■皆さんは、カヌーあるいはカヤックの経験がありますか? パドルの片側だけでこぐタイプをカヌーと呼び、両側でこぐタイプをカヤックと呼ぶ。海や川をのんびりと進むイメージがあるかもしれないが、これが思いのほか、体力と頭を使う。ガニ股にした足を踏ん張り、強い流れをいなすために体を傾け、パドルを握る。水の流れを読みながら、艇の角度を調整。沈(チン。沈没)すると、水を抜いて乗り直す。手間がかかる以上に、冷たい水で体は冷えるし、「あああ、沈しちゃった…。」と自分にがっかり、心にもダメージを負う。まあ、沈して、上手くなると励まされるけど。
◆こう初心者の心境を書き連ねるのも、今夏、カヤックに心を奪われ、時間とお金を遣り繰りしては、川に通っているからだ。そんな私にとって、今回の吉岡嶺二さんのご登場は、神ならぬ江本さんのお計らいのようだった。
◆今回の報告は、足かけ4年に及ぶヨーロッパ縦断2,000キロのカヌー旅(実質3年。3年目はお孫さんのお世話のため旅立たず)が中心だ。〔1〕2006年:パリ→アムステルダム(北上)〔2〕2007年:パリ→リヨン(南下)〔3〕2009年:リヨン→サンルイ・ド・ローヌ経由→マルセイユ(南下)と、全行程57日間に及ぶ。『ナビカルテ』というフランスの川の地図を片手にしての、自然河川、運河の気まま旅だ。
◆まずは、今日の話のメイン、ロックの説明から始まった。ロックの仕組みを、自作された模型の写真と共にご説明頂く。本当によくわかったのだが、えーと、これを文章化する難しさよ。ロックは、フランス語でエクルーズ。日本語で閘門(こうもん)と呼び、水門の一つである。河川や運河の高低差がある箇所に、間隔をあけて2つの門を設置する。この2つの門を、タイミングをずらして開閉し、水位を調整する。水位につられて、船舶も上がったり、下がったりして続く水路に安全に乗り出せるのだ。高低差の激しい所では、幾つもの閘門が続く。
◆2006年6月、フランス・パリへ。ヨーロッパ縦断の一漕ぎ目、セーヌ川を行く。と言っても、パリ中心35キロは、遊覧船や貨物船が多く危険なため、小型船は通行禁止。ブローニュの森まで、地下鉄で運んで、ようやくスタート。ロックを越える旅の始まりだ。
◆ヨーロッパの水路は、ほとんどナポレオンの時代に出来たもので、老朽化が激しい。高さ平均3mというロックに囲まれた「閘室(こうしつ)」から撮った写真は、ぬるぬるしたコンクリートの壁の圧迫感を伝えている。暗くて、わりと狭くて、これが決壊したら溺れちゃう、という怖さもある。
◆しかし水路には、行き先表示があって分かりやすいし、ロックキーパー(関守)が花を飾って旅人を迎えたり、開門待ちの時には、他の船の人たちと交流したり、楽しみはたくさんある。カヌーだけのためにロックを開けてくれることは、まずない。大概、他の船と一緒にロックを通らせてもらう。水路には流れがなく、谷底になるので、風も少ない。
◆水鳥の卵を見たり、スイレンの群生を抜けたり。報告を聞きながら、のんびりした気持ちになった。一人旅なのに、人と触れ合う写真が多いのが印象的だ。実は、ロックを越えずに、カヌーを陸に上げて運ぶ方が多い。カヌーの底にコロを2つ付け、ひいて歩く。日に30キロ歩いたこともある。軽量化のためヨーロッパでは自炊はしないと決めて、テントだけ持って行った。それでも荷物は重く、カヌーだけで20キロを超える。
◆ひときわ目を引いたのが、殺風景な護岸コンクリートの壁のはしごに、笑顔でつかまっているおじさんの写真。吉岡さんがベルギーで撮影した1枚だが、意外な登場の仕方に「忍者か!」と心の中で呟いてしまった。このおじさんが、エチエンヌさん。古書店を営むご主人で、カヌーイスト。一人旅をする吉岡さんに声をかけ、自宅に泊めてくれた。翌日は山奥の川に案内してくれる。すっかり仲良し、翌年の旅を共にすることに。
◆ベルギーを抜け、オランダに入る。オランダの川地図を持っていなかったから、アムステルダムへの水路が分からない。警備艇に尋ねると、親切に運河を案内してくれた上、地図もコピーしてくれた。プレゼントに100羽の折鶴を持っていった吉岡さん、この警備艇にも1羽を置いてきた。東京駅のモデルとなったアムステルダム駅の裏が、北海に面するマリーナ。ここで、テントもカヌーもたたんで、日本へ送り返した。
◆2007年6月。パリではエチエンヌさんの友人が待っていて、出航を見送ってくれた。水旅がさかんな土地柄、パステルカラーの船を花で飾り、住居にしている人たちもいる。写真で見ると、メルヘンの世界だ。エチエンヌさん夫婦がパリから来てくれて、ブルゴーニュ運河を共に漕ぐ。奥さんは荷物を積んで、車で伴走してくれる。途中の長さ3.3キロの真っ暗な運河トンネルも、2人なら心強い。日本の歌、ベルギーの歌、交互に大声で歌いながら45分かけて抜ける。
◆2009年6月。リヨンからローヌ川を下る。報告会では、アヴィニヨン橋を見上げて歌った歌を披露してくれる。アルルではゴッホの絵のモデルになった景色や粉ひきの風車小屋を見たいと思っていた。そんな日に限って、出かけている最中に、テントから予備の時計・食料、カメラの充電池を盗まれてしまった。貴重品が盗られず、カヌーが無事だったのが不幸中の幸い。あれこれを乗り越えて、河口の町サンルイ・ド・ローヌまで行けば、ヨーロッパ縦断達成だ。吉岡さんはここで河口から地中海を少し漕ぎ進み、有名な港町マルセイユをゴールとした。
◆吉岡さんの報告会は、1985年11月の「海抜60センチからの奥の細道」以来4回目。今回は「カナル・カヤック」という新しいジャンルへの挑戦だった。進行役の丸山純さんが冒頭で言われたように、これは、地平線に関わる各人にとっても刺激的なことだったのでは? 会社勤めしながら、長く大きな旅を楽しむ。そういう生き方を実践しつつ新たな地平を切り開く、という点で。少なくともあちこち遠くに行きたくて会社を辞めてしまった私は、吉岡さんの話を聞いてしっかり遊ぶためにも、ちゃんと働こうと襟を正した次第である。
◆もともと水泳部、ボート部と水が大好きだった鎌倉在住の吉岡さん、カヌーで家の前の海を漕いでみようと思い立ったことからすべては始まった。行ける所まで、と思ううち、伊豆半島を回り、それが海岸沿いに東海道、奥の細道、北海道、と会場で配られたレジュメ「わがカヌー人生」の通り、止まることなく漕ぎ進んできた。
◆日本を周った後、世界の大きな河をカヌーで行きたいと考える。アマゾンやナイルのような荒々しい河は避けて、アメリカとカナダの国境を流れるセントローレンス川に漕ぎ出す。ヨーロッパ文化がアメリカに入った流れでもあるし、先住民の毛皮交易に利用されていた、という点でも興味深かった、とのこと。息子さんがトロント在住で行きやすかったのも大きい。
◆休憩を挟んで、そのセントローレンス川1,200キロのお話に。キングストンからガスペ(「地の果て」という意味)まで、2夏35日で到達した。ちなみに、この時のカヌーが重かったので、ヨーロッパの時には軽いものに変えたそうだ。
◆カナダでも、多くの人と触れ合い、誰彼となく家に招かれている様子。公園に温水シャワーが併設されているのに感動したり、教会の尖塔が見えると町がある印と豆知識を得たりしつつ進む。河口まで400キロある地点でも、引き潮の影響を受ける。どんどん水が引き、カヌーが座礁してしまった。
◆移動しようと、荷物を中州に移しているうちに、水が増してきて、カヌーは流された! さらに、中州に移した荷物も流された! 哀れ吉岡さんは、パドル一つの身軽な姿で近くの製紙工場に助けを求めた。すると警備艇が出動し、カヌーもバラバラになった荷物も探してくれた。無事に失くしものと再会できたのは良かったが、この顛末が「ケベック・ジャーナル」という新聞に掲載され、思わぬ展開に。記事のおかげで、行く先々で、「お前のこと知ってるぞ」と歓迎してもらったのだ。
◆1夏目の旅を終えたリムスキーという港町に戻り、2夏目スタート。カヌーに乗ったまま、ドーナツやはちみつ、オレンジという食事をとる。朝に食べたオレンジの皮を大事に取っておき、昼に「セントローレンスサラダ」と称して食べた。貴重なものですからね、と力説。カヌー旅の食事情は甘くないようだ。アザラシなどもいるガスペ半島の最東端をまわり、ガスペのマリーナでゴール!
◆ここまで、予定時間どおりにお話もゴール。さすがに会社勤めだった方は、時間管理もばっちりです。長く旅を続けながらも、行き着く先々で名所旧跡をしっかり観光したいという気持ちを保っているのが新鮮だった。なお、会場には、独協大学探検部OBで、カヌーイストの河村安彦氏の姿も。河村さんは地平線1980年、1987年大集会の報告者。吉岡さんよりも大分?お若い、カヌーのご師匠さんだそうだ。質疑応答は活発に続いた。
◆私は、会場でも、二次会でも「どういうトレーニングをされているんですか?」とカヌー上達の秘訣を伺おうと試みたのだが、「実践に勝るものなし」というご宣託が返ってくるばかり。寒くなってきました。皆さん。私はこの週末、また川でジタバタしてきます。来年の川旅デビューを目指して!(後田聡子)
■久々に温故知新の夕べを過ごさせて頂き、有り難うございました。京都嵐山渡月橋にゴールインしたときの朝日新聞の小さな記事が、地平線会議のスクラップ帖に貼られたことから、報告会への案内を頂きアジア会館に足を運ぶことになった。三輪さんの第一回報告が、自分が鎌倉の浜を漕ぎ出した日の36日前だったというのも巡り合わせだったのだろうか。以来30年、地平線会議の歩みに付かず離れずに漕ぎ続けてきた我が旅についてお話させて頂いた。
◆来年からの宣言もしてしまった。先ずはロンドンからグランドユニオン運河を行く計画で、ほんの一部だけだが下見をしてきた。産業革命を支えた道だというが、今はレジャールートとして保持されている。水路に並行してトゥパスという細い道が水面に近い高さで続いているからフランスの運河よりも楽しそうだ。年齢相応の旅にもってこいだと高を括っていくしかない。期待は高さ30メートルを超える水道橋。いつかまた、そんな報告ができたら嬉しい。
◆その先は全く未定だが、豆のつるのようにきっと何かを見つけ出せるだろう。江本さんから頂いた永久カヌーイストという肩書きをプレッシャーにしておこう。(吉岡嶺二)
|
|