2016年2月の地平線報告会レポート


●地平線通信443より
先月の報告会から

終わりの始まり

森田靖郎

2016年2月26日 新宿コズミックセンター

■「えっ」と驚くような内容でも、淡々と語る森田さん。この日も、長野画伯の紹介を受け、いつもの穏やかな口調でスタートした。「自分の仕事の中で、一つだけ決めていることがあります。それは、ひとところに視点を決めてものの流れや時代の流れを見る、定点観測です。あちこちの現場に行くので『現場観察』のつもりですが……」。

◆その現場で、この数年、「何か大きなモノが世の中を支配している」と感じていたものの正体を、3.11後に、「それは『文明』ではないか」と直感した森田さんは、ドイツへ飛んだ。そして、フクシマの事故でいち早く脱原発を決めた彼らに理由を問うたところ、返ってきたのは「森へ行けば判る」の一言だった。その謎掛けのようなアドバイスに従って森を歩き、さらには、半年かけてヨーロッパを巡った。と、そこまでの話は、私たちも前回の報告会で聞いている。

◆昨年、森田さんは現場観測をアメリカに移し、約1年を過ごした。「いま世界を支配しているアメリカ文明は、すでに賞味期限が迫っているのではないか」 そんな思いからだった。訪れた北カリフォルニアのソノマは、気候や食べ物にも恵まれたヒッピー文化発祥の地で、文化レベルの高い、大らかでフレンドリーな人の多い場所だった。

◆夕方になると、彼らはちょっとお洒落をしてダウンタウン といってもお店が10軒ほど のカフェに出かける。そして、老バンドの演奏するスローなメロディーに合わせて踊る。それは、古いアメリカ映画のワンシーンそのままの光景だった。(が、そんなソノマは当初の目的地ではなく、報告会後半のQ&Aによると、森田さんの第一希望は意外にもシリコンバレーだったという)

◆この町の近くにも、樹齢2000年、3000年のレッドウッドやセコイアの林立する、神秘的な森があった。そこを『聖なる老樹林』と名付けた森田さんは、たびたび足を運んでは「ぼくら人間はちっぽけだなぁ」「地球は誕生して46億年。それを24時間にすると、人間は登場して1分にもならない。まだヒヨっ子なのに大きな顔をし過ぎじゃないか」などと物思いに耽った。

◆その思いは自分の人生にも向かう。「モノ書きとしての人生を振り返った時、未だに心に引っ掛かっているのが、1989年に起きた天安門事件です」と森田さん。「事件が起きたのは、筆1本でやっていこう、と決めて10年目くらいの生意気盛り。仕事に慣れる一方で、書くことの社会的責任や使命感に、ちょっと怖くなり始めた頃でした。それまでは現場に這いつくばり、思いつくまま、感じるまま、ガムシャラに書いてきましたが、天安門事件に出くわして、自分には何かが足りない。いまのぼくには書けない、と感じました」

◆では、『足りないもの』とは何か。それはフレームだという。絵描きやカメラマンが指で「L」の字を作って構図を決める、あれだ。「フレームは、ものを見る時の物差しです。あれで自分で構図を決めるんですが、ぼくにはそれがない、と思いました」。いうまでもなく、その後の森田さんは中国に関する本を数多く書いている。その根底にあったのは、「書くことが無くなった時が、筆を置く時。書き尽くしてこそ、初めて本物になる」の思いだった。

◆「天安門事件についても、さんざん書いてきました。けれど、自分は本当に『書き尽くした』といえるのか」「構図を決めるフレームも、絶対的なものではありません。歪んだり曇ったりします。だから永遠に微調整が必要で、その意味でも天安門事件に関して、もう一度、『いま』という視点で調整し直して書かねばならないのではないか」

◆そう気付いた森田さんは、早速、連絡を取った。当時学生だった人たちや政府の関係者など、あの事件に関係した人たちがアメリカには沢山住んでいた。「彼らの多くが再会を喜んでくれました。その中の何人かはぼくの頼みを聞き、当時語れなかった話や資料、いまだから判ることを明かしてくれました。そして、みんなが最後に口にしたのは、祖国に対する愛でした。それは愛国心とは違う。国を捨て、あるいは国に追われた人もいるのに、『天安門事件を通して祖国愛を知った』というのです」

◆彼ら文革世代は、都市と田舎の若者を強制的に入れ替えた『下放』を経験したが、それによって初めて、田舎の暮らし、ひいては自分の国の現実を知ったのだ。「その体験を通して彼らは自己覚醒し、人格が形作られ、後々の活動にも大きな影響を受けました。いまはフランスにいる高行健も、雲南省で少数民族と暮らした経験を元にした『霊山』で、中国人初のノーベル文学賞を受賞しました。『中国のヌーベルバーグ』と呼ばれた第5世代の映画監督たちの作品は、世界的にも評価されていますが、すべて下放をテーマにしています」

◆文革が終わり、78〜79年の民主化運動『北京の春』を経た10年後、天安門事件が起きた。中国政府が『六四』の一言で片付けるこの事件は、学生の民主化要求に理解を示した改革派を保守派が潰した、共産党内部の権力闘争だった。同様の争いは香港返還後にも起きた。

◆それまで香港には、ロスチャイルド系のユダヤ資本が多額の投資を行っていたが、とう小平の天才的な『一国ニ制度』の政治判断で中国に返還されると、それを機に彼らは中国本土へと進出していった。当時の中国では、趙紫陽の手で、株式制度の導入や個人資産を認める経済改革が進められていた。ユダヤ資本もこの波に乗ったのだ。しかし、経済改革は同時に政治改革へと波及し、結果的に、最高実力者のとう小平の「虎の尾」を踏むことになる。

◆そのとう小平も、ガチガチのマルクス主義者でありながら、資本主義に大きな関心を寄せていた。副首相時代に『四つの近代化』を打ち出し、アメリカ訪問時はフォードの自動車工場を視察したという。フォード家は、アメリカの外交問題に大きな影響力を持つ『外交問題評議会』に多額の寄付を行っていた。そのメンバーの1人、ジョージ・ブッシュは、後にアメリカ第41代大統領になっている。

◆「彼ら、フォード家やロックフェラーなどのアメリカのキリスト教系保守資本家は、イギリスのロスチャイルドよりも早くから中国市場に目を付けていました。80年代後半、すでに高度経済成長を終えていた資本主義先進国は、延命のためにも新たな投資先が必要でした。13億の民は、世界最大の工場であると同時に、巨大なマーケットです。天安門事件後、経済制裁を課したのも束の間、先進資本国はドッと資本進出してゆきました。そして中国は未曾有の発展を遂げ、世界第2位の経済大国になったため、『資本主義が中国を救った』といわれます。でもぼくは、『中国が資本主義を救った』のではないかと思います」

◆20世紀と21世紀、そして昭和と平成。こういう時代の変わり目の前後で、新しい時代を暗示する大きな事件が起きる、と森田さんはいう。20世紀を決めた1914年の第一次世界大戦は、人々を始めとする全てが戦争に注ぎ込まれる、人類史上初の総力戦となった。世界はその後、戦争と革命の、「総力戦の時代」へと巻き込まれてゆく。

◆「第一次世界大戦で疲弊したヨーロッパに替わって、戦場とならなかったアメリカが頭角を現し、そこから資本主義や民主主義が登場してきます。ロックフェラーは石油で莫大な財を作り、その石油にあやかったフォードが自動車王国を築き、戦争で火薬を作っていたデュポンも化学メーカーとして大きく発展しました。また、戦時の株や戦争公債でモルガン商会も大儲けしました。この4つを、アメリカでは『グレートファミリー』と呼んでいます」

◆アメリカ資本主義圏とソビエト社会主義圏の東西冷戦という形で、野望と矛盾を秘めたまま、危ういながらも20世紀後半は平和が保たれた。そして21世紀。予言は意外に早くやってきた。01年9月11日、ニューヨークのワールドトレード・センタービルへの2機の飛行機の激突だ。ロックフェラー3代目のスローガン、「自由貿易による国際平和を」(ワールド・ピース・スルー・トレード)にちなんだツインタワーへの攻撃を、森田さんは、「アメリカが狙われたというより、資本主義、建国以来の理念である民主主義が標的にされた(

※ここでいう『資本主義』は、アメリカ流の資本主義を指す。資本主義自体が悪いわけではない。そしてアメリカの愚は、自分たちの価値観を、『普遍的なもの』として世界に押し付けたことにある。by報告会後半のQ&A)」と捉え、「あれで20世紀は終わった。総力戦の時代は終わった。21世紀は国家や政治を超えた文明圏の闘い、文明戦の時代になる」と予測した。

◆元来、資本主義に格差は付きものだ。しかし、それにも想定「内」と「外」があり、今のアメリカは「外」だという。リッチ階級と、給与生活者の多くがそうである『中間層』との差が拡大し、もはや貧富の差を超えている。「資本主義社会では、働いて給与をもらい、それで家や車などを買うことで経済が成り立ちます。その給与生活者の所得がどんどん安くなり、資本主義も萎んでいる。リッチな人々はほとんど消費せず、雇用も生みません。自分の資産を増やしてくれる国や企業に投資はするだけで、そのグローバル化もアメリカ文明がもたらしたものです。ですから、アメリカ文明が、自らの首を絞めているのです」

◆そしていまの日本も、森田さんによれば、「『株が上がればいいんだろ』というのが政府の言い分ですが、それでは資産階級のお金が増えるだけ。資本主義の単なる延命策に過ぎず、永続的な成長ではない」のだそうだ。経済がゼロ成長になると、民主主義もまた追い込まれてゆく。現在行われているポスト・オバマを決める選挙では、一握りの大口寄付者によって大統領が決まる可能性もあるが、そんなことは20世紀では考えられなかったという。

◆時代は、宗教や国境を争った『プレモダン』、国家主義の『モダン』、そして国境なき世界観や価値観多元化の『ポストモダン』に分けられる。いま、世界はポストモダンに向かいながら、一方では、がちがちの国家主義である中国やロシアの台頭、あるいは宗教や国境を巡って争う中東のような、モダン、プレモダンへの逆行現象も起きている。

◆『文明1600年周期説』に触れつつ、話題はいまの日本にも及んだ。3.11で、この国に本当に未来はあるのか、とまで考えた森田さんは、昨年、立ち直りの兆しを見つけたという。それは、「政権のクーデター」と評された安保法案の閣議決定に対し、「2015年の夏」「安保の夏」と呼ばれる国会前デモを繰り広げた若者たちだ。その一方で、日の丸や君が代に愛国心を抱くプチナショナリズムの言い分も、「わかる」という。

◆「ぼくらの時代はポストモダンです。ですから、国境や領土といった話にもキチンと向き合ってこなかった。若い人たちが、戦争や歴史のことを知らないのは当然です」と森田さん。そして、「戦争を放棄した日本国憲法を礎に、西欧から取り入れた民主主義や資本主義などと日本の固有文化を重層的に重ね、独自の文化国家を築き上げてきた。これは世界に通用する。この『強兵なき富国』というスタイルを、日本は世界にプレゼンテーションしてゆくべきだ」と訴えた。

◆文明戦のもつれた糸をほぐすには、歴史的な思考が欠かせない。それがあれば、新しいものから順に紐解いてゆける。そして、原因と結果はいつも一致するので、「結果」=「いまの世界」から原因を辿れば必ず次の世界も見えてくる。その原因を振り返るのは辛いことも多い。しかし、歴史を見てゆくと、「人間は何をしてきたか」「人間は何をすべきなのか」がはっきり判るのだそうだ。

◆「アメリカ文明は、人間にとって快適な、普遍的で便利なものを沢山もたらしてくれました。でも片方で、しっぺ返しも作りました。この文明が21世紀も続くのか、もっと人間性を回復するような新たな文明が起きるのか。いま、ぼくらは分岐点、分水嶺に立っているような気がします。『人間は、いつ、どこに産まれるかで運命が決まる』といったのは、天安門事件のリーダーの1人です。ぼく自身は戦後と同時代です、戦後史は自分史だと思っています。だから、自分が生きてきた時代だけはシッカリと書き留めていきたい。それは、ぼくなりの使命感だと思っています」 最後を締め括るその言葉で、じっと聴き入っていた私たちも、森田史観が織りなす思索の世界から報告会会場へと戻ってきた。(久島弘


報告者のひとこと

「知・情・意……そして安」

 誰もいなくなった晩秋の北カリフォルニアのワイナリー、乾いた風が本のページをめくる音が、午睡(ひるね)をかき消した。旅を生業(なりわい)としている私にとって、文庫本は常備食のような存在だ。機内で観る映画も機内食より愉しみである。『リスボンに誘われて』という映画は、どの便で観たのかは思い出せないが、「人生とは、我々の現(うつつ)に生きているものではなく、生きていると想像しているものだ」という主人公のセリフに、原作を読みたいと書店を捜し歩いた。

 原作『リスボンへの夜行列車』の代わりに『怒りの葡萄(ぶどう)』を買い求めた。作者スタインベックの生家はサンフランシスコの郊外にある。『怒りの葡萄』を読みだして、野太い文章に読むほうも力味があったが、メキシコ人からカリフォルニアを奪ったアメリカ人の筋力が、この国の文明をつくりあげたのか──。『怒りの葡萄』によると、1930年代、ロッキー山脈から東で、砂嵐が吹き荒れ、農地が枯れ果て、地主たちは農民たちを追い出した。農民たちは、カリフォルニアのぶどう狩りの季節労働者を目指して、3000キロも歩いて辿り着いた。

 牧童犬と戯れるワイナリーのオーナーは、「仕事にありつけるのは、何十人に一人だ」と、ワイングラスを片手に私に話しかける。「妻の祖父が、“商品”付きで、この農場を買った」。商品とは、労働者のことである。「いま、人類はノマド(遊牧民)化している」。国家を持たず、自在に移動する現代人の生態にオーナーはイラついた。IS(イスラム国))もまた、国家を定めない戦闘集団である。国境を越える難民に、EUは二分している。

 EUを目指す難民の唯一の所有物は、ケイタイ電話だそうだ。ケイタイ電話があれば、家族とも連絡が取れるし、居場所や仕事を見つける手段にもなる。天安門事件後、日本を密航列島化とした出稼ぎ目的の難民たちが手にしていたのは、「偽装パスポート」であった。ケイタイ電話とパスポート……、国境なきノマドの時代への移り変わりだ。

 風に吹かれて本のページがめくれた乾いた音がする。ヒトが活字を求めるのは、「知」「情」「意」だそうだ。知、情は「知的情熱」だ。知的好奇心が情熱を駆り立て、「意」欲がわいてくる。私なら、もう一つ「安心感」を付け加えて、「知、情、意……そして安」としたい。

 いまの世の中、異常気象、テロ、内戦、疫病……、文明末の不安の種が尽きない。不安を煽る本は売れる。健康の不安からヒトはサプリメントに群がる。テレビも新聞も……。こんな世情で、ヒトが知的情熱を駆り立てるのは「安心感」を得るためだ。「安心感」とは、つきつめれば、「敵」を知ることだ。敵とは、こわい周辺国、流れ込む難民、経済不安、疫病、異常気象……、そんなものだけではない。隣人、愛犬、家族も時として敵になるかもしれない。そう考えると、「自分以外は、すべて敵」なのだ。敵を知ることとは、「己を知ること」だ。自分を知るためにヒトは知的情熱を駆り、自己認識すると安心感に包まれる。

 さて、今回の報告会のテーマとなった「文明戦」、次なる文明とは……。超大国の覇権主義が転換期を迎えている無極化の「いま」は、文明周期説の出発点としている「ローマ帝国の崩壊」と同じ様相だ。ローマ帝国が崩壊後、帝国に変わるリーダーが、ルネサンスまで現れなかった。ルネサンス(復興という意味)の復興をいま一度求めるとは、歴史は気まぐれで手を焼かせる生き物だが、人生の道しるべには非常食としてちょうどいい。(森田靖郎


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