■「海の日」前々日の蒸し暑い夜、報告者の小島あずささんはアロハシャツ姿で会場に現れた。小島さんは一般社団法人JEANのディレクターとして、全国の海岸ごみ清掃活動を20年以上率いている。JEANはJapan Environmental Action Networkの頭文字。国内外の組織と連携しながら、海や川の環境保全を行なう環境NGOだ。
◆小島さんは、古代ポリネシアの双胴船ホクレア号船長だったナイノア・トンプソン氏を日本に初めて招いた人でもある。その縁で、2000年に石川直樹さんが参加した「Pole to Pole」プロジェクトの日本事務局を担当。ともに事務局をしていた丸山純さんが、今春より大東文化大学で受け持つ「キャリア形成と人生」のゲスト講師に小島さんを招いたところ、聴講した学生達から大きな反響があったという。かねてから小島さんに地平線報告会で話してほしいとオファーしていた江本さんの強い希望もあり、多忙なスケジュールの合間をぬって、今回の報告会が実現した。
◆進行役の丸山さんが、「サーファーでもダイバーでもなく、ごみ拾いから海と深く関わるようになった特殊な人」と紹介したように、その経歴はとてもユニークだ。広告企画制作会社のスタイリストとして10年間活躍していた小島さんが、なぜごみ拾いをするようになったのか? 「人生を変えるような劇的な出来事があったわけではなく、気づいたらここにいたという感じです」。
◆都会育ちの小島さんは、社会人になってから自然の中で過ごす喜びを知った。そして広告業は面白いが、一生続けられる仕事ではないとも思っていた。30歳を前に「今変えないと!」とあてのないまま退職。「何か一緒にやろう」と意気投合した友人と、「アトリエ・クレイドル」を設立した。
◆起業したものの何をするのか模索していた時、別の友人が出産。特技の洋裁を活かし、木綿のベビー服とよだれかけを手作りして贈ったところ大評判に。他のお母さんからもリクエストが来て、出産祝いのギフトを受注するようになった。しかしベビー用品にこだわる理由が特になく、暮らしの中で使うものを生み出したいと次第に考えが変わっていった。環境問題への関心が高まった時代でもあり、アウトドアライター田渕義男さんが紹介していた「SAVE THE TREE BAG」のような買い物袋を作ろうと思い立つ。
◆バークレーの生協で売られたこのバッグは、1年間使い続けると樹齢30年の松の木1本分の紙を節約できるというコンセプト。小島さんは田渕さんからの応援を受け、日本人用のバッグを完成させて個人通販をスタート。なんとかつて流行したスーパー紀ノ國屋のエコバッグは、小島さんのバッグをモデルにして作られたのだ。
◆同じ頃、愛犬家の小島さんは、散歩中に見かけるポイ捨てごみが気になってしょうがなかった。ならばと自分で拾い始めたものの、翌日またごみが散乱している事態に愕然。レジ袋4杯分になる日もあり、帰宅後ごみを写真で記録するのが日課になった。「自己満足でただ拾ってもだめ。根本から変えないと」と感じていた矢先、アメリカの海洋自然保護センターが、世界中で一斉に海岸ごみを拾いデータ化する活動へ参加を呼びかけているのを知る。「データをとれば、永遠に終わりのないようなごみ拾いにゴールが見えるかも」と希望がわいた。
◆この「国際海岸クリーンアップ」(ICC)は、毎年秋に各国の参加者が共通のデータカードでごみの数を種目別に集計する試み。それを本部で集約し、原因調査のため各国沿岸の状況を分析する。「データがあれば悪質な不法投棄をする企業にも伝えられるし、啓発もしやすいんです」。1990年に日本初のICCに参加した有志が中心となり、翌年JEANを発足。現在は全国平均300カ所で開催され、その呼びかけや結果のとりまとめをJEANが担う。イベント参加はJEANのウェブサイトから誰でもエントリーできる。
◆2006年に荒川流域数十カ所で実施したデータ集計の例。破片も1個ずつ数え、最も多かったのはレジンペレット(29,467個)。次に、ポリ袋やその破片(17,863個)、発泡スチロールの破片(15,617個)、ペットボトル(12,214個)と続く。レジンペレットはプラスチック製品の材料となる3?4ミリの樹脂の粒。見た目は魚卵のよう。これが大変なくせ者で、あまりに小さく軽いため、プラスチック加工工場の排水溝から河川へこぼれ出る。自然環境に流出しているのを1970年代末に発見した海藻研究者は、「沿岸から遠く離れた海中で見つかるのだから、なんとか食い止めないと、人類は近い将来プラスチックのなぎさを歩くことになるだろう」と警告した。
◆ここからは「全国各地のごみがたくさんある美しくない海岸の写真」が続く。まずは対馬から。山がちで清掃が難しい浜に、波で運ばれたごみが積もっていく。外洋へ出ていく太平洋に比べ、日本海と東シナ海沿岸はごみの量が非常に多いそう。青森県の風間浦にもごみの絨毯が広がる。高齢化、過疎化が進み、頻繁に清掃できる人がいないためだ。
◆西表島の海岸は、足の踏み場が全くないほどごみだらけ。背後の海岸林にも膨大なごみが散乱するが、ハブが出るので掃除できない。台湾やベトナムなど外国からの漂着ごみも多く、韓国の海苔養殖で使われ不法投棄された消毒薬の空タンクも。
◆拾うのも一苦労だが処分するのも大変だ。西表島には産廃施設がなく、施設がある石垣島まで船で運ばなければならない。さらに西表島と石垣島は行政区が異なるため、持ちこめるのは市営ではなく民間の施設のみ。かかる費用は西表島で集めた寄付金だ。清掃をする西表島の市民団体によると、「町にお金がないからこれ以上ごみを拾わないで、と役場の人から言われたこともある」。東京からごみ拾いに来たある企業は、運搬費と処分費あわせて250万円を請け負った。
◆問題は費用面だけではない。産廃施設でごみを可燃と不燃に分けるが、海水につかったものはリサイクル不可能。不燃ごみは埋めるしかなく、「結局は浜にあったごみが処分場に移動しただけ。根本的な解決にはなりません」。埋め立て場所の不足という新たな課題も浮上する。
◆「海ごみの発生源は海や川の周辺とは限りません」。驚くことに、8割が生活ごみ由来だそう。町に散乱するごみが雨風で側溝に入り、川へ流れ、海を漂流。これが他の生物に多大な影響を及ぼす。静岡の浜に打ち上がったウミガメの死骸の解剖写真を見て、息をのんだ。腸の中にポリ袋がはちきれんばかりに詰まっている。体長10m弱のオオギハクジラの腸からは、苗木ポット、ストラップバンドなどがあふれ出てくる。座間味の阿嘉島に生息するオカヤドカリの群れには、リポビタンDなどビンの蓋を貝殻代わりに背負う個体が何匹もいるらしい。
◆海外でも事態は深刻だ。カリフォルニアアシカの首に漁網の切れ端が巻きつき、肉が切れている姿は見ていて本当に辛い。アシカは幼いほど好奇心旺盛で、ごみが水面に浮いているとすぐ鼻先を突っこむそう。そのまま体が成長するとどんどん食いこみ、自力では外せない。
◆小島さんは2011年7月、太平洋戦争で知られるミッドウェイを調査で訪れた。平らな珊瑚礁の島の中央部に漁具や固いビンが散乱しているのは、3.11の後に1.5mの津波が押し寄せ、島の周囲に浮いていた漂流物を押し上げたから。ミッドウェイにはアホウドリが数十万羽生息する。ひなは親鳥から口移しでえさを与えられるが、親鳥が海面に浮くプラスチックをえさと誤認識するので、ひなの死骸からはペットボトルの蓋など様々なごみが発見される。「ごみは消化されずおなかにたまるので、栄養が足りなくなり、巣立つ前に衰弱死するひなが地面にごろごろしています」。
◆島で解剖を担当してきた専門家によると、「1000羽を超える死骸を見たが、プラスチックが出てこない個体は皆無だった」。見つかるごみのうち最も多いのは蓋、次が使い捨てライター、その次が直径約1cm、長さ約20cmのパイプ。このパイプは、広島県で使われる牡蠣養殖の漁具だと特定されている。瀬戸内海に浮かぶ養殖筏1枚につき、帆立貝の殻をつけるパイプが約1万本吊るされており、嵐で筏が壊れるとパイプがばらけて流れていってしまう。
◆3.11以降、大量の漂流物が黒潮にのって北米大陸へ漂着している。その状況把握のため、環境省の委託で2013年秋に小島さんは現地へ飛んだ。カナダのブリティッシュコロンビア州の無人島では、同年から日本家屋の柱が流れ着くように。持ち主が判明したら返せるよう大切に保管されているが、現実的には難しい。そこでこれらを使い、慰霊と震災の教訓を伝えるモニュメントを創る計画もある。
◆アラスカのモンタギュー島への漂着物は流木が圧倒的に多いが、プラスチック破片やレジンペレットも押し寄せる。3.11の後は、家屋の断熱材らしき発泡スチロールも流れてくるそう。そして、ここでも広島のパイプが見つかった。状況を憂いた小島さんが広島県の水産課に問い合わせると、「パイプは古くなると壊れたり、嵐で流れることもあるが、基本的には回収して翌年も再利用している」との回答。しかし地元の市民団体から、「一部にヤクザを兼業する漁師がいて、天候が荒れそうになると筏のもやいをわざと解いてしまう」との裏情報が。筏は財産なので数百万円の保険金がかけられている。県も薄々わかっているが、表立って対策がとれないらしい。
◆世界の研究者が今最も問題視するのが、プラスチックの劣化・破片化だ。太陽光にさらされ波にもまれるほど細かく砕け、拾うのが困難になる。中国製のある漁具には鉛がヨーロッパ基準の6000倍含まれるなど、有害な化学物質が混ざっているものも少なくない。「体の小さな生き物に取りこまれ、食物連鎖で子どもや孫の世代に人間に戻ってくるかもしれない」。
◆ここで、オレンジ、白、青、黄色などカラフルなかけらが入ったタッパーが会場で回覧された。動かすたびシャカシャカ音が鳴る。これらプラスチック破片は手で拾いきれないため、大きなコンテナに砂ごと入れ、大量の海水を加えて浮いたら地道にすくいとる。「1時間やると腰が痛くなり、3時間作業しても5m四方しかきれいにできません」。
◆「出さなければ拾わなくてすむ。拾うのに費やす時間をもっとクリエイティブなことに使えるようになりたい」と、小島さんは伝える活動も重要視している。長崎県の離島の小学校で行なった課外授業「漂着物ってなあに?」では、遊びを取り入れつつ子どもたちと浜を調査した。
◆国も動かした。海ごみを規定する法律がないことがいっそうの困難を招いていると、現場で実感してきた小島さん。苦手な政策提案活動や議員へのロビー活動にも取り組み、2009年に念願の「海岸漂着物処理推進法」成立にこぎつけた。それまで海ごみ清掃にかかる費用は市民の手弁当や市町村の税金でまかなわれていたが、ようやく国から予算が配分されるようになった。2003年以降、毎年テーマと場所を変えて「海ごみサミット」も開催している。市民グループ、自治体、企業、研究者、省庁などの関係者が集い、現場を一緒に回りながら対策を話す。報告会の翌週には、庄内で第12回目のサミットが行なわれた。
◆最後に今後の活動について尋ねられ、JEAN開始時にメンバーと決めたという3つのことを話してくれた。「1. 市民運動に対して怖い印象や偏見があったので、自分たちはニコニコしながらやろう。2. データをとるので10年は頑張って続けよう。3. 必ず晴れて解散して、次のやりたいことをやろう」。未達成なのは3つ目だけ。事務局レベルで活動できる次世代のスタッフ育成が課題だ。
◆衝撃的な事実を突きつけられた2時間半。重たい内容とはうらはらな、明るい小島さんの笑顔に救われた気がした。背筋が凍りつく写真の連続だったが、このとんでもない現実を知らず、呑気にプラスチックの恩恵を受けていたことこそが何より恐ろしいと思った。(大西夏奈子)
■海のごみへの取り組みを続けて、振り返ると25年近くが過ぎてしまった。思い切り頑張って活動して、10年たったら解散します!と宣言して始めたのだが、10年をとうに過ぎても問題解決は程遠い。それでも続けてきたのは、あちこちを訪れて、海ごみと向き合う多くの人たちと知り合って、次々と新たな課題に出会ってしまったからだ。とはいえ、改善が見えない現実や、活動のマンネリ化に、少々くたびれてきているのが正直なところである。
◆地平線報告会のお話があった時にまず思ったのは、こんな地味な話を、数々の心躍るような体験談や胸に深く沁みる話を聞いている皆さんの前で、いったいどうやって話そうか、ということだった。
◆あっという間に迎えた当日は、早く着きすぎて誰もおらず、このまま誰もこないかも……と心配に。終わってみれば、海のごみがこんなことになっているとは知らなかった!と何人もの方に声をかけていただいて、大緊張がようやくほどけた長い一日だった。
◆あらかじめ海のごみに関心のある人たちに対して話すのではなく、ふたを開けるまでわからない状態で話した経験は、「知らなかった!」の反応をもっといろんなところで引き出したいという意欲になった。ありがとうございました。(小島あずさ)
この4月から非常勤講師として大東文化大学の環境創造学部で毎週1回「キャリア形成と人生」なる授業を受け持っている(その経緯は長くなるのでまた別の機会に)。本来の授業テーマに加えて、内向きの学生たちの尻を叩いて外(野外)に、できれば海外に出してやってください、というのが学部からの要望だ。それならばと、ミニ地平線報告会をやることにして、前期は江本嘉伸、小島あずさ、神谷夏実、三輪主彦という超豪華メンバーに、アイルランド音楽演奏家の守安功君を加えた5人にゲスト講師としてご登場いただいた。みなさんそれぞれ個性豊かに学生たちに強烈なインパクトを与えてくれたが、なかでも小島さんの問題提起は身近なごみ拾いから始まるだけに、環境を学ぶ学生たちの心を深く揺り動かしたようだ。授業後に提出するコメント票も、A4の用紙の下までびっしり書いている者が多くいる。その好評ぶりを江本さんに報告したところ、ぜひ地平線でもという話になり、今回報告会に出ていただくことになった。当日は長崎での仕事があったのに、早めに終えて飛行機で駆けつけてくださったことに感謝したい。会場に学生たちのうちの4人が当日来てくれたので、その感想を紹介させていただこう。[丸山純]
■こんにちは。大東文化大学で丸山純先生の講義を受講している学生です。
●恥ずかしながら私は、漂流物というものは、海に投げ入れた生活ごみが海上を渡って他の岸へと流れ着く程度のものと考えており、そこまで環境に与える影響が甚大だと感じてはいませんでした。私はほとんどのごみと水との初接触は沿岸沿いだと思い込んでいて、内陸の都市化している場所との人口比を比べればポイ捨てする人の絶対数はどうしても少ないだろうから、環境への影響としてはたいしたことがない……ぐらいに捉えてしまっていたからです。しかしそれは私の大きな勘違いで、実際は私達の町で発生したごみが川を流れて海へたどり着くのが約8割、日常生活から発生した生活ごみが、漂流ごみと化してしまっていたと知りました……。
●つまり、自分には関係ないと思っていた私の身の回りで今まさに起こっていることであり、さらには見て見ぬ振りが出来るレベルではなくなってきているというのが現実です。この問題を考えるきっかけをくれた小島さんにお礼を述べるさせていただくと共に、これからどうしていくのがよいかを自分なりに考えていきたいと思います。
●また、今回初めて地平線会議の集まりに参加させてもらって驚いたのですが、様々な方面の知識ある方達が性別年齢問わず参加されているんですね。地平線会議という名前の物々しさからして、男性ばかりなのではと考えていたのですが、決してそんなことはありませんでした。
●この面子で二次会に行ったらどのような話が聞けるのだろうとわくわくした反面、話についていけるのだろうか……との心配も。いざ二次会へ行ってみると、予想通り左右から飛び出す言葉の弾丸を見守ることしかできず、相づちを打つのがやっとでした。しかし、自分の浅学さを悔やみながらも、次こそは話についていきたいと、向学心が芽生えるきっかけにもなりました。
●次に地平線会議へ行くときは、他にも得られるものがあると私は確信してます。[環境創造学科1年・四位竜太]
■授業でも印象に残っていますが、今回初めて地平線会議に参加し、改めて小島あずささんのごみに関する貴重なお話を聞けて、とてもよかったと感じています。ごみを拾っても海にはまだたくさんのごみがあるので、捨てないことも大事ですが、徐々に拾って少しでも少なくしていくことも大切なことだと思いました。また、人間が捨てたごみで海の生き物がエサと間違って食べて命を落としている現実を聞いて、悲しくなりました。ごみに関する問題の深刻さが、もっと世の中に広まればいいと思います。
●二次会は周りのみなさんもすごい経歴の持ち主ばかりで、海外で仕事をしていたり、海外をバイクで渡ったり、僕が知らない仕事の話をしてくれたり、多種多様な話を聞けてよかったです。みんな普通の人にはないキャリアを持っていて、色々な世界を知ることができました。あと、丸いテーブルを囲んでご飯食べてみんなで話して、とても楽しい時間を過ごせたというのもよかった。もっとたくさんの人と話してみたかったです。
●5月の江本さんの「濃い」講義も、知識や経験のすごさにびっくりさせられて強く印象に残っていますが、この日の江本さんはみんなに信頼されたり、ユーモアのあることを言ったりと、授業とはまた違った面を見ることができ、その人柄にさらに惹かれました。[環境創造学科1年・出口卓司]
■小島あずささんのお話は、先に大学の授業で聞かせていただいたのですが、今回地平線会議という場に出席することができ、さらに貴重な経験ができたと思っています。人間が人工的に作り出したプラスチックが海岸に残り続けてしまう様子と、生き物が誤飲して死んでしまうということに、改めてショックを受けました。
●とくに今回は、生き物の腸などにプラスチックのごみが消化されずに残っている写真を見ることができ、実際のごみ問題がもたらす深刻な実状というのをさらに深く知ることができたと思っています。そのような実状を知って、環境創造学部に属している者として、今後どうしたらいいのかを考えていかねばなりません。「プラスチックの渚」というタイトルは、まさにその通りだと思います。深く考えさせるお話を聞かせていただき、ありがとうございました。
●二次会はお酒を交えて食事を共にさせて頂いてたくさんの人のお話も聞くことができ、とてもいい経験となりました。講義のときとは違った江本さんの姿を見れたりして、楽しい時間を過ごせました。今後も機会があれば参加させていただきたいです。[環境創造学科1年・中間俊大]
■授業を早退してしまったので、今回初めて小島あずささんのお話を聞き、驚きとちょっとした恐怖を覚えました。ごみを拾う理由、3.11東日本大震災以降の日本のごみ問題、そしてプラスチックスープの海と本で書いた理由。どれも自分には衝撃的な内容でした。
●私の地元福島でも、ごみ問題に取り組もうと小学校の時からごみ拾いの大切さを教わってきましたが、我々のやっているごみ拾いというのは根本的解決よりも自己満足に近いものであり、ごみが増えるメカニズムをちゃんと理解しなければと思いました。そのごみのほとんどが海に流れ、あるものは海で経年劣化し、破片化したものを動物が食べてしまう。あるものは動物の体にとどまり、残ってしまう。
●もしこれが我々人間の体内でとどまり続けたらと思うと、恐ろしいです。東日本大震災の被災者でありながら、自分ばかりが被害をこうむっていると考えていた私が恥ずかしいです。この報告会を聞いたおかげで、私は普段の生活からごみを分別し、なるべくごみを出さない努力をしていきたいなと思いました。[環境創造学科2年・佐藤雄也]
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