■「今日は大物ですよ」 司会の丸山純さんには珍しい一言で、ほぼ満員の報告会が始まった。不定期で『野宿野郎』を出し、2か月前に出版した『野宿入門』が好調に売れている加藤千晶さんが、本日の報告者だ。楚々とした雰囲気に加え、控え目で滅多に自分を語らず、真面目で、今日もコチコチの緊張ぶり。どうしても『野宿』とは繋がらぬ、謎多き人…。「いつの間にか地平線にいたという印象。女性がなぜ『野郎』なのか、何を考えているのか知りたい」 丸山さんの言葉も、会場の人々の気持ちを代弁していた。
◆千晶さんが野宿に目覚めたのは女子高生時代。映画「イージーライダー」や「スタンドバイミー」の野宿シーンに、「これぞ青春!」と打たれたという。そこで、クラスメイトと一緒に、高校のある横浜から80km先の熱海目指して歩き始めた。そして、戸塚付近の道路脇側溝で初野宿。映画のような荒野ではなかったが、夜遊びの経験がなく、「夜は家で寝るもの」と思っていたから、「帰らなくても良いんだ」の発見は驚きだった。ただ、敷物の用意もなく、春先早朝の冷え込みで眠れない。仕方なく歩き始め、やがて迎えた夜明けの光景に「ああ、これが青春だ」と感動した。
◆第2弾の日光に続き、高3の夏休み、初めて長旅に出た。本人曰く、「進学の悩みからの逃避」。1日35kmを目標に、竜飛岬?下関の本州1600kmを縦断する計画だった。駅の待合室寝や道の駅寝を身に付けながら南下し、途中で相棒が離脱した後も、一人で歩いた。夜の田舎駅は、地元のヤンキー集団の溜まり場と化す。ジャージー姿にツッカケで原付に跨って現れ、メンバーが揃うと、またどこかへ出撃してゆく。けれど、廿日市駅(広島県)では午後10時を過ぎても動く気配がなく、緊急避難的に逃げ込んだ『障がい者』トイレで、初のトイレ野宿を体験。空間は広くて快適だし、何よりも鍵が締まるのが嬉しかった。
◆小部屋にひそんでいると、時折、他の利用者の声も聞こえる。千晶さんの観察では、用足しのオジサンのモノローグは、テンションも高低のいずれからしい。「俺はダメだ…」と呟くか、さもなくば陽気に歌うか。時には男女の痴話喧嘩も耳にした。お巡りさんの訪問も、野宿に付きものだ。大概は、問い合わせの電話に出た母の、「旅行です」の返答で家出の疑いは晴れ、「じゃあ、気をつけてね」で終わる。一度だけ、ビジネスホテルに泊まった。「ああ、これがビジホか」と思った途端、ポロポロと涙が出たという。「オープンスペースに泊まるのって、結構緊張してるんだなぁ」 ホッとしたことで逆に、頑張っていた自分に気付いたのだった。
◆スライドの32枚目は、駅前の、何の変哲もないタクシー連絡所。が、千晶さんは特別の思いで眺めた。「私、何やってんだろうなー」。予定が遅れて既に新学期となり、同じ高校生の通学風景を、ここで目にしたからだ。結局、ゴールの下関に到着したのは、新学期が始まって10日後だった。けれど、道はまだ延びている。その光景に、「もっと先に行きたいなぁ」と思っている自分に驚き、「楽しかった。大学生になっても続けよう」と心に決めて、進学野宿は終わった。
◆この旅では、特に旅費稼ぎのバイトはせず、貯めたお年玉などを資金にした。基本は、パン1斤を朝、昼、夕に分ける倹しい食生活。1日に1つくらいは食べ物をもらったものの、「交通費を除いて5万円」のツケが、体重7kg減となって現れた。
◆大学生になって最初の野宿旅では、四国を一周した。この時、駅周辺の食堂が、時間潰しに最適であることを知る。たむろっている地元の人たちと、「どうしたの?」「いや、実は…」のやりとりが始まり、「ちょっと○○さん、泊めてあげなさいよ」と店のオバサンが世話を焼いてくれたりする。地元の店だから、安全な人物を紹介してもらえ、他の客も成り行きを知っていて安心だ。
◆また、頼めばコインランドリーに泊まれることも発見した。閉店の施錠時に一緒に閉じ込めて貰い、店内のマンガを敷き詰めてベッドにする。人の厚意に甘えることの多かった女子高生旅の反省から、『大人の野宿』を決意した筈なのに、「コスっからくなりました」とは千晶さん。
◆就職を控えた大学4年生の時、またもや長い野宿逃避行に出た。2度訪れた四国では、何周もしている「遍路が人生になった」人たちに出会い、そういう生き方があるのか、と驚いた。「ここも廻っている人が多いから」それが北海道を選んだ理由だった。そしてこの旅でも、ライダーハウスで連泊しながらタコを獲っている青年、滞在先でローカルバスの運転手をしてる男性、毎日サケを釣っては、食べ切れない分をセッセと燻製している人などに会った。
◆千晶さん自身、「居候制度」のある徒歩宿に住みついた。廃校を利用した広い施設ながら、普段は客もなく、掃除が終わればマンガを読み耽る。ある日、痺れた脚でジャンプしたら、グキッと音がして骨折した。「野宿しないから体がナマったのかなぁ」 医者は入院を命じたが、それを振り切ってママチャリを買い、旅を続けた。
◆数多くの自由な生き方に出会った千晶さんは、彼らのライフスタイルに惹かれる一方で、自由と不自由がコインの裏表であることも痛感した。仲間の一人が車に接触した時、「ケガがなくて良かった!」と、みんな心から喜んだ。それも、保険に入っていなかったが故だ。野宿を日常にするより、趣味にして、「働いて時々野宿」でいこう。それが、約5か月に及んだ就活野宿旅の結論だった。
◆大学卒業後、千晶さんは資格を取って介護の仕事に就く。週3日ながら、一人暮らしする障がい者の夜間の付き添いで、拘束は16時間。年1回、1か月の休暇をもらって野宿旅に出た。社会人になって2年後、『野宿野郎』を出し始める。動機は、野宿から遠ざかってしまう寂しさと、「こんなことやってます」といえるモノが欲しい、との思い。このミニコミ誌が呼び水となり、人も巻き込んで、千晶さんの野宿遊びの新たな展開が始まった。都会の公園での野宿。渋谷駅のモアイ像前などで、寝袋姿で寝っ転がるパフォーマンス。自主制作ビデオ『野宿戦隊!シュラフマン』も撮った。
◆寝袋から眺めると、見慣れた光景が異空間となる。自由に旅に出られないなら、逆に身の回りを非日常世界にすればよい。母の誕生日にケーキを用意し、実家前の公園で“母子野宿”したが、その異空間効果で、普段は聞けない話も聞いたという。05年、『のじゅくの日』(6月と9月の19日)を制定。「6」や「9」を左右に90度回すと「の」になる、との洒落だ。
◆雑誌などでの紹介が増え、ドイツのメディアが取材に来たりもした。「日本では野宿が流行っており、サラリーマンが仕事帰りにやっているらしい」 先方のそんな期待に応えるべく、知り合いに頼んでモデルとなってもらったが、「富士山に登るのと野宿するのは何が違うのか?」の質問にはマイった。
◆07年秋からは、地平線チャリンコ族の熊沢正子さんと「1泊野宿」を重ね、河口から多摩川を遡った。デメリットの方が多い。そう思っていた女性の野宿も、女2人だと安心だし、警戒されることも少ない。川っぺりで暮らす、「ホームレス」の住まいにもお邪魔した。ガラもの拾いを生業とするオジサンは、「別宅に泊まればいいよ」と荷物を外に出して小屋を空けてくれ、その小さな空間で寝袋の脚を曲げて一泊した。草むらを畑にする人もいる多摩川の異空間ぶりは、面白く、豊かにさえ思われた。
◆この秋、都内の書店で、『野宿入門』の出版記念トーク&野宿を開いた。そのまま参加者と店の横で呑み会となり、地元の人も加わって盛り上がった。が、やがてお巡りさんがやって来た。書店の店長が謝り、「君らはウルサいから、早く寝てくれ」の注意だけで収まった。千晶さんは、『都心で野宿』ばかりが注目される最近の風潮に、少々疑問を感じていたという。しかし、この体験で、街なか野宿も土地の人とのコミュニケーションの場となることを知り、「これも良いではないか」と思い直したのだった。
◆報告を締め括る最後のスライドは、「たった1人の子供の通学のため、1日1往復だけ列車が停まる」という上白滝駅(北海道)と、波照間島(沖縄)のビーチ野宿の静かな風景だった。それは、今や「売れっ子」の彼女の、潜在願望かとも思われた。ほんわかしたイメージや脱力文体、時には奇抜とも思える彼女の活動も、実は単なる目眩まし。その原点は、極めて『地平線的』なのかも。謎が解けたような、深まったような…。
◆当の千晶さんは、2次会後、報告会場での表情がウソのような笑顔のまま、小雨パラつく中を3次会野宿の公園へと消えていった。[屋根fanだメンタリスト:久島 弘]
■最初、自分の声がうらがえるわ震えるわで、どうしようかと思いましたが、と「が」で始まると、あたかもその後どうにかなったかのようですが、そうは問屋が卸さない。結局あんまり大丈夫にもならず、しばらくすると声は普通になったものの、「わたしは一体全体なにを話そうとしているのだ。自分でも判らん」と、おのれの言葉足らずさに愕然とし、もどかしさを感じながら、あれよあれよという間に終わったのであり、しかも途中途中で、「頼む、もーなんでもいいから時よ過ぎろ!」と念じたりもしており、まったくもってダメダメな報告者でありました。
◆思えば、10月にお話を頂いてから、身に余る大役、というかそれ以前の段階で、わたしは人前で話すということが、「ひえー、恐ろしい!」なのでありまして、報告会のことを三日に一遍くらいふと思い出しては(用意をするでもなく)、胃が痛くなる一か月間でした。だから当日、喋る前からすでに「ああ、胃も大事に至らずこの場に立てて、本当によかった。もう悔いはなし」、「わたし(の胃)、えらい、よくやった!」と思ったものです。ああ、どこまで、自分に甘いのか。と、そんな塩梅だったので、喋りながら「うー、もどかしい」と思う感情などは予想しておらず、「あれ、ちょっとだけ成長したかも」とびっくりしました。って、やっぱりものすごく自分に甘い、というか、スタートラインが後ろ過ぎやしないか。
◆思えば、受験勉強や就職活動という、若者を成長させたり節目になったりしそうな事柄(知らないからあくまでもイメージ)を、ただ「たいへんそうでイヤだなあ。それより楽しい野宿旅行してたいなあ」と、しないできました。それに対してまったく後悔はないし、心底そうしてよかったと思っているのだけれど……。
◆でも「自分はダメだなあ」という思いがあります。「でもまあ、ダメでもなんとかなるなあ」とも思っています。決して野宿という行為は褒められるものではないわけで、やはりどこかダメな感じが付きまとう。でも好き。そこも好き。褒められては野宿じゃない、って思うし。自分の性質にぴったりなのかも、などとふと考えました。
◆「ダメですみませんがそこをどうかひとつ」というような微妙なやりとりを必要とする野宿(旅行)を重ねることで、地元のひとや旅するひと、同じ場所で一緒に野宿をしたひと……一人ひとりをじっと見ようとすることを知って、わたしは少しずつ、ひとを好きになっていけたのではないか。他人のダメさを、より受容し、愛おしく思うようになったのではないか。って、たいてい自分のがより、ダメなんだけど。それは見なかったことにする。(加藤千晶)
■Cさんは朝、なかなか起きない。「おーい、日の出だよ」と声をかけても、「あーうー……もう少し、寝ていましょうよぉ……」と言って、温かい季節なら寝袋から両腕を出して伸びだけをし、また眠りに戻ってしまう。寒い季節は、そんな反応すらない。〈あーあ、せっかく、東京の畑の向こうから太陽が昇るところなのに〉などと、私は残念に思う。思うだけではなんなので、声に出して言ってみることもある。地面に寝転がったまま、誰かと一緒に、この国の首都のご来光を拝める機会なんて、人生にそうはないじゃないか。いや、Cさんの人生なら、けっこうあるか。じゃあ、しかたないか。
◆あれは去年の12月下旬だったか、野球場脇の芝生で野宿した朝、われわれの寝袋は霜でバリバリに凍りついていた。そこに朝日が角度を上げて射してくるものだから、じきに霜が溶けて、寝袋はズクズクに濡れてしまう。それを思うと胸がドキドキしてくるのだが、さなぎのままのCさんは8時を過ぎても羽化してくれない。私は我慢できずに、タオルでバッサバッサと、彼女の寝袋の霜払いをやってしまった。「はあぁ、ありがとうございまーす……」Cさんはそう言いながら、まだまだ起きないのだった。
◆やっと起き上がると、Cさんは寝袋に体を入れたまま、お湯を沸かしてラーメンを作ったり、どこからともなくチョコレートなどを見つけだして、うほうほと頬張ったりする。しかし、ここで油断して、のんびり気分に同調していてはいけない。私がパッキングに手こずっている間に、Cさんはさっさとトイレまで済ませて、〈出発はまだかよー?〉とばかりに、こちらをうかがっていたりするのだ。あれ、いったい、どこで抜かれたんだ? 多摩川野宿二人旅の朝は、だいたいこんな感じである。
◆Cさんは、どこを歩いていても、あまり現在地にこだわらない。というか、歩いた道筋を順序立てては記憶していない、らしい。「ほら、前に歩いたあの川は、この坂を越えたところでしょ。だから、丘陵を挟んで、すごく近いところに来ているわけ」なんて、地図を見ながら私が言うと、Cさんは「はあぁ、そうなんですか……。ところでそのときって、いったい、どこをどう歩いたのでしたっけ?」とのたまう。「ほら、○○駅から歩き出して、コンビニに寄ってから橋を渡って支流に入り、その先に遺跡があって」「遺跡? はあぁ?、行ったような気も……ああ! 行きましたよねぇ」という具合なのだ。
◆最初は、とぼけているだけなのかと思った。あるいは、いつも半分眠りながら歩いているのかも、とも思った。いやいや、どうやら地面の広がりに対する捉え方が、彼女と私では全然違うらしい、とわかったのは、しばらく経ってからだ。子ども時代から「探検記」「冒険小説」などをテキストにしてきた私は、地上に散らばるものを自分が歩いていく方向に、また時間の記憶を過去から現在に向かう形で、旅の行程を整理しようとする。それが普通だと思っていたのだが、Cさんはもっとランダムな感じのようで(ひょっとしたら「自分にとって、おもしろいかどうか」が記憶深度の基準になっているのかもしれない)、彼女にとってはそれこそが「普通」なのだろう。
◆Cさんの動き方は、ともすれば「いい加減」にも映る。土手下の斜面の歩きにくいコンクリにひたすら歩を進めているとき、ふっと消えて、いつまでも戻ってこない。後で確かめると、「川住まいの気さくなおじさんがいたから、おうちを見せてもらってきた」。あるいは川沿いの道の行く手にフェンスが立ちはだかって、私が迂回路を探してオロオロしている間に、ワシワシとフェンスをよじ登ってストンと向こうへ降りてしまう。つまり、心身のフットワークが軽いのだ。あまりに軽すぎて、年の離れた(そして身体能力が高くない)私は「ちょっと待ってよー」と言いたくなるときがある。けれどもCさんは、やすやすとは待ってくれず、「いひ」「うひょ」と、背中を見せて駆け出してしまう。こちらが頑張れば追いつく程度の、絶妙な速度で。そういう、心にくい人なのだ。
◆そんなちあきさん、いや、Cさんが、時系列できっちり説明する旅行記ではない、野宿のハウツー本(?)である『野宿入門』を書いた。そして、自分がなぜそのような野宿愛好家になったのかを、時系列を(なるべく)説明する形で、「地平線報告会」を開いた。どっちもすごく頑張っている。なんか、こちらももっと頑張って、人生を楽しまなくちゃなーと思えてくる。そういう本であり、報告会だった。
◆Cさん、いや、ちあきさん、いろいろどうもありがとう。そして、これからも一緒に旅をしていきましょう、地平線会議の人たちを巻き込んで。(多摩川野宿旅since2007〜の同行者・熊沢正子)
■加藤さんとは野宿仲間ですが、ねぶた仲間でもあります。そして郡上踊り仲間であり、スキー仲間でもあります。マラソンも、ときどきは一緒に参加します。要するに節操なくいろんなことに首を突っこんでいるわけですが、彼女がすごいのは、何をやらせても、体を使うことであれば人並み以上にこなせてしまうところです。
◆青森ねぶたで跳人をやらせたら、地元の人と間違われるほどの跳ねっぷりを発揮します。郡上踊りはお免状持ちです(正調の踊り方ができる人にお免状をおくる制度がある)。彼女の人並み外れた行動力の裏には、抜群の運動神経と日本の伝統を理解するセンスが隠されています。ただ寝袋に入って喜んでいるだけの人ではないのです。
◆しかし一方で、面倒くさがりで計画性がなく、そして非常に飽きっぽいという大きな欠点も抱えています。その飽きっぽいはずの加藤さんが、野宿に対するこだわりだけはいつまで経っても変わらないのですから、これは実に不思議なことです。加藤さんが野宿のどこにそんな魅力を感じているのか、一緒に野宿すると少しだけ理解できた気になり、ああなるほどと納得してみたりしますが、多分それは早計というものでしょう。
◆知り合って5年以上になりますが、最近ようやく分かってきたのは、加藤さん自身は魅力だ何だということは一切まったく何にも考えていないということです。よく「野宿の何が楽しいのか」という質問にそれっぽい答えを返していたりしますが、単に自分の内面にあるものを説明できないので、普通の人でも理解できる回答を用意しているだけなのです。そういうことを考える以前の、もっと体の深い部分に野宿というものが根付いているのだと思います。
◆そういった自分の内面に渦巻く"何か"に、決して肩に力を入れることなく自然に接している辺りが、周囲の人を惹きつける魅力につながっているのかもしれません。ちなみに恋愛話について補足しておくと、加藤さんからは初恋の人の話を聞いたことがあります。野球漫画「ドカベン」に登場する殿馬一人だそうです。(杉山貴章)
■「野宿野郎」は読んだことがなく、報告会後の「3次会野宿」に参加したことがなく、野宿の人は謎に包まれて(?)いました。報告はスライドと共にポツリポツリと進められ、いつの間にかその世界に引き込まれていました。派手な映像はなく本当に淡々としゃべっているのですが…。加藤千晶さんの人柄がにじみ出ていて興味深かったです。「人に興味がある」「歩くのが好き」と話していたのも印象的でした。そして感じたことは、野宿は自由! いつでも好きなところで(とはいえよい場所選びには経験がモノをいうようです)寝られるのは素晴らしい。野宿できれば旅も自由度アップ、色々なことから解放されるかも。都心で野宿、やってみると面白そう。日常が非日常に。他人事だと思っていたものが、なんだか身近に感じられた報告でした。それから「野宿戦隊!シュラフマン(予告編)」見てみたいです。ちあきさん、ぜひリバイバル上映をお願いしま?す。(札幌 掛須美奈子 上白滝駅に行ったことがない……道民として行かねば! 笑)
■『野宿野郎』という雑誌を知ったのは「地平線通信」か報告会、それとも編集長のかとうさんを地平線会議に誘った坪井さんから聞いたのか、よく覚えていない。そもそも雑誌が成立するほど読者(=野宿愛好者)がいるのかと疑問に思った気がする。「野郎」というからには編集者もさぞかしむさい男だろうと想像していたのに、良家の令嬢のような若い女性が編集長だったことにびっくり。
◆わたしが初めて野宿をしたのは中学2年の夏。実家のそばの河原に堀立小屋を立てて近所の悪友たちと2泊した。あいにくの大雨で川は増水し3日目の朝には床上?浸水となり、大慌てで避難したことを覚えている。そんな目に遭いながらも、家を離れて野外で眠る自由さに快感を覚え、社会人になってからは「焚火研究会」なる集団を結成して海や山や河原で焚火野宿を重ねてきた。
◆ほとんどはテント泊で、着の身着のままあるいは寝袋のみで眠ることはそう多くはなかったが、『野宿野郎』ではテント泊よりも寝袋一つでどこでも(たとえトイレでも)寝ることを野宿と称しているようだ。野宿の定義とは何か? その疑問を解くためにはるばる山形から報告会を聴きに来たのです(というのも嘘ではないけれど、毎年この時期に開催されている「アイランダー」という全国の離島の祭典を見にきたことがもう一つの目的)。
◆雑誌を出すくらいだから、かとうさんがかなりの野宿好きであることはわかっていたし、わたしも参加した「24時間ラン&ウォーク」で仮眠をとる時に、小脇に寝袋を抱えてうれしそうに走り去るかとうさんの姿も目撃している。しかし報告会を聞くまでは、高校2年の夏に野宿をしながら本州縦断徒歩旅行を果たしたことは知らなかった。旅が目的というよりも野宿を続けるためにひたすら歩き続けたのが真相らしいが、女子高生が50日以上も野宿を続けた こと自体「スバラシイ」のひと言に尽きる。
◆本人はかなり緊張していたようだが、報告会は終始かとうさん独特のほのぼのムードで進められ、野宿デビューから現在までの野宿遍歴をスライドでとつとつと語ってくれた。話のはしばしから、野宿(と寝袋)に対するかとうさんのなみなみならぬ愛情を感じたのはわたしだけではないはず。かとうさんの著書『野宿入門』の帯には「楽しい。ただそれだけです。」とあって、確かにそのとおりなのだろうなと思いつつも、社会人になっても自分の好きなことは続けるぞ!というしっかりとした決意が感じられてうれしかった。
◆そういえば久しく野宿をしていないなぁ。最後の野宿は、あるイベントで製作中のサンドアートを警備するために砂浜にマットを敷いて夜を明かした3年前の夏か。心地よい風に吹かれ満天の星を眺めながら眠りにつく…はずだったのに、海風と一緒に多量の砂が飛んできて顔も体も砂まみれになったのだった。報告会の直後に届いた通販のカタログにあの「着たまま動ける寝袋」が載っていたのはシンクロニシティかも。買おうかどうかまだ迷っています。(飯野昭司/山形県酒田市)
[追伸]サッカーJ1のモンテディオ山形、2年目の今シーズンは13位で残留が決まりました。山形の新しいお米「つや姫」もよろしく。
■僕が最初に加藤さんと会ったのは5年前のドカ雪が降った日だった。吉祥寺の旅本専門店で講演したとき、店長から「野宿野郎」というミニコミ誌の編集長が来るので、会ってあげて、と頼まれたのだ。「野宿野郎!」。イヤでも興味をそそられる破壊的なコピーだ。だが反面うかつに関わっては、危険なのでは、とも思った。「どんな人なの?」に対する店長の答えは「野宿が大好きな恥ずかしがり屋の25歳の女の子」。へっ? これは怖い。想像を超えている。てっきり体育会系ヒゲオヤジだと思っていた。
◆ドカ雪にも関わらず、講演会は大入りだった。客席に「野宿野郎」はいるはずだ。25歳女性、該当する人は多くはない。なのにどうしても分からない。話の終了後に店長に紹介され、目の前に立っても、やはりどこにも「野宿」の匂いがしない。「2次会に行く?」と聞くと「はい」と消え入りそうな声。一応誘ってはみたが、2次会の面子は異常に濃い。登山家、ウルトラランナー、世界一周ライダー、放浪釣師、etc。この中に放り込むのは可哀想かな。
◆ところが宴会が始まっても彼女は自然体のままだ。媚びる、でも、怯える、でも、ゴマする、でも、負けじと自己主張するでも、ない。へーと思った。この人はこういう人たちを過去に知っていて、無理せずに同化できるのだ。
◆「何を野宿だと思ってるの?」雑誌を作るぐらいだから哲学があると思って聞くと、意外にも彼女はうろたえた。すると横から「オレの場合はね?」と濃いおじさんたちが、がなりだし結局彼女の答えは聞けなかった。「もっといろんな人の野宿話聞きたかったら地平線会議に来ればいい。僕はいつでも会場にいるし、面白い人紹介するよ」。まあこれが加藤嬢地平線デビューのいきさつだ。これで合ってるよね。
◆さて問題の雑誌「野宿野郎」だが、僕はこれを一種のリトマス試験紙だと思っている。「野宿」という言葉は伊沢さんの「のぐそ」学と似た性質を持っている。生理的にダメな人は言葉を聞いただけで、拒否反応が出てしまう。生理的にだから仕方ないとはいえ、中身も確認しないで無視するのは失礼で、もったいない話だと思う。伊沢さんのキノコを地面から見上げた写真は新鮮だ。同じように地面から通行人を見上げると世界が変わる。
◆かつて旅行中に浮浪者になったときに、きれいな言葉を並べながら体中から軽蔑の空気を発している人たちにあった。見下される側はその空気に敏感で、当然そんな人とは仲良くなれない。報告会で加藤さんは多摩川の川原に住むおじさんと親しくなった、と言った。これは実は凄いことで、芯から優越感や差別意識がない人間にしかできない芸当だ。見えないけれど歴然とある社会の階層を、軽々と越えていける人はやはりカッコイイのだ。(坪井伸吾)
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