2012年5月の地平線報告会レポート


●地平線通信396より
先月の報告会から

ユーコンの長いお散歩

本多有香

2012年5月25日 新宿区スポーツセンター

■大好きな犬たちと、大自然の中を一緒に冒険できたら、どんなに楽しいだろう。生活のすべてを夢に賭け、笑いながら泣きながら、前へ突進してきた犬ぞり一色の14年間。念願だった永住権を取得し、カナダに本拠地を移したマッシャー(犬ぞり使い)の本多有香さんが、報告会のために凱旋帰国した。

◆なぜ犬ぞりをやろうと思ったのか? 犬との出会いは、幼少時代にさかのぼる。1枚目は、新潟の実家で飼っていた紀州犬の健太郎と、4歳の小さな本多さんがよりそって立つ写真。「甘えない性格がたまらなかった」というケンチャビとの暮らしで、犬は恐くないと知った。

◆「真っすぐで熱い人」と憧れる宮沢賢治と同じ、岩手大学農学部に入学。在学中に旅したカナダで、喜んで走っている犬たちを見て、犬ぞりレースに心奪われた。卒業後2年半、就職して資金をつくり、手がかりを求めてカナダ大使館へ。ある有名マッシャーの連絡先を聞き、「なんでもするので雇ってください」と熱烈な手紙を送ると、「OK」の返事が届いた。周囲の猛反対をふりきって会社を辞め、カナダで住みこみハンドラー修行(マッシャーの見習いとして、犬の世話全般を行う)が始まった。

◆犬200匹の世話を1人でこなすのは大変だったが、充実した日々。しかし、テレビで長距離レースを目にしてはっ、とする。やりたかったのは中距離ではなく、長距離じゃないか。なんのためにここまで来たの? 自問自答し、環境を変えることを決断。無謀にも軽装で自転車をこぎ、アラスカを目指した。寒空のもと、風邪と疲労で倒れこんでいたところを、通りがかりのトラックに拾われた。偶然出会ったその人の縁で、長距離レースのマッシャーと知り合い、ハンドラーとして再スタートをきることに。

◆ここで、何かを察した江本さんが、「ヤクが切れたんで……」と助け船。本多さんはすかさず隠れて缶ビールを飲み(隠しきれなかったけど)、投入量に比例して、口がなめらかになっていった(直前に空けた缶ビール4本では全然足りず……)。

◆壮大なスケールの素晴らしい写真とともに、過去のユーコンクエストを振り返る。初参戦が叶った2006年、険しいイーグルサミットで、記録的な嵐に遭遇。レース続行を強く希望したが、主催者側の判断で強制リタイアへ。2007年は、コースの中間地点で棄権。人から借りた犬が亡くなってしまう辛いアクシデントがあり、犬ぞりを辞めようと本気で考えたこともあった。2009年は、リーダー犬の不足で苦戦。本多さんがリーダーになり、犬たちを導いて山越えするという前代未聞のこともやってのけたが、ゴールを目前にしてリタイアした。

◆コース途中にはチェックポイントがある。到着すると、休む間もなく雪からお湯をつくり、事前に凍らせておいた細切り肉を溶かす。それを犬たちに食べさせてから、自分も仮眠をとる。手際の良さが、その後のレース展開に影響するため、雪を溶かすクッカーという装置(ドラム缶の側面に複数の穴をあけたようなもの)には、改良を加え続けている。

◆今回、新潟の職人に修理を頼むため、その小型ドラム缶状のクッカーをはるばるカナダから手で抱えて来た。空港では、当然不審者扱い(検査犬に調べられたり)。日本に来てもこの異様な容器を必ず片手にぶらさげながら、高円寺から四谷へも歩いて移動し、交通費を浮かす。

◆2012年のクエストの話に。4回目の挑戦で、ついに初完走したことは記憶に新しい。スタートの朝は快晴。休憩中にそりを手入れする本多さんの顔は、心底嬉しそうで幸せそう。それから数枚の写真を経て、あっという間にゴール場面に。最新レースの報告はあっさり終わってしまい、「あれ。もっと苦労してもらいたいねえ」と、江本さんも拍子抜け。

◆白い景色が一転し、写真は鮮やかな緑に変わった。2011年夏のホワイトホース。1か月110ドルで場所を借り、木を切り土地をひらいて、市販の丸太小屋キット(約90万円)を、大工仕事の得意な友人と組み立てた。夢だった自前のキャビン。そばにずらりと並ぶ犬小屋の入口は、お互いの顔がすぐ見えるよう、すべてキャビンと向かいあっている。

◆レース必需品のトレーラーは、中古のものを借金して約100万円で購入した。青い車体に白い線で、長野亮之介画伯の通信予告用イラストを模写し、トレードマークに。トレーラー内のドッグボックスも、もちろんお手製。四輪バギーは、雪がなくなる8月以降、犬たちがそり代わりにひいて訓練する。

◆大好きな犬たちの写真が続くと、本多さんは前のめりで釘づけに。「本当に申し訳ないんですけど、うちの犬が1番かわいいんです!」。野心が光る子、甘えたがりの子、キャラクターが面白いくらい顔によく出ていて見飽きない。和風顔の「茶豆」、美犬の「ヤッコ」ちゃん、「梅Q」、あわせて“ツマミ三兄弟”。

◆クエストは、スタート時に8?14匹、ゴール時に6匹以上の犬がいることが参加条件(調子を崩した犬は途中でリタイアさせるので、だんだん数が減る)。4つの山越えを含む総距離1600キロを、2週間前後で走る過酷なレース。勝負の鍵を握るのは、先頭を走るリーダー犬の存在だ。優秀なリーダーを多く育てることが、マッシャーにとって重要課題。14匹のうちリーダー犬が5?6匹いると、疲れても交代できるので理想的だという。

◆リーダーはどうやって生まれるのか? 向き不向きがあり、リーダーになれなくても、別のポジションで得意分野がある。個々の才能を早く見極め、適切に育てていくのも、マッシャーの仕事。リーダーに求められるのは、レース中のどんな困難にもひるまない、メンタル面の強さ。遺伝的な影響も大きく、だからこそ交配の仕方にとても気を使う。

◆午後8時の休憩に入る前に、前日納品したばかりの本、『うちのわんこは世界一!』がお披露目された。編集制作にあたった丸山純さんが、熱をこめて内容を解説し、次々と来場者の手にとられた。続いて、地平線会議を代表して、長野さんが花束を贈呈。本多さんが驚いて受けとると、会場からの大きな拍手が快挙を祝福した。

◆自分のことを話すのが苦手な本多さん。なんとかお話していただくため、後半はQ&A方式に。まずは江本さんから、「なんで、あたまが丸坊主なの?」。「朝日新聞報道局スポーツ部の近藤幸夫記者が今日は来てくださっているので、夏の甲子園に向けて……」、はぐらかされてしまった。本人は言いたがらないが、がん治療中の友人へエールを送るため、カナダの仲間たちとバリカンで刈ったというのが真相だ。「大きな湯船につかりたいというリクエストで四谷の銭湯に出かけたけど、腕はすごい筋肉だし、間違えて女湯から追い出されないか心配だった」と江本さん。

◆「右目下の傷跡は?」。「交配させたい犬たちをくっつけたら、メスのほうが7歳の処女で、痛がってものすごく暴れて……」。派手にひっかかれ、鼻の高さまで頬が腫れた。しかし、その翌日は予定通り200マイルのレースに参加。抽選で1番滑走を引きあて、伝統で市長と握手して撮影する役に。顔の左側を向けて、なんとか乗りきった。そんな経緯で生まれた、天使のような5つ子たちは、ぐんぐん成長中。

◆「鼻の上の茶色いあざは?」。薪割り中に角材が飛んできて、鼻血が止まらなくなった時のこと。その晩、中国人の友人にディナーに招かれていたので、応急処置して無理やり出かけた。仰天した友人が、「こういう場合はゆで卵が効く」と助言。熱くてもガマンと励まされ、患部にあてていたら、卵が熱すぎてやけどの跡に。そこまでしても、ディナーの機会を失いたくなかった。

◆あらゆるアルバイトで稼いだ資金は、わが子のために使うのが第一優先。21匹の元気な犬たちの食事は、アスリート用の良質なドッグフード。トン単位で購入し、年間約100万円がそのために消える。では人間の本多さんはといえば、「ごはんは人にたかったり……(笑)。教会やフードバンク制度でいただくこともあります」。犬ぞりはとにかくお金がかかる。愛するビールも、カナダでは極力飲まず倹約。今年のクエストでは15位で入賞し、賞金総額のうち2.16%にあたる15万円弱を得たが(優勝者は18.93%)、参加費にも届かない。

◆「完走したし、もう充分って、ハワイに移住なんて考えないの?」と江本さんが尋ねると、「わたしの目標はクエスト優勝なので、まだ1歩目です」ときっぱり。クエストとともに、世界で最もハードな犬ぞりレースであるアイディダロッドへの参戦も視野にある。思いは強くなるばかりだ。

◆「野生動物を狩り、犬のえさにしないのですか?」。会場からの質問には、「栄養バランスが計算されたドッグフードに頼るのが、結局は良策です」。補助的には与えるが、野生動物には寄生虫がいて、煮るなどの処理が必要。ちなみに本多さんは、野ウサギが大好物。「ポキポキって折って。とくにモモが最高です」。罠にかかった野ウサギをかついで歩くと、慌てた寄生虫がわっと出てきて、背中が大変なことになるらしい。

◆「オオカミと交配させないのですか?」。オオカミはまったく別の動物で、群れで走る性質。そりをひきたがらないので適さない。先人が工夫を重ねてつくりあげてきた、そりをひくのが大好きな“そり犬”の血を、後退させることになってしまう。

◆1990年に犬ぞりによる世界初の南極横断を達成した舟津圭三さんは、本多さんの奮闘を、現地で見守ってきた大先輩。舟津さんから本多さんを紹介された近藤記者を通じ、九里泰徳さんや江本さんも彼女と出会うことになった。この日富山から駆けつけた九里さんは、2006年のセーラムランに数日間帯同した。黙々とレースに取り組む姿を見て、「本物だ。すごいな」と印象づけられたという。「その後もトントン拍子に進むかと思いきや。人生はそううまくいかないのですね。かなり苦しいこともあったと思う」。ゼロの状態から挑んできて、ひとつの目標だった完走を果たしたことを、喜び称えた。

◆数々の冒険家やアスリートを取材してきた近藤さんは、ひとにぎりの人が持つに至る本物のプロの覚悟を、今の本多さんからも感じていると話した。「有名になりたい気持ちがまったくないので、そこがよけいに素晴らしいのかなという感じがします」と近藤さんがいうように、本多さんには、犬ぞり以外の欲がまったくない。犬が好き、犬ぞりを続けたい、その情熱だけなのだ。

◆レース最中の写真は、ライフワークとして長年犬ぞりを撮ってきた、フォトグラファーの佐藤日出夫さんによるもの。「彼女の苦労ははかりしれないものがある。今回のゴールは、本当に嬉しかったです」と力強く語った。佐藤さんが写真を無償で提供してくださったおかげで、本の制作も実現した。佐藤さんがマッシャーたちに「ユカはどう?」と尋ねると、口を揃えて「貧しすぎる」と答えが返ってくるそう。「これから上位を目指すなら、絶対にお金が必要」、現場を知る佐藤さんの言葉が重かった。レース経験のない若い犬のチームで、クエストを走破したこと自体、実際に驚くべきことだが、「技術だけを見れば、本多さんは一流のマッシャーにも劣らない」と佐藤さんはいう。

◆江本さんが本多さんに報告会の依頼をしたのが4月。「お金を使いきって航空券代が払えないので、日本に行くのは無理です」、何度も断られたが、「なんとかするから」と引かなかった。相談を受けた丸山さんが、本を作り、売上をカンパにすることを提案。航空券代と犬たちのえさ代になればと、200部限定で制作した。本多さんの突きぬけた生きかたが、この本につまっている。

◆むしょうに人を惹きつける、この不思議な魅力の正体はなんだろう? 喜怒哀楽あふれる犬たちの表情は、彼らが全力で愛され育てられ、幸せに生きていることを物語る。「世界一!」と誇る犬たちへの愛情こそ、ほかの誰もかなわない、本多さんの強さではないか、と江本さんは話す。

◆報告会翌日、新潟でクッカーを預けてから、本多さんはカナダに戻った。10日ぶりに再会した子犬たちは、ひとまわり大きくなっていたそうで、「親がなくとも子は育つというもんです。これから毎日一緒に散歩っすよ」。来冬に向けて、やるべき仕事は山ほどあるという。またしばらく、ビールはおあずけ。海の向こうの森の中の、電気も水道も通らないキャビンで、今日も犬たちと一緒に、トレーニングに励んでいることだろう。(大西夏奈子


報告者から

本当に、不思議なくらい、うちの犬は美犬ぞろいです。親ばかとかそんなものではなく真実です。
本多有香

 お元気ですか? 私は無事にホワイトホースに戻り、日照時間が長くて真夜中でも明るい為か、毎日浮かれています。

 帰ってきたら、子犬たちは一回り大きくなっていました。うちの「世界一」たちは、暖かい太陽の下で幸せそうに、そして大量の蚊に血を吸われようともお構い無しに、ひたすらゴロゴロと寝ています。

 お金や仕事のことを考えて本当は帰国しない予定だったのですが、押しに弱い私は江本さんからのパワー溢れるお誘いを断りきれず、一抹の不安を抱えての帰国でした。でも江本さんは正しかった……。行って本当によかったです。というわけで、東京では大変お世話になりました。いっぱい食べて飲んで笑わせていただきました。生まれて初めて三社祭を見に行くことも出来ました(いつもお世話になっているよしみさんと吐渓さんに連れられて)。空手の演武も見れました。湿気の多い懐かしい日本を味わえました。銭湯に(坊主頭で)入ることも出来ました。朝日新聞の近藤さんが設定してくださった飲み会で、久しぶりにアラスカでよく会っていた舟津圭三さんと柳木昭信さんと飲むことも出来ました。姉に会って甥っ子と遊ぶことも出来ました。えも煮しめを腹がはちきれるほど食べました。日本の流行り言葉「ぱねぇ」を知りました。毎晩のように江本さん宅に呼び出した「可愛い大西さん」を満喫することもできました。ちなみに、飲んだ勢いで嫁に来てください!と誘ってしまい、「実際OKだったらどうしよう? キャビンを改築か?」などと心配してさえいたのに、こちらは残念な結果に終わってしまいました(出直してきます)。

 報告会では今回もまた、麦酒の力を借りてのお話になってしまい、大変失礼いたしました。私は、犬ぞりというマイナーな競技にしがみつき、いつまでたっても結果は出ないし、自分を売ることもなんだか違う気がして結局日陰に居続けて、魂は抜かれないと分かっちゃいるけどどうにもにカメラのレンズが苦手で、そして好機があればビールばかり飲んでいるものですから、自分の話をしろといわれても困ってしまうのです。いつものことですが時間を稼ぐことばかり考えていました。師匠(佐藤日出夫さん)のグレイトな写真のおかげでなんとかなりました(?)が、江本さんをはじめ、みなさん本当に内心ヒヤヒヤしていたのでは?と思います。もう、何を話したのかさえ覚えていませんが、みなさんの暖かい眼差しだけはしっかりと記憶しています。

 それから、私の知らぬ間に話が進み、あっという間に出来上がっていたという伝説の作業が生み出した「ユカ本」。自分の為にこのようなものを作っていただいたこと、心から感激しました。本当にありがとうございました。改めて、地平線会議ってすごいと思いました。あの出来栄えですから、かなりの時間と労力と技がかかっていたのだと思います。坊主、号泣です。

 わざわざ私の拙い話を聞きに来て下さった皆様、ユカ本を購入してくださった皆様、いつも応援してくださっている皆様、本当にありがとうございました。これからまた私の「世界一」たちと一緒に、世界一目指して頑張ります。

 追伸:本当に、不思議なくらい、うちの犬は美犬ぞろいです。親ばかとかそんなものではなく真実です。機会がありましたら、うちの可愛すぎるワンコに会いにホワイトホースへ来てください。

 それから、帰国したらまた一緒に飲んでください。よろしくお願いいたします。

あるのは強力なビール飲酒力と犬橇への熱き思いのみ。だが、静寂な雪原に犬のハーハーという息遣いと、スレッドのライナーの滑る音だけの世界は体験しないとわからない

■本多有香と出会ったのは2004年。舟津圭三さんと朝日新聞の近藤さんからの紹介である。ちょうど昼に東京駅の喫茶店で会ったのだが、昼からビールを飲むことになった。私は気がすすまなかったが、3杯目を飲む頃には有香と意気投合していた。今もそうだが、金ない、コネない、装備ない、のないない尽くしで、あるのは強力なビール飲酒力と犬橇への熱き思いであった。後日、江本さんやM社を紹介したりと、彼女が滞在中に私ができることをしたのである。

◆それからほどなくして、レースではないがアイディタロッドとほぼ同じコースと距離を走るセーラムランにエントリーし、私が同行取材することになった。薄着でマイナス20度のアラスカの小村・ウナナクリートに降り立ち、翌日からスノーモービルで有香と犬たちを追い続けた。まったくの静寂な雪原に犬のハーハーという息遣いと、スレッドのライナーの滑る音だけの世界。その世界は体験しないとわからない新しいゾーン体験だ。

◆この時は無事完走。次なるアイデタやユーコンクエストが目標となる。2006年に金や犬や装備の問題を乗り越えて、初めてクエストにチャレンジする。この時も同行取材をしようとWEBで結果を追いかけていた。残念ながらのリタイア。舟津さんからは「まあ完走はできないね」と聞いていたので、当然の結果だったのだろうが、クエストに出ただけでも実はすごいものだった。

◆それからというものたまにメールで短信が入る。「大先生(なぜか私の有香からだけのあだ名)!、やっと永住許可取れました!」といったもの。応援はし続けていたが、結局それ以降のクエストへの取材もかなわず、今回のゴール! WEBで見たゴールの写真は満面の笑顔とやはりのビール握り! 粘り勝ちかもしれないが、よかったよかった。出会ったときの32歳の有香ちゃんももう40歳となる。どんな40代を過ごすのだろうか。ビールはドラム缶何杯も飲むのだろうが、僕も頑張らねば。(九里徳泰

じつに元気が出る本に驚愕。構成から印刷まですべてをこなした丸山君の仕事術にも脱帽。この本は、若者に読んでもらいたい

■ご無沙汰、お許しください。地平線通信、いつも読ませていただいています。江本さんのバイタリティーはどこから湧き出してくるのか? いつもいつも感服しています。有香さんの本、さっそく申し込みをしたところ、昨日、本が送られてきました。まだパラパラと見ただけですが、じつに元気が出る本に驚愕。構成から印刷まですべてをこなした丸山純君の仕事術にも脱帽。

◆まず最初に感じたのは、若者に読んでもらいたい、ということ。江本さんの書き下ろしの第1部は若者を叱咤激励する姿勢に貫かれていてじつに爽快です。特別で独特な思い入れが素晴らしい。その思い入れが若者を鼓舞する。江本さんは真の教育者だ! 

◆有香さんもそれはそれは強靭な精神の持ち主。興味、好奇心、初心を忘れない気持ち、やっぱりこれしかない。地平線通信に掲載された有香さんの文章はこれまでに読んできたものの、あらためてじっくり読ませていただきます。報告会に顔を出さずに失礼しています。毎金曜は個人的な勉強会があるためです。悪しからず。(麻田豊

わんこ、わんこ、わんこ

■先週帰京し、ようやく『わんこ』を手に取りました。予想していたより遥かに濃い内容! どっから見ても、僅か2週間で纏め上げた緊急出版とは思えません。EMNトリオを核にした制作スタッフのスキル&機動力に、またもや絶句させられました。

◆しかし、いくら素材自体が素晴らしくても、そこにどれほど選りすぐりの編集者、ライター、イラストレーターを充てても、こんな本は絶対に作れません。云うまでもなく、彼女の活動を長年見守り、声援を送ってきた地平線会議だからこそ、いや、地平線会議にしか、成し得なかった作品だと思います。本当にページを繰るだけで誇らしくなる1冊(私は何一つ手伝っていませんが…Åjですね。あ、「第一部」扉の、本多さんの手書きサインも良かった。何だか気持ちが伝わってくるようで。(久島弘

山形から本多有香に会いに行って、ついでに野宿に加わってみた

■ずっと応援していた本多有香さんの報告会とあって、久しぶりに東京に出かける気になった。東京に行くのも、バスや電車に乗るのも、一昨年のぐるぐる(海宝道義さん主催お台場船の科学館周回24時間リレー走のこと)以来のこと。どうせならと二次会場の「北京」から野宿の流れに乗ってみることにした。

◆スカイツリーは興味無し。東京に金曜朝から日曜の昼前までいたが、E本さんちで麦ちゃんと遊んで、ひたすら掃除して、報告会、「北京」、公園野宿、パン屋だけで終了。ただ本多有香の顔が見たかったから。話すの苦手な彼女の困った顔、わんこ自慢の時だけ心底嬉しそうな顔、ビール飲んで幸せな顔。そんな顔を見られて、東京まで行って本当によかった。また熱い冬にしてくれることを期待してるぜ!

◆そして初の公園野宿は、田舎者にはやはり、なかなか落ち着いて眠れる環境ではなく、お掃除のおじさん部隊がすぐ近くをがんがん掃除していても眠り続ける野宿もんたちを畏敬の目で見つめるばかりでした。やっぱり野宿は山の中がいいなぁ。クマの心配してるほうがいいなぁと思うのですが、田中幹也さん、緒方敏明さんなど、通信でしか知らなかった方の生態をかいま見られて、なかなか興味深い世界ではありました。(山形市 網谷由美子


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