■大会議室は、静まり返った。話が始まると場内は一気に引き込まれた。ものすごい情報の密度、量、迫力、一瞬たりとも予断を許さない緊張感溢れる時間。報告会では決まりごとになっている「20時のトイレタイム」も飛ばして、ノンストップ2時間の報告となった。
◆1979年に始まった地平線会議が30年を越えたことを「歴史を作った」と評した森田さん。冒頭「9(ナイン)シンドローム」という独自の考え方を披露した。9のつく年には何かが起きる魔力がある。中国の現代史の始まりといわれる五四運動は1919年、第二次世界大戦は39年、そして89年に天安門事件が起き、ベルリンの壁が崩壊した。
◆森田さんの著作はルポ35作、小説5作にも及ぶ。「歴史は未来のルーツ」と捉える森田さんは、2010年から2019年の10年間、新しい時代の産みの苦しみに立ち会うためになお中国の旅を繰り返している。
◆森田さんが中国の旅で出会った三つの村というのが、まず興味津々だった。「一線を越えた?」取材でその後、閉ざされたという。まずエイズ村。WHOや国防リサーチで名高いランド研究所が警告を発している中国のエイズ問題は、「貧困」と「政治」にあると森田さんは指摘する。
◆河南省には年収2万円以下の貧しい農家がある。貧困から逃れるために売血で収入を得ている。国家で禁じている売血を見逃し民間業者を野放しにしていた村政府に責任があると森田さんは言う。注射針の使いまわし、さらに血漿成分を取り出した後の血液を農民の体内に戻していた。3800人の村で380人がエイズに感染し、83人が死亡した。森田さんをエイズ村に案内した地下教会の牧師さんとは、その後連絡が取れなくなった。中国から撤退を表明したグーグル問題と同じだと森田さんは語る。
◆政府に都合の悪い情報を隠蔽する中国の体質について、次に「臓器移植の村」について話が進んだ。北京オリンピック前にアメリカを訪れた胡錦濤国家主席とブッシュ米大統領(当時)の共同記者会見をCNNニュースで見ていた森田さんは驚く。プラカードを掲げた中国人女性が会見場に飛び込んできたのだ。その後、香港のテレビ局の会見で、その女性が中国の臓器移植病院関係者だと知る。プラカードには「生きたまま臓器を取り出すのをやめて」と書かれていた。
◆瀋陽にある専門病院では2000年以降急激に臓器移植が増え、この10年間に中国全土で6万件の臓器移植が行われている。瀋陽の病院に問い合わせて森田さんは更に驚く。日本語と英語での説明があり、渡航移植に向けた国家ぐるみのビジネスではと疑うほどだ。ドナーを待つ期間は数週間程度。臓器の価格も決まっており、スピード、臓器の価格、どれをとっても他国を凌ぐという。中国では死刑囚が臓器提供を行うのは最高裁でも認めている。現実には死刑囚は多くても年間2000人ほどだとすると、臓器のドナーはどこから来るのか。
◆江沢民時代、法輪功の学習者や地下教会の信者が「政権の敵」として多く収容所に送られていた。瀋陽から一時間ほどの場所にある、大きな収容所には常時1500人位の収容者がおり、そこが臓器工場ではないかと森田さんは潜入を試みる。だが身に危険の迫っていることが判明し急いでその場所を後にした。以降、そこへの立ち入りが出来なくなった。
◆三つ目は「日本人が作られている島」の話。福建省にある小さな島で密輸密航が日常的に行われており、島には将来日本国籍を有する資格がある子供たちがいるという情報で森田さんは島に渡った。「日建子」と呼ばれる日本国籍の取得には大きく三つの形式がある。日本人と福建人が結婚してできた子供をIII型、連れ子がいて認知したものをI型、誰の子かは関係なく里親として認知した子をII型といい、次々と違法に日本国籍を取得していく。なかでもII型は偽装認知といわれる犯罪である。
◆中国には生まれながらにして戸籍のない子供が大勢いる。その子供の里親になり、日本人に認知してもらうことで、親権を得て日本に出稼ぎに行くのだという。偽装認知には約200万円が必要で、そのうちの50から70万円を日本人に渡す。その島では約100人、日本国籍を取得する予定の子供たちがいる。日本はDNA鑑定を採用していない。さらに国籍改正法(08・12施行)後、認知は生まれてからでも許可されるために、偽装認知に追い風になっている。ここも森田さんが取材した後、外国人が立ち入れなくなった。
◆そして、番外編で毒入りギョーザ事件では、昨年末、習近平国家副主席の訪日のレセプション会場で、事件の捜査が行き詰まっていると聞かされた森田さん。その話をしている同じ頃、中国から「犯人逮捕」が日本のマスコミにもたらされていた。犯人は森田さんが、前回の報告会(08・9)で指摘していた、工場内の臨時工だった。
◆ここまででも十分な迫力だったが、話はここからいよいよ本題へ。香港で、森田さんはある秘密工作の解散式に立ち会った。それは黄雀行動と呼ばれ、天安門事件の民主化運動を行った学生たちを海外へ逃がす支援活動であった。黄雀の語原は、「蟷螂(かまきり)、セミを窺い、背後に黄雀(こうじゃく)あり」という中国の諺にある。敵に後ろを見せるな、油断をするなという意味だそうだ。
◆1989年の5月半ば天安門で民主化運動を行っている学生達に対し、中国政府は「動乱」と決定した。学生達は天安門広場で篭城を決めハンストを行う。ハンストが7日目になると、国際法に則り、政府のトップ趙紫陽は交渉に応じた。学生に同情的な態度に、趙紫陽は近く失脚すると察した。学生たちは、広場の死守組と撤退組の二つに分かれた。血の日曜日と言われた6月4日未明、天安門広場を戒厳部隊が取り囲む。
◆前日に結成された広場を死守する学生グループ「天安門広場保衛総指揮部」リーダーに女子大生、柴玲が選ばれた。「今、11億の蟻が山の上にいる。麓では大火事で、火の手が押し寄せてくる。蟻たちが生き残る方法は一つしかない。皆で手を取り合って丸い玉になり、山を一気に転がり降りることだけ。そうすれば、外側の蟻は死んでも内側の蟻は助かる。私たちは外側の蟻、祖国のために死ぬことは怖いことではない」。スピーチを聴き学生達は戒厳部隊突入による死を覚悟した。
◆台湾から亡命してきたシンガーソングライターが学生を説得するため赤十字の車で広場にやって来た。戒厳部隊との交渉後20分間の退避猶予のあと一斉に部隊の戦車突入が始まった。6月4日午前3時。赤々と燃える北京の夜空、広場から逃げる学生、多くの市民労働者が犠牲となった。学生達はばらばらで戒厳令下の北京から広東省へ逃亡した。
◆森田さんはここで「黒い五星紅旗」を見せてくれた。黒い国旗に多くの学生が助けられたが、犠牲にもなった。6月10日香港メディアから柴玲の生の声が放送される。柴玲は指名手配第1人目、世界中の誰もが彼女の生存を諦めていたが、生存報道に世界中の多くの人々が勇気づけられた。天安門武力突入から一か月後ウーアルカイシもパリに到着した。
◆パリで民主化運動の立ち上げに参加しようと森田さんは日本で活動していた中国人留学生と一緒にパリへ飛ぶ。パリに向かう途中、なんと飛行機は予想に反し北京に着陸。空港に降り立った飛行機の窓からは大勢の戒厳部隊が見える。機内に留まった二人に武装警察がやってくる。森田さん達は従うわけにはいかない。従えば動乱罪と煽動罪だ。国家権力の圧力。そんな最中でも森田さんは一所懸命ルポの文章を考えていて、そんな自分が嫌になったという。
◆死を覚悟した中国人留学生、そこにフランス人機長が現れ、「お客は渡さない。ここはフランス国営航空の中だ。私の許可なく二人を連れ出すならハイジャック犯として通報するぞ」との言葉に武装警察は退いた。パリに着くまで二人は一言も言葉が出なかった。報告会場の緊張感はピークに達し、シーンと静まり返った。
◆パリに到着しウーアルカイシと会う。すぐにニューヨークに行って国連へ訴えようという。シカゴから陸路でニューヨーク・チャイナタウンに直行した。国民党時代に渡って来た老華僑たちはアンチ共産党で協力的だった。ここで福建省から来た出稼ぎ密航者と知り合い、密航者を運ぶ蛇頭女親分ピン姐御と出会う。そして、100、65、6という数字を聞いた。日本を100とした場合、アメリカ65、中国6の労賃だという。中国人が日本で働けば単純に15倍の賃金が得られるということらしい。こうして90年代の日本は中国からの密航者であふれることになる。
◆それ以降、森田さんは雀から蛇を追うことになった。天安門の学生達は命をかけて自由を得ようとした。出産、言論、政治、農村戸籍の撤廃、それは我々日本人にとって当たり前の自由だ。20歳そこらの学生達が11億の蟻のため、命をかけて自由を得ようとした。その後、中国は経済の自由化に大きく舵を切り大きな発展を遂げる。天安門世代といわれる40代半ば革命第七世代がいまの中国を動かしている。彼らが得た経済的自由が世界を変えつつある。日本、中国そしてアメリカの関係の原点は、天安門事件にあるという。
◆それに対して日本人の同年代はバブル世代。命をかけて自由を得ようとした世代と大消費時代に青春を過ごした世代の対比はものすごいコントラストだと思う。グローバルビジネスを舞台に、この対照的な二つの同年代はどのようにお互いを見ているのだろうか。次の世界の分岐点は2012年。中国、アメリカ、韓国、ロシア、そして台湾と日本と密接した国々のリーダーが変わる時だ。
◆話は中国製造業の話に及ぶ。日本製品を買う中国人層の変化。「競争が良品を生む」中国製品の性能向上。中国は富裕層から中間層のボリュームゾーンへ購買層がシフトし、コストと品質さらに模造品に日本メーカーは苦戦している。中国製品と日本製品を冷静に比較し購入する賢い消費者だ。
◆僕はムサビの大学院をでて、日本の電機メーカーに勤める工業デザイナーとしてこの春6年目を迎えた。上司は社歴約20年のバブル世代。生産工場が中国あり、業務委託で中国企業と関わることもある。中国企業は、日本のモノ作りでは考えられないスピードで製品化を行う。僕たちが一年以上かけて作るものを、企画初期から発売までたったの3か月でやってしまう。
◆中国は次世代の巨大な実験場に思える。89年中国の学生達は民主化運動に命をかけた。香港返還まで10年を切り、自由と民主主義を守ろうと香港市民の不安感が、黄雀行動という民主化運動の学生逃亡支援に繋がった。学生運動の裏側で趙紫陽と●(とう)小平の権力闘争があった。表の事実と裏の真実を行き来しながら、森田さんは中国をフレームにして世界を見つめる。日本人は握れば固まる泥の民族なら中国人は砂の民族だと森田さんはいう。指先から零れる中国人に国は個人の自由を許すことが出来ずに管理しているという。今回の報告会は様々な指針に満ちていた。(山本豊人)
■私の話を熱心に聴いていただいた皆様に感謝をしなければなりません。2時間、休みもなく私の話に退屈もせずに耳を傾けていただき、光栄でした。しかも、長い話の最後にフォルクローレも聞かせて、自分ながら厚顔無恥に呆れております。
歴史を語るときに、私は「過去」や「過去の人」をおもちゃにしてはならないと自分に言い聞かせております。自分に都合よく解釈し、弄ぶことがないようにつねに警告を発しております。
報告会で話し足りない側面を補っておきます。一つは、元祖中国の民主化運動家たちが、事件をどのようにみていたか。そして、アメリカとくにCIAは、なぜ天安門事件を予測出来なかったのか。
98年10月、私はニューヨークに本部がある「中国人権」で、一人の民主化闘士と話しました。魏京生という名前を覚えている人はいませんか。79年、「北京の春」という中国で初めての民主化運動のきっかけとなった「民主の壁」で、「第五の近代化」として民主主義を掲げ、●(とう)小平を「毛沢東と同じ権力にしがみつく独裁者の道を歩む」と批判し、18年間獄中生活を送った人です。
そもそも天安門事件は、ブッシュ米大統領(当時)の訪中にあわせて、魏京生の釈放を求める運動がきっかけでした。その後、97年11月江沢民国家主席(当時)訪中直前に病気治療を理由に魏京生は釈放され渡米をさせられたのです。中国の狙いは2000年のオリンピック誘致運動です(シドニーに僅差で敗れる)。魏京生は米中外交カードとして政治利用されました。
魏京生とは、「中国人を救うのは文化か、経済か?」と、言葉をナイフのように投げあったのを覚えています。
「中国人は短い記憶しか持たない民族だ。天安門事件のことを忘れて、民衆はカネの自由に走っている」「民衆は長い憂鬱な眠りから覚めて、向前看(前を見て歩こう)を、向銭看(カネを儲けろ)に変えている」さらに、「下海」(ビジネスに身を投げろ)が合言葉になっていると、話が盛り上がりました。
「中国で起きたのは東欧やロシアのような旧政権崩壊ではなく、旧体制の金属疲労から来る炉心融解であった」「流血と犠牲のなかで最終的に天安門広場の残った学生たちが得たものは民主化ではなかった。彼らの行き過ぎた行動が国家の長老たちを慌てさせた」。その分、民主化を闘ってきた「'79北京の春」の世代は大きな代償を支払ったことになるという話に私は頷きました。天安門事件後、ほとんどの民主的な行動が停止させられ、母体をも傷つけた死産だったのではないかと、私らは結論を得ました。次に、アメリカは天安門事件をなぜ事前に防げなかったのかが話題になりました。
ブッシュ大統領(当時)ほどCIAを大事にした大統領はいません。CIAは「血の日曜日」を予想をしていなかったのだろうか? ブッシュに命じられたCIAの「ミッション・インポシブル・イン・北京」はすさまじかったのです。学生を救出する作戦「黄雀行動」(CIAではイエローバード作戦)をキャッチし、それを利用して香港の本部と地下ネットワークを築き、中国のIBMといわれた四通公司の万潤南を通じて広場の学生たちに盗聴防止機器やファクス機を送り、「紙爆弾作戦」に便乗して、貴重な学生情報をいち早くキャッチしていたのです。情報源の学生15人を広東省から香港へ逃がすために高速モーターボートまで用意させ救い出す一方では、二人は中国当局に捕まり処刑されています。なのに、なぜ事前に防げなかったか……。その疑問に、魏京生から答えは出ませんでした。天安門事件後、ブッシュは中国に厳しい制裁を課しながら、一方で最恵国待遇を延長するなど手ぬるいと批判され「北京からバクダッドまで甘やかしている」とクリントンに敗れました。クリントンもまた大統領に就任すると制裁を撤回しました。中国市場の独占を狙う外交問題評議会の強い意向が働いていたことは言うまでもありません。
「ギョーザ事件について、重大な発表があります」報告会のあった夜、一通のメールが入っていました。ある中国機関が、「日本発」の発表に違和感を覚え、私に送ってきたものです。「毒入りギョーザ事件の被疑者逮捕」を、人民日報をはじめ中国紙はいっさい報道していません。日本発の報道で、中国側の関係者が知ったのです。単独犯、日本を標的にしたテロではなかった、工場内の農薬を使った手口など……決着にはいくつもの疑惑がありますが、日本との経済的な関係を配慮したことだけは伝わります。経済発揚を期待する上海万博を前に事件に決着をつけたかったのでしょう。被疑者は、捜査当初取り調べ対象者55人に入っており、嘘発見器にもかけられていましたがシロの判定でした。組織犯罪と見ている捜査陣は単独犯に納得しません。この事件には、もちろん裏があります。被疑者の待遇、金銭面の不満を犯行動機として食品テロだけは避けたかったのでしょう。犯行の手口など合理的な説明はありません。真相はすべて闇の中に葬るつもりでしょうか。
「国家を救うのは文化か、経済か」という論争で、「中国人を救うのは経済、結局はカネだろう」と失笑していた魏京生の言葉を、思い出しました。
最後に報告会での素晴らしい聴衆の皆様に感謝、ありがとうございました。(森田靖郎)
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