■獣を殺して、命について考える。新年初っぱなの地平線会議はどこか物騒で、重たく厳しいテーマだ。まず、サバイバル登山とは何か?という説明から入った。定義として、時計、ヘッドランプ、ストーブ、燃料、テントを持って行かず、食料調達などを、現場で自給自足しながら山に登るスタイルのこと。服部さんは、そのサバイバル登山を実践している。
◆服部さんの人生にはいくつかの転機があった。生い立ちを振り返りながら、人生に訪れた大きな転機を説明した。第一の転機は都立大学に入学したこと。現役と一浪の2年間の受験生活を通じて、14校受けて受かったのは都立大学1校だけだった。都立大学ではワンダーフォーゲル部と山岳部の両方に入部したが、当時の山岳部はしごき問題で部活動が停滞気味だったため、比較的活動していたワンゲルのほうで山の技術を磨くこととなった。
◆ワンゲルでは年間60〜70日ほど山に入る生活で、交通費を頻繁に出す余裕もなかったため、一回で長く、山に入ることが多かった。藪漕ぎと冬山をメインの活動にしていた。大学4年の時には単独で知床半島を海別から知床岬まで全山縦走した。爆弾低気圧にぶつかり、雪洞が潰されるほどの大雪で、無事下山できたら登山をやめようかと思うほどの恐怖体験だった。
◆5年生の時にインドで自転車旅行をする。山にも行かずに、就職活動をしたのに全てダメだったことで、ある意味、「傷心旅行のような気分」だった。面接を受けた会社の人事部の人には「企業に頼って生きようとしていたのがばれていたのかもしれない」
◆インドに行くと、みんないろいろ考えるというが、服部さんもいろいろ考えたという。インド人はみんな目がギラギラしていて、その瞬間を生きている。「我々、日本人とは生き方の基準が違うんだな」と思った。就活の時、周りにいた学生に比べて、インド人の生き方の方が幸せそうに見えた。
◆結局、白山書房という山岳関係の出版社に就職することになった。卒業後、会社に勤めつつ、「山野井泰史になりたい」そんな思いを胸に、くすぶりながらも「手っ取り早く実績になる様な登山」を続けていた。そんな自分を見かねた知人の紹介で日本山岳会青年部のK2登山隊に参加することができた。
◆そしてK2の頂を踏んだことが人生第二の転機となる。登山家にとってK2登頂は決してマイナスの肩書きではない。むしろ、水戸黄門の印籠のように使える、都合の良いものだった。しかし、遠征隊の登山には疑問を抱くことも多かった。酸素を吸い、360人にも及ぶ大量のポーターに荷物を運んでもらい、サポートを受けながら登頂する。それが山と真正面から向き合ったフェアな登山と言えるのか。自分に替わって、彼らポーターが登頂することもできるのではないか。K2登頂によって、日本登山界のヒエラルキーから解放され、自分にとっての、「美しい登山とは何か?」と言う命題に取り組むことができるようになった。
◆K2登頂後、登山の報告等で繋がりのあった山岳雑誌の「岳人」編集部に移籍することになる。初めての編集会議で「村田君(服部さんの旧姓)何がしたい?」と聞かれ、「和田城志にインタビューをしたいです」と企画を提案した。岳人編集者の立場を活用して、個人的な興味へと繋げる、半ば確信犯的な企画だった。和田城志は冬の劔岳、黒部の山行を数多く行ったことで有名な人。これをきっかけにして、冬の劔岳や黒部に一緒に山行することになった。
◆スクリーンには雪に覆われた劔岳の東面、八ッ峰の写真が映し出される。冬の劔岳は、夏に見せる刃物のような鋭い岩稜を、白く滑らかな雪が覆い尽くし、山小屋や登山道など人工的なものを全て消し去った完璧な自然の世界。山入すると全てを自分の力で乗り越えるしかないフェアで美しい山の世界だ。
◆マダガスカル島をバスと自転車を併用して旅した時のカメレオンの写真、ロッキー山脈スキー旅など、これまで服部さんが取り組んできたスタイル多様な旅の写真が次々と映し出された。そして、服部さんの背骨ともなっているフリークライミングの話に。
◆「フリークライミングは自分の思想の中心にある」と服部さんは言う。このフリークライミング思想について「すでに聞いている人も多いと思いますが、僕は何度でも説明したい」。クライミングでは人工登攀とフリークライミングという2つの登り方が対比される。人工登攀は岩壁にボルトやハーケンなどを打ち込んで、人工的な支点を作り、掴んだり、アブミを使ったり、直接利用しながら登る方法。
◆一方、フリークライミングは落下に備えた確保用具のみを使い、そこにある自然の岩の形状だけを、手がかり、足場にして登る方法だ。人工登攀は「登る」という行為よりも、岩壁に登るためのルートを「工事」しているのに近いのではないか。本来の「登る」と言う行為を、より純粋に突き詰めた登り方がフリークライミングの思想だ。このフリークライミングの思想を、日本の山にあてはめたのがサバイバル登山だと言う。
◆日本の山は、たくさんの積雪と、冬以外でも多くの雨が降る。独自の気候と地形から、日本の山には多くの沢があり、そこには沢山の生き物や山菜が生息している。今のような登山道が発達する以前、昔の猟師や木こりは山を沢伝いに移動してきた。また、彼らは沢に岩魚を放し、山の中での食料源としてきた。昔の山の民の生活様式のように、山の恵みによって自給自足をしながら、山頂を目指すのがサバイバル登山だ。
◆釣りや山菜の知識などのサバイバル技術を磨き、挑んだのが日高全山縦走だった。一か月近い日数を使い、日勝峠から襟裳岬まで、大きな山塊を一回の山行で挑んだ。その思想に基づいた山行と、思索の過程を綴ったのが、2006年に出版された『サバイバル登山家』だ。その表紙の写真、実はダ・ヴィンチの「聖礼者ヨハネ」の構図を引用したものだと言う。服部さんの美意識の頂点にはルネッサンス期の芸術家があるそうだ。
◆服部さんにとって、ミケランジェロと運慶がスーパーヒーローだと言う。音楽ではバッハとベートーベン。ある意味で芸術の王道的作家。しかし同時に現代美術家の会田誠の作品(現在、森美術館で展示中)がすごかったともいう。「尊敬する作家のミケランジェロ、運慶、その次に会田誠を加えちゃおうかと思うくらい」
◆私は音楽に関してずぶの素人だが、バッハやベートーベンの旋律には、強い意志と理性を感じる。二人の音楽家からは、自己を律し哲学や理性を楽譜に刻み込んだ、強い意志が伝わってくる。バッハは音楽表現の技術的基礎を築き上げた人、ベートーベンも音楽表現の中に厳格な哲学思想を刻み込んだ音楽家という印象だ。また、ミケランジェロや運慶も同様だ。彫像やデッサンなど、基本となる表現技術が圧倒的に高く、それに支えられて哲学や思想が造形として彫り込まれている。会田誠の作品も、物議を醸すテーマの裏側にあるのは、絵画の抜群の基本的技術だ。
◆尊敬する芸術家と、そこから吸収した美意識をもとに繰り広げられるサバイバル登山。服部さんが登山や文筆の表現者として追い求める先には、偉大な芸術家の姿があるのかなと感じた。服部さんが尊敬する芸術家や仏師と、ご自身の美意識や行動、姿勢について伺うと「すごい芸術家、表現者、仏師たちと同列で語られるほど才能ないです。そうなりたいという思いはありますが」。服部さんが考える「美しい登山」とは何か? その基準が少し見えそうな気がした。
◆ここで、話はサバイバル登山での食事の説明に入る。首から下を落とされた、シマヘビの頭の写真。まるで洗濯バサミのように、頭だけになったシマヘビだが、その生命力は強い。頭だけになっても、人が近づくと口を広げて威嚇する。そうやって5分以上は生きているそうだ。威嚇するシマヘビの頭をスクリーンに映しながら「これを見ると、生きることを考えさせられますよね」。
◆サバイバル登山では現場の様々な生き物が食料となる。蛇の味も種類によっていろいろで、シマヘビ、マムシは美味しいが、ヤマカガシは苦く、アオダイショウはくさい。またマムシの卵はちゃんと卵の味がしておいしかったが、ヤマカガシの卵は苦く、「うぇー」と言うくらいに不味かったそうだ。
◆服部さんの推測によると、「ヤマカガシはヒキガエルを食べる。ヒキガエルは皮膚の腺に苦い毒を持っているが、ヤマカガシはその毒を体内に蓄えることができる。卵にもうまく蓄えられるのではないか」。ヒキガエルを捕らえ、皮を剥ぎ、きれいにその毒を洗って薫製にして食べている人、ならではの推測だ。ヒキガエルにも赤褐色と黒褐色の個体があり、皮を剥いでもその色は異なる。これにも味の違いがあり、赤褐色の個体の方が美味しいそうだ。
◆また、昆虫類も食料になる。カミキリムシの幼虫、通称テッポウ虫も「クリーミーで美味しい」そうだ。このテッポウ虫も、入っている木の種類で味が違い、「栗やナラの木に入っているものは美味しく、針葉樹系に入っているものはそうでもない」「竹にも入っていて、孟宗竹は美味いが黒竹はまずい」という。
◆そして渓流の岩魚も美味しい食料だ。服部さんが主にやるのはテンカラ釣りという日本古来の毛針による釣り方。尺を超える大きな岩魚は刺身が美味く、それ以下のものは薫製にする。また、捌いた時の内臓は汁にして無駄にしない。刺身を作るときの刃物は包丁だ。釣った岩魚はビクに入れて生かしたまま運び、食べる直前に殺す。そして良く切れる刃物と岩魚の内臓を抜いて、皮を剥いだら、水には浸けない。刃物と砥石はセットで、美味しい刺身を作るのに良く切れる刃物は必要な道具だと言う。
◆サバイバル登山を始めた頃は、山で食料を調達するために、最小限の炭水化物しか持って行かなかった。最初、持って行く米の量は一日0.5合(10日で1kg)で計算した。サバイバル登山というよりも、断食登山の様相で、山から下りてきたら食いまくる生活になってしまった。10日間山に入ると、下りてきて10日食いまくる。しかし、昔の猟師などの記録を読むと、米の量はかなり持ち歩いていたことがわかった。以降、徐々に増やして、現在では五分付きや七分付きの玄米を一日400gで計算しているそうだ。食料の味や工夫など、現場のリアルなディテールが次々と話から伝わってくる。
◆そして数年のサバイバル登山を経て、食料調達は釣りから鉄砲を使った狩猟へと領域を広げて発展していった。鉄砲による狩猟の免許と鉄砲の所持免許を取得し、山梨県の小菅村で狩猟をスタートさせた。最初のシーズンは獲れず、2シーズン目でようやく1頭獲れた。そして昨年は7頭、今年は10頭を目標に猟を行っているそうだ。今のところ4頭しか獲れておらず、若干焦り気味だと言う。
◆狩猟では憎くて鹿を殺すわけではない。どちらかと言うと「好きな女性を想うような感覚に近い」。鹿の気持ちを想像し、鹿について考え、自分と鹿の距離を近づける。自分と鹿の差が曖昧になるほど、何をしているのか、何を食べて、何を考えているのか、を考える。狩猟とは常に獲物のことを考える行為なのだ。しかし「恋愛と違って最終的には殺すわけですけど」。獲物を殺したとき思うことは、「どうして俺は鹿を殺してよくて、反対は有り得ないのか?」ということ。一方的に殺すことへの不思議。「獣を殺したら、きっと誰もが思うことだと思います」
◆鹿はメスと子どもが美味しい。また、犬に追われた鹿はストレス物質が体内に分泌されて、肉に血が入るため臭くなるという。そう言う状況は滅多に無いが、一時に複数の鹿と遭遇した時、まず狙うのは、味が良く、狙いやすい子鹿だという。以前、狩猟の対象はオスに限られていた。しかし最近は有害獣駆除の観点から、メスや子鹿も撃ってもよくなった。
◆メスや子どもを殺すこと。人間の社会にあてはめたとしたら、通り魔が平和に暮らしている女性や子どもを狙って殺すような、凶悪な事件だ。なのに、狩猟だと許されるのはなぜなのか。子鹿を撃ち、少しセンシティブな気持ちになりながらも、狩猟で獲れた子鹿の肉を自宅に持ち帰る。家で背ロースを薄く切って、刺身で食べる時、それまで抱いていた悩みはすぐに吹っ飛んでしまい、「美味いから、まあいいや」と思う。「味が行為の正しさを証明している」と。人間としての理性を通り過ぎ、動物として本能のレベルで、狩猟を正しいと思える様な感覚なのかなと思った。
◆一人で狩猟を行えるようになると、冬期に鹿を撃ちながら登山しようと思うようになった。冬期の狩猟サバイバル登山では、鉄砲一丁が3キロ以上あり、一頭鹿を撃つと10キロ以上の肉が採れる。一人で10日間の登山をするためなら、最初から4キロの肉を持って行った方が合理的という考え方もある。5人ほどのチームで一丁鉄砲がある位が丁度良いのかなという感じで、まだまだ考える余地のある行為だという。
◆また、冬のサバイバル登山は「寒くて、辛いんですよね」。冬はマットを持って行き、焚き火も切らさないようにするが、それでも寒い。タープをテントに変えて、シュラフをもう少し暖かいものにすれば辛さも改善されるかもと考えてみた。でも「テントを使うのはちょっとどうなの〜」と。ここでも、自然に対しフェアでありたいという美意識が伺えた。
◆突然、給与明細の写真がスクリーンに映されたのでびっくりした。自分の立ち位置を示すためにそういう現実を隠さない。手取りで月給30万円の収入。「自分としては生活できているから充分だ。でも40代サラリーマンの給料としては少ないのかな」
◆次に服部さん一家5人の写真が映し出された。家族の中に一人、肌の白い男の子がいた。小児喘息で3度入院したという次男ゲンジロウ君だ。命は、その人間の周りの感情と切っても切り離せない。人間の社会では命の重さに差があると服部さんは言う。
◆「喘息にあえぐゲンジロウを見ていろいろ考えた。命の効率を考えたら、ゲンジロウ一人の治療費でより多くのもっと健康なアフリカの子ども達を助けられる。でも人は(自分は)そこまでドライじゃない。結局、人の命が同じ価値という言辞は嘘である。存在は比較できない。『救命』や『医療』が善のように語られるが、立場をいろいろ取り替えてみたら、そこに『アンフェア』や『お節介』という要素が少なからず、含まれているのがわかる。
◆『災害や病気で自分の子どもが死ぬかもしれない。それを体験する覚悟がありますか?』という問いに対して、人間社会での命の重さと理不尽に終わる獣の命、狩猟を通じて命を見つめた時『う〜ん、あります』と答えるしかないのかなと考えている。」
◆情熱大陸の取材を含め、南アルプスに3シーズン連続で行った。南アルプスで仕掛け一式を途中の天場に置き忘れ、岩魚が沢山いるのを発見したのに悔しい思いをした。情熱大陸の取材では、その時の岩魚を釣ろうと再び南アルプスに入った。それでまさかの滑落事故。肋骨複数箇所の骨折と肺が破けて血が溜まっているような大怪我を負った。怪我を治し、再び事故現場を確かめに南アルプスに入ったことで、ようやく南アルプスの呪縛から離れた。昨年は南会津の丸山岳に行ってアブがすごかったこと。北海道での狩猟サバイバル登山のことなど、昨年の山行のことにも駆け足で触れた。
◆話はゴールに近づき、陸上競技場のトラックを疾走する服部さんとライバルの写真が。実は今、服部さんは40代800m走で日本一速い男だという。それに関して、ユリイカで石川直樹さんと対談した時の記事を紹介してくれた。石川さん「別にオリンピックに出るわけでもないのに、なんでそんなに走りを突き詰めているんですか?」服部さん「だから自分という装置の機能を十全に発揮するため」
◆「登山は身体行為だ」と服部さんは言う。身体レベルが高くなければ、高いレベルの登山はできない。精神は肉体に宿っているのだから、精神と肉体を切り離して考えることはできない。したがって「自己を鍛えることの一番の方法は、肉体を鍛えることなのではないか」と思っている。これまでは自分の身体レベルが一体どの程度のものなのか、客観的に分らなかった。
◆サバイバル登山という、他人との比較ができないこともある。K2に登っても、沢で落ちて死にかけても、それが自分の能力によるものなのか、現場の条件によるものなのか、モヤモヤした気持ちが拭えなかった。しかし、「40代800m走」というカテゴリーにせよ、 愛好家が集まる陸上競技の中で、日本一速く走ることができた。これまでの登山活動に加え、厳しいトレーニングに取り組んだ結果だ。
◆服部さんはこう分析する。「800m走は辛いから取り組む人口が少ないため、全体のレベルが低い。また、フリークライミングに打ち込んでいたことと登山によって体幹が鍛えられていたこと。そして、これまで怪我無くやってこれたことではないか」。自分の身体能力がある程度高いことがわかって、身が軽くなった。この手応えを、都立大学入学、K2登頂に続く大きな転機だと感じているそうだ。
◆山での数々のピンチを切り抜けてきた服部さんに、その時の心境を聞いてみた。自然の中で危機に陥った時、現場では死にたくないから「そのとき考えられる最善を尽くす」という。服部さんは3人の子供の父親だが、危機的状況の中で「子供の顔を思い出して、力を発揮するとかは大嘘だと思います」。だが、「死にたくない」という要素の中には「せっかくだから子供の成長は見たい」という、お父さんとしての側面も覗かせる。本当にやばいときには、感情的になってしまうと、判断を誤って、生き残れないのかもしれない。あくまでも冷静に、その瞬間瞬間で、現場の状況に対応していくことが、生存の可能性を高める「サバイバル」なのかもしれないと思った。
◆そして自身の命についても、「死ななかったのは、たまたまです」。山では、自分よりも総合的に優れているかもしれない仲間が「コロッと死んでいった」という。偶然だと考えないと、うまく納得できないという。狩猟を通じて、生き物の死を考えたとき、「感情的には命は理不尽に終わる」ものだという。しかし一方で、「人間社会の安定した治安」もすばらしいと思う。行動の中から生まれてくる考察を、自身の美意識で次の課題に繋げていく。「美しい登山とは何か?」という美意識と実践を更新し続ける。そして 身体的能力の鍛錬と文章表現の探求、これらが対となってどんな進化をしていくのだろうか。
◆「遭難を否定して、それを煮詰めていくと、最終的に登山を否定することになる。だから、山で死んだ人も否定しません。死を否定すると、生を否定することになるのと、同じ構図です。ま、命の秘密(起源)はいまだに人間には理解できていないですけど」命について考えると、死を見つめることになる。「死ぬのはもったいないけど、命を使わない方がもっともったいない」という服部さんの人生観。山に登りながら、物事の本質を追求する哲学者のようで、話を聞くこちら側の背筋がぴんと伸びるようでした。(山本豊人)
■つっこみどころ満載とされている私の行為と思想ですが、サン=テグジュペリが『人間の土地』の中でいいことを言っています。「最初は、彼を自然界の大問題から遠ざけそうに思われた機械の利用が、反対に彼をいっそうきびしく、それらの問題に直面させることになる。」
◆発展途上にあった飛行機の話です。私の釣りバリ、鉄砲、ライターにそのまま当てはめるのはやや強引ですが、なんでも原始的な方法でやればいいということではない、という言い訳にはなりそうです。
◆正直に白状すると「フェアにやる」という私が好んで使う表現は正確ではなく「深みに達するためには」といった方が正しいのかもしません。金属製品をまったく持たず、毎日きりもみ火起こしでは、その部分が大きなネック(限界)になってしまい、登山行為が成り立たず、少なくとも私が知りたいと望むことには届かない可能性が高くなるということです。
◆今回の報告では、命とリスクというのがいちおう、裏テーマになっていました。ずっと山登りをしてきたので、リスクとは何かを考えてきたつもりです。遭難とは登山の要素なのか、それとも別のことなのか。死が生命に含まれているように、遭難も登山に含まれているというのが、現在の結論です。
◆当たり前のことがわからずに悩んでいた理由の一つは、登山者の中に遭難者の捜索で自己表現をしようとする輩がいたからです。いますよね、窮地に陥った人を救い出すことに情熱をかける人。優しい人と評価されることもあるようですが、他人の窮地というのを前提にしている時点でなんだか卑怯な感じがします。
◆自然を舞台に自己表現することが登山であるなら、そこでミスしたときに死ぬのは当たり前です。助けてもらうことを前提にした挑戦は果たして挑戦なのか。そういう挑戦があってもいいですが、それは、自分の力といえるのか。
◆車の安全性能が上がっても、事故後の死傷率は下がらないという調査があります(文献は忘れました)。車の安全性能が上がっただけ、人がアクセルを踏んでしまうためです。無意識のうちにリスクの許容範囲を誰もが見積もっているわけです。登山者にも同じことが言えます。山は危険だとわかっているのに、その危険を試したくて山に行く。装備が良くなろうと、ビーコンのような装置が生まれようと、そのぶんリスクも上積みしていれば結果は同じです(装備が良くなった分、出来高は上がることになります)。何を言いたいかというと、一見いろいろなことが改善されて良くなっているようで、それぞれがリスクを背負って、生きていることは変わらないし、ついつい背伸びして挑戦してしまう行動者の性根を治すことはできないってことです。
◆麻生さんが「終期高齢者はとっとと死んでくれ」みたいな発言をして問題になっていましたね。国益や経済の立場からなら、何も生産しないで医療費がかかる老人に死んでもらいたいというのは筋が通っています。そこに「我が家のおじいちゃんに死ねってのか」と個人の感情をぶつければ、すれ違いになるでしょう。
◆私が撃ち殺すケモノたちによぼよぼの老獣はいません。病獣もいません(流行の疥癬病はときどきいます)。彼らは若く健康で美しい。一方、我々はどうですか。数日前の新聞に象の長寿記録更新の話が出ていました。野生状態にない象の長寿を象全体の記録とするのは私流にいうなら「フェア」ではない。一方でついこの間まで延び続けて来た日本人の平均寿命。控えめに見積もっても、我々も野生状態から飼い慣らされた存在になっている一つの証拠の気がします。
◆長寿は、自己保存本能とベクトルがぴったり重なるので、疑問なく「善」とされていますが、不健康不健全(不自由も?)で長寿は善なのか、考えなくてはならない時代かもしれません。そもそも病死というは不自然な死なんですかね。災害で死ぬのも、事故で死ぬのも、病気で死ぬのも、私には自然死の一つに思われます。自然界の鹿がそうやって死んでいるはずだからです。みんな長寿で大往生って方がよっぽど不自然なんじゃないでしょうか。
◆アルジェリアの件以来、テロの暴力性ばかりが取りざたされていますが、現地でのプラント建設は、商売(金儲け)であり、政治的な暴力にさらされる危険を含んだ仕事であることは承知されていたはずです。ならば、今回の事態は充分想定内だったんじゃないんですかね。殺された方々も自分の人生(職業)を自分で選んだのだし、報酬にもそれなりの色が付いていたはずだというのは、人情に欠けるのでしょうか(私も登山を食い物にして生きているんだから、そのうち登山からしっぺ返しを受けるのだろうなあ、と思ったりします)。
◆さらにはアルジェリアの発展に貢献していた外国人という表現も、「発展」と「貢献」という言葉は、商売や経済的な発展、天然資源の消費が善だという、我々の立場や価値観であり、それを押しつけようとしているということでは、テロリストと同じかもしれません。暴力的ではないのが大きな違いなのでしょうか。静かにゆっくり文化汚染するという意味では、暴力より悪いということだってできます。
◆こういう意見発表の場があると、ついつい自分の在り方や、社会の在り方に関して、えらそうな意見を言っています。でもそれは結局、自分がそこそこ健康な月給取りとして上手いことやれているからかもしれません。立場が変わったときに同じことが言えるのかということを、念頭に置いてもう一度考えてみる必要がありそうです。なんにせよ、いま我々が抱え込んでいる問題には、短期的にすべてが解決するような、画期的な方法はなく(ハイパーウィルスの爆発感染くらいしか)、私はぼちぼちフェアに生きていこうというくらいしかないのかな、といった感じです。
◆「報告者からのひとこと」には中距離走の話をリクエストされていたのですが、それは「岳人」の連載の5月号で書く予定です。(服部文祥)
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