■昨年秋、沖縄浜比嘉集会でサバニ(帆船)の試乗体験があった。その時、同乗のガイドさんに港いっぱいに干している網はどんな魚用かと尋ねたら、彼は答につまり、代わりに隣に同船していた原健次さんが「あれは魚じゃなくモズクの養殖用の網なんです」と教えてくれた。
◆その後、集会会場の公園で「干潟でカウボーイのようにロープを投げている人たちは何を採っているのだろう?」と参加者と話していると、背後から原さんが現れ「あれはタコ漁なんです」とまた教えてくれる。いったいこの人の知識はなんなんだろう。網やタコ漁は僕が魚に興味があるからひっかかるもので、そうでなければ目の前にあっても見えないはずだ。そんなマニアックなモノまで原さんは僕より先に発見し、僕が気づいた時にはすでに答えを見つけていた。これでは同じ場に同じ時間いたとしても吸収できる知識の量に膨大な差がでる。今回の報告会を聞いて、ますますその思いを強くした。
◆現役時代は大企業でエコナ(サラダ油)等の開発プロジェクトのリーダーであり、オーケストラのビオラ奏者であり、そして超一流のウルトラランナー。現代のレオナルド・ダ・ヴィンチのような原健次さんは昭和20年の3月生まれ。5月出産の予定が戦争の混乱の中での早産になり、子どもの頃は小柄で運動も得意ではなかったそうだ。18歳から大学オーケストラでビオラを演奏し、大学生の頃に登山にはまり、社会人になってからはテニスときて、初マラソンは47歳。走り出した理由は、お腹が出てきたので運動しなくては、というありがちなものだった。ところがそこから先がすごい。
◆たまたま本屋さんで見つけた雑誌「ランナーズ」に掲載されていた「あなたも6ヶ月でフルマラソンが走れる」という記事の通りに練習したところ、初マラソンがいきなり3時間20分(これは驚異的なタイムです)。それ以降、タイムを短縮し続け50代になってから市民ランナーの目標であるサブスリー(3時間を切るタイム)を達成。それと並行してウルトラマラソンにもはまり、100キロ、250キロ、660キロ、そしてついにギリシャのスパルタスロンまで完走。ウルトラマラソン界でも、その名をとどろかすことになる。
◆それだけの脚力をほこる原さんの口から「フルマラソン(42.195キロ)はしんどい」という言葉が出たときには、えっ? と思われた方も多いと思う。これは人によって違うかもしれないが、ウルトラはフルほどタイムがすべてではないからだ。ウルトラなら疲れれば歩いてもいい。その余裕がさまざまな世界を見せてくれる。
◆たとえば時間をかければ自分の足でどこまでも行けるということを知る。他の交通機関とは違う目線で、景色を眺める。原さんの場合は事前にその地域の歴史、地理、植生、風土、その他もろもろを頭に入れてから走る。そうすることで楽しさが増すと言う。走り始めてから20年間で100キロ以上のウルトラを300回走った原さんにとって「走る」ことは、もはや食事や睡眠と同じ生活の一部だ。
◆モットーとするのは「継続は力」。43歳から走り始め、64歳で4500キロもの超長距離マラソンを走るこの人が口にすると、「その通りです」と言うしかない。そしていよいよ話は今回の報告会、トランスヨーロッパフットレースである。
◆このレースはイタリアの南部アドリア海に面した長靴のかかとの辺りの町バーリーからスタート。オーストリアでアルプスを越え、ドイツからフェリーでスウェーデンに渡り、スカンジナビア半島を北上、フィンランドをかすめ、ノルウェイの北端ノールカップまで4489キロを64日間、一日平均70キロを走る。レース中は10キロごとに食べ物、ドリンクを置いたエイドがある。
◆参加費用は約100万円。参加者は世界から67名(日本人14名)。プラス、ランナーのサポーターやエイドのボランティアを含めて総勢120名。ルートは「ルートおじさん」と呼ばれる人が自転車で先行して、道路標識や道に行き先の目印を付ける。宿は学校の体育館やバンガローなど。宿の場所とりは重要で通路やトイレやイビキのうるさい奴のそばは避ける。ただ原則早いもの勝ち。毎朝4時に起床。5時に朝ご飯。6時にスタート。一日の終了後、シャワー、せんたく、6時半に晩御飯。9時に睡眠。を64日間繰り返す。一日も休みなどない。
◆たとえどんなに疲れても、その生活についていけず、最低時速6キロで計算された一日のタイムをクリアーできなければ競技者としては失格となる。参加者はもちろん一流ランナーばかりだが、その中にも実力差はあり、時速10キロを超えるトップランナーと制限時間ギリギリで走るランナーの所要時間には、およそ倍近い開きがあり、遅ければ遅いほど休息時間も睡眠時間も減っていく。
◆以上の条件は誰がみても過酷であるし、かつての大陸横断マラソンランナーの講演会や書物には、その厳しさ苦しさがかならず出てきた。2004年の「ランアクロスアメリカ」完走者である瀬ノ尾さんの記録などは読んでいるこちらまで苦しくなり、もう止めてくれ、と言いたくなったほどだ。原さんがいくら飛びぬけたランナーであったとしても、苦しい場面もあったはず。それは話のどこかで出ると思ったし、また聞きたかったのだが、原さんはまるで語らない。ランニングの最中に6000枚もの写真を撮り、一日もかかさず家族にハガキを書き、各地で催されたランナーの歓迎イベントもランニングのあとに楽しめる、ということは、やはり余裕だったのだろうか。ウルトラランナーでもある江本さんが、その点を問うと、「余裕はありました」と即答されたのには驚いた。
◆原さんの見つけたもののひとつにカロリーと排泄物の話があった。スライドに映されたのはピザやサラダ、ボリュームたっぷりの肉料理。報告会の日は晩御飯にありつけるのが9時半ごろなので思わずよだれがでそうな料理の数々。しかし冷静になって疲労困憊した状態でこの料理をしっかり食べられるのかと自分に問いかけるとその自信はない。原さんいわく、毎日70キロを走る体を維持するためには、普段の3〜4倍は食べないといけない。そのために食事の際には量はもちろん、エイドでもなるべく高カロリーなものをとる必要がある。
◆不思議なのはそれだけ食べてもウンコの量はさほど変わらない。しかしオシッコの量は3倍になる。このために昼間は10キロに2,3度、夜中に3度トイレに行く破目になるという。この現象を科学的に説明すると、糖分からATP(アデニシン三リン酸・生きるため、走るためのエネルギー源)を作るときに、水と炭酸ガスが出る。この結果3倍食べれば3倍のオシッコが出るのだそうだ。こんな話は「走る研究室」と呼ばれる原さんでなければできない。
◆後半は、好きな花、環境、リサイクル、食糧自給率、素晴らしい自転車道、歴史、と原さんの知的好奇心が存分に発揮された話になった。イヌ専用のウンコ用のゴミ箱が公園にあるという話では江本さんが喜び、食い意地のはった僕は高級品のアミガサタケが道端に生えており、それを採取しながら走るランナーがいた、という話が面白かった。これだけ多岐・高密度の話なら、会場にいた人たちもおのおの楽しめたに違いない。
◆終了直前、もう一人のトランスヨーロッパ参加者、菅原強さん(65歳)が江本さんに紹介され、「私も42歳から走り始めました、若い人はこれからです」との心強いコメントをいただく。それをうけて原さんが「昔は難行苦行だったウルトラが、今では楽しい。少なくてとも70歳までは大丈夫」と同じく力強い答。
◆運動不足で腹が出てきたサラリーマンが、40歳を過ぎてから始めて、頂点にたどり着けるスポーツなんてフツウでは考えられない。ウルトラマラソンの世界は万人に開かれているのだ。ただ忘れてはいけないのが一歩踏み出してからあと。「継続はチカラなり」だ。その言葉を実践している原さんはこの通信がみなさんの手元に届くころには南米ペルーのインカトレイルを走っているはずだ。(最近さぼりっぱなしのジャーニーランナー、坪井伸吾)
■行ってみないと分からないことがあるという軽い気持ちと、持ち前の好奇心に駆られて64日間、4500キロの走り旅。ヨーロッパを南から北まで自分の足のみで走るトランスヨーロッパフットレースを手段にした放浪の旅で感じたことを日本の現状に対するやや辛口コメントを交えて報告させて頂きました。テレビの旅行番組の確認の旅ではなく、自分の足でヨーロッパの大地を歩むのはある意味では大変なことのように思われたかもしれませんが、本人にとっては日常生活の延長で、毎日毎日の積み重ねで何とかなる位にしか思っていませんでした。
◆旅先ではその地の気候、風土に合わせて毎日70キロ、80キロも走っていると身体が勝手に変わってゆきます。そして自分の体、頭、感性が変わってゆくのが面白かったです。頭を働かせ、脳を活性化させることも旅の楽しさのひとつだと思います。味、音、匂い、臭い、空気、湿度の感じ方が変わってゆくのも、車、鉄道、飛行機の旅とは違う走り旅の醍醐味でしょうか。ドイツでのビール、ジャガイモは何度もお代わりしたくなるくらい美味しかったのですが、帰国して同じドイツのビールを飲んだらそれ程でもありませんでした。肉中心の食事ではからだが野菜を欲しがっているのでしょう、サラダが出た時には無意識に大盛りにしていました。空気の乾いた夏のヨーロッパ、10キロおきのエイドステーションで好く飲んだレモンティーの味が、周りの風景とともに蘇ります。
◆走りながら、ヨーロッパのランナーと話しながら感じたことは、日本人はなぜ自然を常に意識しているかということでした。自然を常に意識できること、日本人として誇りに思いました。それは四季の変化がはっきりしていて、自然災害が多い風土に因るからでしょう。スウエーデン、フィンランドは国土の7割が森林で、その利用、活用は見事です。日本の森林も面積ではほぼ同じですがかなり荒れています。日本の文化や美意識を支えてくれた自然をもっと大切にできないかと感じていました。
◆話忘れたことを2つ。食事にはゆで卵をはじめ卵料理もサーブされましたが、ヨーロッパの卵の黄身は日本の卵のようには黄色くありませんでした。にわとりの飼料に卵黄着色色素が添加されていないからです。ヨーロッパの人はどちらかといえば訛りのある英語を話します。外国語は下手な方がお互いによく分かり合える?と感じました。
◆最後に「地平線通信」のウルトラじーじを描いていただいた長野画伯、その傑作をみて宇都宮から是非にと駆けつけてくださった家族、友人たち、デジカメ音痴の私の写真をアレンジしていただいた丸山さん、それに発表の機会を与えていただいた江本さんに感謝致します。明日からペルーのインカ・トレールを走りに行ってきます。(原 健次)
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