■真っ白な山塊が目に飛び込んできた。それはラダックから見た、雪を冠したヒマラヤ山脈の写真。 インド北部のラダックはヒマラヤ山脈とカラコルム山脈に挟まれた険しい山岳地帯にあり、中心都市のレーは標高3500m、冬になると雪と寒さに閉ざされる。桃井和馬さんは昨年初めてラダックを訪れた時、海底から地殻の衝突により8000mも隆起したヒマラヤの複雑な地形を目の当たりにして、改めて「地球は動いている」と感じたという。
◆報告会は2011年3月16日の震災直後の釜石の様子から始まった。当時被災地の人々は興奮状態でテンションが高く、地震の様子を話したがったことが印象的だったと桃井さん。原発事故の要因は、戦後日本の過度の科学信仰が自然をも征服できると過信してきたことにある、と言う。
◆原発問題を考える時、それまで桃井さんは原発を完全に容認してきたそうだ。それは人類の欲望が加速度的に伸びた時、エネルギーの不足は戦争に結び付くと考えていたためだ。しかし、東日本大震災では想定外の津波により原発から放射能が漏れ出した。過去数万年を振り返ると、地球は何度となく震度7レベルの地震を経験してきた。驚くことに高さ100mの津波に覆われたこともあるという。地球の歴史は想定外の連続だ。「放射能の影響が2万4千年にも及ぶプルトニウムなどを扱う原発技術。本当に現在の科学技術が数万年先の安全を保障できるのか?」という疑問に、桃井さんは「NO」という答えを出した。
◆会津の安達太良山山頂にある「八紘一宇」の石碑がスクリーンに映される。それは大戦前、昭和15年7月に日本がアジアの植民地を正当化するために掲げられたスローガンで、石碑は昭和15年8月に安達太良青年団が山頂に設置したものだ。国が掲げた方針を従順に受け入れることで、どれだけ多くの福島県民が犠牲になったか。
◆そう考えると、今回の原発事故も同様の意味を持つのではないかと桃井さんは言う。政府の方針として東京の電力を賄うためにフクシマは原発を受け入れ、利益も享受してきた。しかしその結果、原発事故により放射能汚染の犠牲となった。太平洋戦争への邁進と原発推進という政府の方針に2度も騙され、2度権力の暴走を許してしまった「フクシマ」。
◆現在の「フクシマ」の中心は飯館村だと桃井さんは考える。昨年12月から除染作業が始まり、飯館村役場周辺は除染の象徴的なエリアだ。自衛隊により汚染表土が取り除かれ、高圧洗浄機によって路面が洗い流される。その結果、線量は半分以下になるという。除染作業の様子がテレビで報道されると汚染問題は解決に向かっていると都市部の人々は考える。
◆しかし、それは一時的なもので再び線量は上昇していく。そして除染エリアから数メートルの対象外のエリアでは依然数値は高いままだ。東京に暮らす我々もこの除染の現実を知らなければいけないという。皮肉なことに線量の上昇による除染作業でゼネコンの仕事は増加しており、その結果日本のGDPは上昇しているそうだ。
◆今回の原発事故では、徹底的に専門分化が進んだと桃井さんは考えている。人類は専門分化により高度な文明を持つに至った。しかし行き過ぎた専門化は、総合的な判断を難しくした。桃井さんの父親は広島で原爆を受けており、度々その恐ろしさを伝えていたそうだ。そして桃井さんの娘が生まれた時、父親は精神的にバランスを崩したという。「もしかしたら……」と言う不安。それは桃井さんが誕生した時にもあったもので、専門家の数値化された説明では解消されないものだ。
◆被災地での一週間の取材の後、桃井さんはラダックに入った。ラダックはインドとパキスタンの国境付近に位置する。インド側をジャンムーカシミールと言い、その一部にラダックがある。そこはインドとパキスタンの紛争地帯で、1974年まで鎖国状態にあったため伝統的な文化が残されたそうだ。
◆冬の間、およそ6ヶ月間は電気が制限される。一日のうちで電気が利用できるのは18時から23時まで。ラダックでは主に水力発電が行われるが、冬期は発電所の水が凍結するため発電できないのだ。突然の停電にも人々は「アッ」と声を出すことも無く、淡々と暗闇を受け入れるという。
◆「真剣に生きている人は顔がいい」と桃井さんは言う。日焼けした肌にしわが深く刻まれたラダックのおじいさん。それは無垢な心のままで、長い歳月を重ねてきた人の顔だった。本当に質素な生活を送りながら、毎日多くの時間を勤行に捧げるチベット仏教僧侶の生き方。麦焦がしとバター茶をという質素な朝食のために、朝5時から2時間も勤行を上げる。自分の命が生かされているという意識、生きとし生けるものへの畏敬の念。ラダックでは自然が厳しいが故に、人間を超えた存在と対話する必要があるのではないか。
◆桃井さんは3.11の前まで日本人の顔をほとんど撮らなくなっていた。それは日本人の顔が面白くなくなったからだ。しかしラダックで真剣に生きる人を前にして、写真を撮るのではなく、彼らに撮らされていると感じたそうだ。有名なお寺の高僧も同じく質素に暮らし、僧侶でもない人まで一日中祈り続けている。桃井さん自身、ラダックの人々の様に人生を歩んでいきたいと言う。
◆1960年代に独立したアフリカの国々では、消費の耐性が無い人々は一気に消費文明を吸収して、それまでの価値観をなくしていったという。しかしラダックは1974年以降、哲学者で環境活動家のヴァンダナ・シヴァという女性リーダーのもと、アフリカ諸国を顧みながら選択的に文明を取り入れてきた。例えば「剥く」という行為一つを見ても、様々な道具がある。包丁と知恵でできることを、経済発展のために様々な道具を開発してきた。日本では経済発展と幸せはイコールであると考えられてきた。福島では除染作業によりGDPが伸びているが、本当に幸せに繋がっているのか? そんな経済発展なら要らないと桃井さんは言う。
◆厳冬のラダックでは、寒さに耐え我慢する人々の様子が印象的だったそうだ。アメリカの宗教学者ニーバーの有名な言葉に「神よ、変えられるものを、変える勇気を与えたまえ。変えられないものを受け入れる冷静さを与えたまえ。そして、変えられるものと、変えられないものを見分ける知恵を与えたまえ」と言うものがある。ラダックの人々は厳しい自然をあるがままに受け入れている。一方、日本では変えられないものを科学技術で変えようとした。それが原発行政であり、変えられるものを変えようとしなかった怠慢だ。
◆厳冬期1月から3月まで、ザンスカール地方の村への道は積雪で完全に閉ざされる。唯一の道は凍結した河川。これを桃井さんは氷の巡礼路と呼んでいる。人々は重い荷物を背負い、つるつるに凍った道をアイゼンもなく歩く。氷を踏み抜いても、一言の文句も言わずに濡れた足で歩き続ける。厳しい自然を受け入れる人々の氷の道だ。しかし、この道も変わりつつある。昔は10日間の道のりだったが、現在は道路の建設が進み3泊4日に短縮されている。あと2、3年でいつでも通れる自動車道が開通する予定だ。
◆桃井さんはラダックでは基本的に光を撮っていたと言う。光を見つめることで闇の重要性に気付いたそうだ。スクリーンにはラダックの家の様子が次々と映し出される。会場からは「すごい」という声が漏れる。
◆まるでフェルメールの絵画のような写真。完璧な構図と色彩、窓から斜めに差し込む光、冬のひんやりとした空気感、暗い部屋の中でポッと照らし出される女性の表情。絵画と錯覚するほどの美しい写真に言葉を失い見入ってしまう。ラダックの家は電気の照明を前提として造られてはいない。窓から差し込んだ光に、明かりと暖かさを求めて家族が集う。暗い部屋では、お互いの表情を確かめ合う。窓から差し込む光の陰影によって、家族の表情がドラマチックに展開する。桃井さんはフェルメールの絵画の意味がやっと分ったと言う。「電気の無い時代だったから、あの絵画のような空間ができたんだ」と。
◆暗闇を徹底的に抹殺したのが日本の近代化だと桃井さんは言う。現代日本の住宅では、部屋の全てが蛍光灯で明るくのっぺりと照らされる。家族はそれぞれの部屋で過ごす。ラダックでは家の中で、光の当たる場所が家族の集まる中心となる。その光と闇によってきちんとした人間関係が構築されるのだ。
◆報告会は後半に入り、SECMOLというラダックの現地NPOが運営する学校の紹介に移った。この学校はインドの大学に入学するため、共通進級試験の合格レベルに至らない生徒を教育する機関だ。学校は環境への配慮にあふれていて、生徒と教師が共同生活を送る。建物は土壁で作られ、断熱材は新聞紙を丸めたものが使われていた。太陽エネルギーを有効活用して、ソーラーパネルと蓄電池に加え、太陽熱を利用した温水器やビニールの大きな温室もある。その中では冬でも野菜が育ち、乾燥野菜を作る道具もある。そして物々交換コーナーやゴミの細かな分別回収などリサイクルとリユースが進んでいる。この学校は日本よりも先進的でエコロジーの最先端という印象だった。
◆桃井さんは、これまで探検界の先輩から「なぜ、地域やテーマを一つに絞らないのか?」と言われてきた。しかし地域を一カ所に絞るのではなく、地球の周りを回る衛星のように客観的に様々な地域を見つめたいと思って活動してきたそうだ。報告会ではラダックとフクシマの対比を主軸にしながら、桃井さんが見つめてきた地球の様々な写真が披露された。安達太良山山頂にある八紘一宇の石碑、厳島神社の千畳敷の何も無い空間、伊勢神宮をはじめ日本各地の深い森、電力エネルギーの拡大を象徴するチェルノブイリの送電線と鉄塔、コイユリーテで厳しい自然を受け入れるアンデスの人々、桃井さんは様々な事例を挙げて、一つひとつを有機的に繋ぎながら、文明に対する考え方を紡いでいった。
◆「豊かさ」と「幸せ」はイコールではないと感じた桃井さん。日本は物質的には豊かだが幸せではない、ラダックは豊かではないが精神的な幸せがあると言う。日本とは対極的な価値観だ。僕は工業デザイナーとして電機製品を創っている。自分がデザインしたモノを使ってもらう喜びがある反面、人々の欲望を扇動し、環境への負荷を拡大させる罪悪感も感じている。3.11以降そのジレンマは強くなり、「本当に必要なモノは何か?」を考えている。そのヒントはラダックの人々の、自然をあるがままに受け入れる姿勢と、文明を選択的に導入する知恵にあるのかもしれないと思った。(山本豊人)
暗闇が日本から消えてしまいました。暗闇を消したのは、現代の「進んだ」文明であり、その中心に電気があります。人間が作り上げた文明はしかし、自然の前ではまったく小さく、進んでなどいない。そのことを昨年震災直後の被災地で感じ続けました。そして原発事故は、人間のおごりが凝縮することで生じたのです。人間は「自然は征服する対象」であり、「科学技術でコントロールできるもの」と捉えてきました。その思想が原発を作りました。昨年、被災地を取材した直後、私はすぐにヒマラヤのラダックに飛びました。冬期、ラダックでは夜の数時間しか電気が通っていません。しかし電気のない生活は、「人間が慎みを忘れないため」にも必要なのだと、その場所で改めて感じました。
電気のない生活では、できないことが沢山あります。テレビだって見られないし、暗い場所では危険も多い。しかし電気のないことで、人は人間が自然の一部であることを強烈に意識せざるを得ないのです。朝日が昇る時刻に働き始め、夜、日が沈めば身体を休めるしかない。ラダックの人は、自然が支配対象だと、誰も思っていないでしょう。
確かに自然のリズムの中で生活することで「できない」ことは沢山あります。また経済発展も限られてしまいます。しかし、大量の人間が地球外で生きることができない以上、人間は自然のルールに則って生きるしかないのです。自然の前に人は慎みを持ち続ける必要があるのです。ラダックの僧院では「麦焦がし」と「バター茶」だけの朝食を、僧侶たちが2時間ほど勤行を続けながら食べていました。お堂の中も、息は確実に白くなるほど冷え切っていました。そして食べるのもたかだか麦とお茶。しかし、それは間違いなく「命」の受け渡しであり、だからこそ徹底的に僧侶たちは祈りを捧げるのです。
最後に、私の講演をまとめて頂いた山本豊人さんには、最大限のお礼をお伝えいたします。その上で、私の講演と山本さんのまとめて下さった原稿との間で、多少誤解が生じかねない点がありますので記させて頂きます。カタカナの「フクシマ」を、私は「原発景気を享受してきた人、組織など」を指して使っています。その意味で飯舘村はフクシマではなく、「福島」で理不尽な被害を受けている場所です。また「除染作業で日本のGDP上昇」というのは、あくまでも「ミクロ経済」においてです。(桃井和馬)
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