2010年9月の地平線報告会レポート


●地平線通信371より
先月の報告会から

Tシャツ、ジーンズ山ノボラーの福音

山田淳

2010年9月24日 新宿区スポーツセンター

■世界最年少セブンサミッター(当時)で今年登山用品レンタルの会社を起こした山田さん、今回はスーツ姿で大きなアタッシュケースを持って登場した。それは講演会用の正装ではなく、起業家としての営業周り用という訳でもない。実は外資系コンサルタント会社で3年半サラリーマンとして働いていたときのスタイルだ。過去の地平線報告会でも浴衣姿やチベットの羊毛皮服を披露していたが、そのコスプレ魂は今も健在である。

◆東大を卒業し、世界一のコンサルタント会社でエリートサラリーマンとなったが、それは山にウツツを抜かしていた青年が「社会復帰」した姿ではなく、今度の退職と起業も、再びドロップアウトして山の世界に戻ったのではない。他人から見ると飛躍の多い人生だが本人は「ブレてない」と言う。ではその一本通った筋とは何なのか。

◆予備知識のない我々の為に、まずはセブンサミッツの話から。セブンサミッツとは、言わば日本100名山の世界版である。いずれもガイド登山で登れる山で、スタンプラリー的な山の楽しみ方。山田さんがセブンサミッツを目指したのは大学1年生の時。登山をするために経済学部を選んだのに(大学に入ってから勉強しなくても済むから)、山岳部は不活発でヒマラヤへは行けそうもない。そこで自分で行く方法を考えた。あげくエベレストに登るためにセブンサミッツを最年少でやるという方法を選んだ。6座まで自分で登れば、スポンサーを募るなり何らかの道が開けるはずだ。

◆中学高校から進学校でエリートコースに乗った山田さん。体の弱さを克服するために屋久島で体験した登山を、納得できるところまでやろうと思った。セブンサミッツの手始めとして「地球の歩き方」に載っていたキリマンジャロへ行った。大した山じゃないとナメていたが、しっかり高山病の洗礼を受けた。次はちゃんと高山病対策をしてアコンカグアに登った。これは順調だった。

◆2000年当時、アコンカグアのベースキャンプにあったテントは8張、ハンバーガーやピザを出す店があり、インターネットもできた。これでもすごいと思うが、2010年にはテントは20?30張に増え、バレーボールコートやシャワーまでできていた。セブンサミッツの現状も日本100名山と共通する部分があるのだ。

◆マッキンリーは最も印象深い山で、山と対話しているという感覚を初めて味わった。この時は慢心して、なんとフリーマーケットで買ったフードの無いジャケットを着て行って凍傷になったという。当時は一体どんな装備で登山していたのか。その同じ人が後、登山用具のレンタル業を始めたのである。

◆ヨーロッパ最高峰のエルブルースは慢心することもなく問題なく登頂。オーストラリア最高峰のコジウスコは情報がなく、1週間の予定で現地へ乗り込んでみたら、サンダルでも登れるような山で翌日には登頂できてしまった。南極最高峰ビンソンマシフは、費用の事を抜きにすれば最も再訪してみたい山だ。悪天候による待ち時間が長いこと、紫外線が強いので対策が必要なことを除けば、楽をして感動が得られる。ブリザード等環境は厳しいがテント等の装備も業務用のしっかりした物を使用するので快適に過ごせる。青い空と青い氷の間に挟まれたブルーアウトの世界を味わうこともできる。ビンソンマシフの標高は5140mだが実際には厚い氷のおかげで1800m程度登るだけで登頂できる。しかし飛行機代を含む費用は高額だ。マッキンリーのパーミッションが120$だったのに対し、300万円もかかった。富士山ガイドで稼いだ金をすべて南極につぎ込んだ。

◆南極で会った作家のジョン・クラカワーに、オセアニア最高峰のカルステンツピラミッドへ登らなければ7じゃなくて6.5サミッツだ、と言われてニューギニアへ。ここは岩登りをしなくては登頂できない山で、セブンサミッツにクライミング要素を添えた。

◆ここまで6座(6.5座?)は順調に進んできたが、最後に残されたエベレストの困難さは標高だけでなく、費用、拘束期間の長さ(2か月)など、どの要素をとって見ても別格だった。しかも最年少のタイムリミットは迫っているので、また来年と言う訳には行かない。そこで問題を幾つかの要素に分析し、個別に解決していった。まさにコンサルタント的な方法論を展開していったのであり、報告会はにわかにビジネスプレゼンテーションの雰囲気になってきた。

◆費用面では、独自の登山隊を組織できるほどの大きなスポンサーをつける事ができず、公募登山隊に参加して予算を抑えた。期間の長さは社会的問題だけでなく、BCにいる間に精神的に参ってしまうケースが多いこともあり重要なのだが、山田さんは学生だったこと、スポンサー等のプレッシャーが少なかったことが幸いした。

◆自身プロ意識を持って臨んだ。トレーニングは特殊だ。脂肪が多くて筋肉量が少ない方が良いなどというスポーツは高所登山ぐらいしかなく、従来のスポーツ理論は応用できない。もちろん全体のバランスも大切で一歩間違えばただのデブになってしまう。高山病対策は国内の低酸素室でのトレーニングをすることで準備をした。バランス感覚を養うために乗馬もやった。これらの準備をしている間、特にエベレスト本番の前半年位はほとんど山へ行っていない。行けなかったのではなく行く必要が無かったのだ。エベレスト登山のためのトレーニングメニューに登山が入っていないなどということは、登山界の常識とは全く逆だった。また、高度順応のためにエベレスト直前にヒマラヤの高峰に登るという方法も、山田さんは体力の無駄だと考えて行なわなかった。

◆そしてエベレスト登頂は「全て想定の範囲内で」順調に終わり、山田さんは世界最年少セブンサミッターとなった。単純に登山の延長線上にエベレストがあったのではなく、エベレストに登るために必要なことを見極め、そのためには山から離れることも辞さなかった姿勢、それこそがプロ意識を持つと言うことなのかも知れない。

◆セブンサミッツの後、K2等の話もあったが強力な推進者がいなかったためいずれも流れてしまった。そうこうするうち24歳のときに腹膜炎で手術をし、8000mに登るのはもう無理だと判断、アルピニストとしては引退を決意し、ガイド業に専念する事にした。

◆しかしガイドとして活動するうち、次第に個人レベルで登山者や登山界に対して与えられるインパクトに限界を感じ始める。自分が直接出会って接したお客さんに対してしか働き掛けることができないのだ。そこで次に自分がやるべきことは、メディアに出たり本を書くことではなく、ビジネスを通じてそれをやることだと考えた。

◆そうしてビジネスを勉強するために入社したマッキンゼーだが、コンサルタントの仕事が合っていたらしく、楽しくてやめられずに3年の予定が3年半に。すでに学生時代に、エベレストを目指すにあたって明確な意識を持って現状分析と問題解決をやっていたぐらいだから、もともとコンサルタントの仕事が向いていたのかも知れない。

◆サラリーマン時代にも時たま富士山のガイド等はやっていたが、去年7月のトムラウシの遭難事件がきっかけとなった。退職して「登山人口の増加」「安全登山の推進」を目的とする会社「フィールド&マウンテン」を設立。そしてマーケティング理論をはじめとするコンサルタントとしてのノウハウを駆使して事業を立ち上げていった。

◆マーケティング理論のうちファネル(漏斗)という考え方でいうと、「認知」「関連」「試用」「継続」の4段階のうち、認知度は登山に関しては充分。関連と言う登山に興味を持っている潜在的登山人口もまずまずだ。しかし現状では試用段階がネックになっている。つまりちょっと登ってみるには敷居が高く、またTシャツにジーンズでいきなり富士山などのハードな山に登ってしまってイヤになってしまい、登山の継続に結びつかない場合もあるのだ。試用段階にターゲットを絞り込んでみると、この層(若い女性が中心)では財布の紐が固く、しかもランニングや自転車、ヨガなどの趣味と競合関係にある。この人達を登山に引き込むためには、安い(または無料の)サービスやインフラの整備が必要なのだ。

◆そこで山田さんが打ち出したのが、登山用品レンタルである。一度登山をやってみようという人にとって装備を買い揃えるのは高すぎる(何しろ二度と使わないかも知れないのだから)。レンタルならば安価で良質な装備が使えるので、敷居が低くなると同時に、継続登山への布石にもなる。今シーズンは試しにマーケティングデータを取るつもりで、ホームページを作って自宅から宅配便で発送するだけで始めた。宣伝も大口顧客への営業も行なわなかったが、ニュースサイト等で紹介されたこともあって注文が殺到、ピーク時には150セット、その時の富士登山者の3%弱を占めるまでになった。さらに利用者のアンケート回答率55%、顧客満足度90%以上、これは驚異的な数字である。いかに大きな潜在需要が有ったかという事だ。もしかすると我々は新たな市場が成立する過程を見ているのかも知れない。

◆以下は主に2次会で訊いた話。富士登山に特化した感のある「やまどうぐレンタル屋」だが、元々はもっと幅広い登山を想定しており、それに対応できるラインナップを用意している。山用具レンタルのアイデアは、前述の考えから導き出されたものだというが、これは山田さんが富士山ガイドとして多くの顧客と接してきたことと無関係ではあるまい。彼らのニーズを掬い上げるには一番近い場所にいたのだから。ガイドは一般的な登山技術の他に、その山と、顧客を熟知しなくてはならないのだ。なお、山田さんにとってレンタルは目的達成のための手段であり、金を儲けることが目的ではない。このケースでは商業ベースに乗せることで、拡大再生産によって多くの人にサービスを届けることが有効だと判断した結果だろう。価格設定もその辺りを踏まえて充分に計算されている。またビジネスとして有望だと思われるガイド登山の団体客等についても、来シーズンから拡大してゆく予定だ。

◆今シーズンの予想外の成功によって、「試用」段階で登山の間口を広げられる事には手応えが感じられたが、山田さんの視線はその先にも向けられている。一生に一度の富士登山だけで終わらせずに、登山を継続しやすくするための方法も考えている。そのためには安価で良質な登山用品等が容易に手に入る様にしなくてはいけないし、情報の発信も必要である。

◆情報発信のために山田さんが創刊した「山歩みち」はカタログ的な面もあるが、フリーペーパーである。それも登山についての情報を届けたい対象が、既存の登山専門誌を買わない層だからだ。今までの登山界(雑誌やメーカーも含めて)が対象にしてこなかった、あるいは否定的に接してきた大衆の中にこそ、大きなビジネスチャンスが眠っている。それを掘り起こす事によって潜在的な登山人口と登山業界の間にWin-Winの関係を構築することができる、と山田さんは提案しているのではないだろうか。(洞窟探検家 松澤亮


報告者のひとこと
「登山者」の視点でない一般の人の視点で、登山を始めやすい環境を作らなければならない。「登山者」目線で初心者に優しいと思っている「登山道具店」も「登山ツアー」も敷居が非常に高いことを認識しなくてはいけない

久々の地平線会議。3回目。内容は「アウトドアの抱える課題とそれらに対する私の取り組み」。昨年来ブームとなっている登山。一昨年の600万人から一転、1200万人の登山人口を抱えるまでになった。しかし、だ。冷静になって考えてみれば、これだけ自然が豊かな国にいて、人口の1割ほどしか登山に行っていない。その状況でブームと呼べるのだろうか。

◆一方で、ブームとなっていることへの懸念もある。数年前、ゲレンデスキーはブームで、冬に新宿に行けば、バス待ちのスキー客でにぎわっていた。映画「私をスキーに連れてって」も制作され、永遠に続くブームかに思われた。が、今の状況はどうだろうか。スキー場はどこも経営に苦しみ、専門誌も売れなくなってしまった。富士山シーズンになると新宿に列をなし、五合目に集合する今の状態とよく似てはいないか。

◆来年映画「岳」が公開となる。数年後にこの登山ブームが去って、確固たる登山愛好者をつかんでいるか、誰もいなくなってしまっているか。今、山の業界に突き付けられている課題に業界を挙げて取り組んでいかなければならない。

◆取り組まなければならない課題はいくつもある。初心者に対する、ヒト(指導者)、情報、そして装備をインフラとして整えなければならない。「登山者」の視点でない一般の人の視点で、登山を始めやすい環境を作らなければならない。「登山者」目線で初心者に優しいと思っている「登山道具店」も「登山ツアー」も敷居が非常に高いことを認識しなくてはいけない。

◆今年6月から始めた登山道具の宅配レンタル。電話、ネットで受注して装備を貸し出す仕組みだが、PR活動もせずに口コミで2か月で2,000人の利用があった。「登山道具店で装備揃えようとすると、『今後も使うんだから』と言われて5?6万円もする装備一式を勧められた。本当に最低限必要なモノはどれですか?」という問い合わせが多く、求められているものと業界の提供しているもののギャップが浮き彫りになった。富士山は一生に一度の富士山、でしかない。

◆では、そういう人たちを登山業界は1回限りだから取り込む必要はない、のだろうか。アンケートではレンタルしたお客様のうち、8割以上が今後も山登りを続けたい、と書いている。きちんときっかけを作って楽しんでもらい、継続してもらう。私の取り組みは始まったばかりだ。(山田淳


こんな山登りがある!

■はじめて山田淳君の話を聞いた。すばらしい話だった。最初はそれ何の話なの、という感じ。それから、ふ?ん、という感じ。それが、へぇ?、そうなの、に変わり、終わったときには目からうろこの印象。その余韻の中で山田君が語らなかったその先のビジョンを垣間見た。

◆なるほど、それでいい。われわれ日本人がかつてアルピニズムという新しい山の楽しみ方を教えられて山に熱中してきたように、こいつは自分の内にある山や自然への憧れを共通の原動力と信じて、今度はわれわれ自身に山への新しいアプローチ、山との新しい関係、山の新しい楽しみ方を創造させようとしているんだ。大量に大衆レベルでアクチベイトすることで。なるほど、それならばその先にもやるべきことは無数にある。新しい地平への草分け。

◆とはいえ、山田君の語ったセブン・サミッター最年少、スタンプ・ラリーと同じだという発想のしかたに違和感がなかった訳ではない。そこまでゲームとして割り切ってもなお登山なのかと。同じ違和感は過去にも出会った。「エベレストが登られたいま、山でなすべきことは何もない」と聞いたときだ。

◆山に登る者にとって「初めて」には特別の喜びがあり誇りがあり憧れがある。そして世界最高の頂きの「初めて」はかけがえがない。それでもその言い方に違和感を持ったのは、山登りが人間にとってもっと大きな意味や内容を持つ行為、あるいは表現だと感じていたからだが、つまるところそれは何に価値を置くかという個人々々の好みだ。

◆だがそんなことにこだわっている暇のない実践の話がつづいた。これから向かう山と問題についてのあっけないほど明快な分析、チョモランマに向けての冷徹に割り切った金づくりと体づくりのトレーニングの組み立て。その分析と処方には疑問は残るが、考え方は目からうろこ。結果として、一人他の人たちより2時間早く頂上に着いたという事実に感服するしかない。

◆それから自分にとっての新しい山登り開拓前線。山の世界にどうすればもっと多くの人が入れるようにできるか。根拠は金づくりのための富士登山ガイドという現場での確信。で、とりあえずはネットを使った貸し装備屋だが、この先こうした誘い込み支援のポイントと内容は山田君ならではの発想でどう展開していくか、結果としてどんな山登りの世界が開けてくるのか。短い時間でのはしょりすぎての話だったが、そこまでをつい夢見させてしまう話だった。存分な活躍を祈りたい。(宮本千晴


山田さんは「使命」に生きている。私が、まさに今、聞くべき内容の報告会だった

■地平線の報告会といえば、二むかし前、伴侶と出会ったゆかりの場なのに、このところ、すっかりご無沙汰していた。懐かしい方々とお会いできたことも、もちろんうれしかったが、山田さんの報告に心底感動し、ほんとうに行ってよかったと思う。

◆私は12年前、報道系の番組制作会社を立ち上げたのだが、今やテレビ不況をまともに受けて青息吐息の状態。資金繰りやリストラ策に追いまくられる「タコ社長」の日々だ。もうテレビはだめなのか、私の会社は世の中に必要なのか、これからどんな仕事をしていけばいいのか……拉致問題の追及に忙殺されていた数年前までは考えもしなかった、自分の生き方についての疑問が、いま50歳代後半になって押し寄せてきた。

◆今回、久しぶりに報告会に足が向いたのは、エリートサラリーマンから山の世界に戻った山田さんの「転身」に、私の聞くべきものがありそうだと、漠然と直感したからだ。報告を聞いて、山田さんが、人生を戦略的に組み立てていることに感じ入った。個人で登山ガイドをやるだけでは、世の中にインパクトを与えられないと気づき、ビジネスを学んで世直しの仕組みを作ろうと山田さんは考えた。そこで、はじめから「3年だけ」と決めて就職したという。人もうらやむ名門の外資系企業なのに、就職は手段にすぎないのだ。

◆それだけでなく、山田さんにとっては、登山自体がある意味、「手段」なのである。山田さんは、単に「好きだから」山に登るのではない。登山を通じて世の中を動かすことを目指している。見据えているのは、大量の外国人が日本に、美しい山と自然を楽しもうとやってくる未来=観光立国。そのためには、まず日本の老若男女が山に親しむ登山大国にならなくてはならない、と山田さんは言う。

◆山田さんは「使命」に生きている。すばらしい生き方だ。帰路、自分にとっての「使命」とは何だろうか、自分ならではの形で世の中に貢献するにはどうしたらいいのか、と考え続けた。私が、まさに今、聞くべき内容の報告会だったのだと思う。山田さん、世話人のみなさん、ありがとうございました。これから頻繁に顔を出しますので、どうぞよろしく。(高世仁 ジン・ネット代表)


緻密な構成ながら奇想天外の展開を見せる、極上のミステリーそのもの。私がNHKの会長なら、朝ドラに、迷わず『山田の女房』をぶつける

■当日一番の印象的光景は、報告会終了後だったかも知れない。時間ピッタリに話し終え、「はい、質問は?」と、自信に満ちた笑顔の山田さん。一方の客席は、気を呑まれて暫しの沈黙。私も口あんぐりで、「アタマとは、このように使うものなのか」「俺の脳ミソは単なる首の重しだったんだな」と感嘆し、悲しくなった。

◆彼の話の衝撃的かつ時を忘れる面白さに、「この感覚、何かに似ている」と考えてハッとした。緻密な構成ながら奇想天外の展開を見せる、極上のミステリーそのものだ。

◆山田さんの役は新米刑事。周囲のベテランの冷たい視線を浴びつつ、常識破りのアプローチで目標に迫ってゆく。「お前、聞き込みにも回らず、そこの吉野家で牛丼(並)3杯食ってたそうだな」「私のプロファイリングによると、高所登山に最適の体は、高脂肪・低筋量です。その体作りで、ソイのプロテイン補給に行ってました」「エベレスト落とすのに、プロファイリングだと!? バカかお前は! それに低酸素室にも通ってるらしいな」「はい。山に通って高度順化やってると、本番前に体力消耗しますから」「馬鹿野郎! 現場が捜査の基本だ。山に通わずにヤマを取れるか!」。そんな罵声を浴びながらも、『畳の上の水練』で、他隊を2時間引き離してのブッチギリ登頂を果たしてしまう。

◆第2部の『起業編』でも、ナゾ解きのワクワク感は続いた。データが語る意外な真実の数々。それに基づく起業と、予測を超える売り上げ……。もちろん、会社員時代に培ったマーケティングの手腕ゆえの成果だ。しかし、山田さんは触れなかったが、問題解決に白紙で臨む彼の姿勢も成功の鍵に違いない。先入観を抱えてのスタートでは、その時点で既に常識の虜となり、視野も狭くなる。

◆この夏、NHKの朝ドラ『ゲゲゲ』の人気に、私は苦々しい思いを抱いていた。なぜ、あのようにチープで幼稚、粗悪で薄っぺらな子供騙しに世間は夢中となるのか。「情」にすり寄る輩に脳ミソを吸い取られているのが判らぬのか、と。今回の報告会は、そんな私憤をも吹っ飛ばしてくれた。

◆会場には、奥さんと子供も姿を見せ、彼の「よきパパ」ぶりが目に浮かんだ。私がNHKの会長なら、朝ドラに、迷わず『山田の女房』をぶつける。そしてドラマ仕立てで彼の並外れた問題解決の手法を全国に知らしめ、巷に蔓延する安っぽいセンチメンタリズムや予定調和趣味を、完膚なきまで打ち砕くのだ。(久島弘


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