会の丸山さんはじめ、皆さんにご心配とご迷惑をおかけしたことと思います。申し訳ございませんでした。
◆先に書いておくのですが、僕は報告会の数日後に、「自己愛性人格障害」を止めることができました。絶望の世界は、自分で作り上げているにすぎないのだと、気付くことができたのです。人格障害になるのは育った家庭環境に原因があり、僕の場合両親が自分のことを愛せなかったことに、そもそもの原因があったのでした。
◆そしてその先にあった気付きとは、僕が冒険旅行を好み、旅行をしながら自分のことを痛めつけるようなことをしてきたのもまた、親からの愛に飢えていたことによる、自傷行為であったのだということでした。これまで、自分が旅を好きな本当の理由を知らないまま10年近く、旅を好んで来たのです。
◆報告会の一週間後、僕は実家を出ました。そして気が付いたのは、これまでの僕の旅とは、帰る場所の保証された、旅のマネゴトに過ぎなかったのだということです。愛は親が教えるものだとばかり、思っていました。しかし僕の親にとって、愛とは経済的な豊かさと暴力と諦めと依存でした。僕が誰かを愛そうとしたとき、僕は人に金銭を与え、暴力を振るい、自分の幸福を諦めて相手に依存していることに気が付いたのです。
◆愛とは、自分で探し、自分で掴み取るものであり、親から教わった愛とは、その手がかりになるに過ぎないのでした。親が子のために生き、子は親のために生きる構図の中では、永遠に、本当の愛を確かめ、見つけることはできないのだと思います。僕は今回はじめて本当の家出をした訳ですが、家出とは、自分の中の悪の根源を育てている親という存在を否定し、自分の中の善を探しに行く作業なのだと思います。
◆思えば、幼少期、父親の暴力が怖くて仕方が無かったのです。母親もまた、それを見て見ぬ振りをし続けることで、僕に、諦めという形の愛を教えていたのです。殴り返すことを諦めた僕は、代わりに旅に出る方法を覚えました。旅で自分を苛め抜いた先に、空腹と寒さの厳しさの中に、一番大きな感動があったのです。
◆それは親が一切教えてくれなかったことでした。精神的な辛さを、親は僕に許してくれなかったのです。僕の親は僕を愛することしかできず、自分の子供を許すことが苦手だったのです。お金を与えられ、手をかけられて育った僕は、許してもらえない寂しさを抱えたまま、オトナになりました。人と遊ぶのも、付き合うのも、苦手でした。代わりに中高では同級生をいじめ、万引きをして罪悪感に苛まれることで、生きている実感を得ていたこともありました。
◆だから、アマゾンに行って自然の厳しさに直面し、苦しむことで、本当の愛を見つけたかったのでしょう。そして実際、アマゾンでの二度の死にかける経験が教えてくれた感情とは、すべてのものがいとおしく感じられる、本当の愛だったのです。
◆いま僕が一番やりたいことは、冒険旅行ではなく、生活することです。現実逃避のための旅をして、刺激を求めて生きるを感じ、人に認められた気分になって、空虚な愛を求めるよりも、実生活の中で、働くことや食べること、住むこと、愛することを通して、生きるをやっていきたいと思っています。(宮川竜一)
■地平線通信7月号を見て次回の報告者が宮川さんと知り、とにかく何はなくても話を聞きに行かねば!との思いで、久しぶりに地平線報告会に参加しました。なぜ、「行かねば!」と思ったのかは、8年前(2008年12月23日)に宮川さんが初めて地平線会議で報告者となった際、私がその時のレポートを担当していて縁を感じたからです。
◆その経緯は恐らく宮川さんご自身もあまりご存知ないかもしれませんが、地平線通信に宮川さん(記事ではM君)のことを書いた坪井さんの記事を読んだことがきっかけでした。どんな青年なんだろう、と気になっていたところ、その後、そのM君がアマゾンから帰国し旅の記事が「宮川竜一」として掲載されていたため、「あっ!きっとあのM君だ。」と思い、私が江本さんに「この子、面白いですね〜」と記事の感想を伝えたことがきっかけだったと思います。それから、しばらくたち宮川さんが報告者になったときに、江本さんから「藤木さんが面白いといっていた子だよ」と半ば強制的に(!?)レポートの担当に任命されたことを記憶しています。
◆その時のレポートは、地平線会議のWEBに掲載されており、今回は、続編ともなるので、ぜひ、そちらもお読みいただければと思います(報告会レポートの「NO.356」です)。そんな縁を感じ、また、今回もユニークな旅や経験をしてきた、そして、大人になった宮川さんに会いに行こうと思った次第です。
◆報告は、冒頭から「あれ?旅の話じゃないの?」と思いましたが、それはそれとして、最終的には、そのこと含めてやはり期待を裏切らずユニークかついろいろな経験をしてきたことや特に報告会当日、本人はつらい情況だったかもしれませんが、聞く側としてはどれも興味深く楽しかったです。そして、再会できたこと、嬉しく思いました。
◆私自身、昨年まで大阪に転勤していたこともあり(と、言い訳はさておき)5年ぶりという久々すぎるくらいの参加でしたが、以前から変わらない雰囲気で、また、二次会にも参加し、北京の餃子も変わらずに美味しく、どちらも変わらぬ安定感があり元気をもらえました。(藤木安子)
■「モモタロウ・アマゾンを行く」は、今まで聞いた報告会の中でいちばんおもしろかったです。いぬ、オウム、リャマ、ウシなど様々な動物を飼いながらパフォーマンスして、いかだも一から作る。なかなかここまでする人はいないと思います。ぼくはあらためて、自然の中で生活をしたいと思いました。(長岡祥太郎 小学5年)
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