2009年3月の地平線報告会レポート


●地平線通信353より
先月の報告会から

半径10キロの大宇宙から

多胡光純(てるよし)

2009年3月27日 新宿区スポーツセンター

■相棒はモーターパラグライダー。大きな扇風機のようなモーターを背負ってパラグライダーを操るこの乗り物で、地面スレスレから高度4000mまで、フワリと飛んでしまう。そうして撮影された地球の姿は、まさに鳥の目線。完全に自在にとは行かず風の力を借りて撮るからか、飛行機からの写真や映像よりも“生の自然”な感じがして、力強さと親しみを感じる。TV番組を中心にそんな写真・映像作家活動をしているのが、エアーフォトグラファーの多胡光純さんだ。

◆空撮を始めたきっかけは、旅。大学探検部時代、カナダの荒涼とした大地に惹かれてマッケンジー川などに通いだす。やがて興味は、川と共に生きる人々へ。自分とは異なる価値観で生きている彼らのことが知りたくて、極北の旅を重ねた。そうやって増えてゆくストーリーを、写真と文章で表現したいと思うようになる。大学卒業後も撮影の旅を続け、デネ・インディアンと共同生活も送るが、「自分が感受しているものを撮れてない」という不満が常に付きまとった。

◆ある日、川のほとりにある小高い岩山に登った。高度を稼ぐことで、今までカヌーの上から見ていた水平の景色から突然、川の蛇行までわかる立体的な眺望が眼前いっぱいに広がった。「この景色の中で今まで出会ってきた人たちは生きてきた。人々を取り巻く“空間”が見えた瞬間に、その人に近づけた感覚がして、初めて素直にシャッターが押せた」。こうして、10年間続けてきた旅に新たな方向性が生まれた。

◆人と大地を繋ぐストーリーを表現するため、高台から撮る。そう決めた多胡さんは、日本でモーターパラグライダーに出会う。そして9か月間の集中特訓後、2003年の夏、再びマッケンジー川の撮影に挑む。カヌーで1400キロを下りながら、ひと夏で92回のフライトをこなした。ここで手ごたえを掴み、映像の世界にも足を踏み入れていく。しかし、一連の流れで撮る映像はスチールの何倍も難しかった。「撮った!という手ごたえがない。何だかポカンとして…」。

◆練習の様子がムービーで紹介される。イスに座って飛びながら、自分の顔を下から撮ったアングル。両腕は高く上げられ、パラグライダーをコントロールするブレークコードを握っている。左手にはアクセルも。あらためて、こんな体勢のまま撮影しているのか! と驚いた。操縦しながら狙った映像を撮るのは難しい。両手が放せないから自然とカメラを股にはさむ形になるが、納得がいかなかったと言う。当時の多胡さんは、まだ自分にとっての「いい映像」の基準が定まらず、ただがむしゃらにより良い撮影方法を追い求めていたのかもしれない。

◆2006年秋、NHKで紅葉を撮影する仕事が決まる。ここで、知床半島から五湖へと飛ぶムービーが流れた。金色に紅葉した草に朝露がおり、輝く湿地帯を、地面から1メートルの高さでぐんぐん進んでいく。流れる景色に、こちらも風になった気分だ。「この先はどうなっているんだろう、見てみたい! そんな気持ちが、映像で撮ろうという頑張りに繋がっている」。知床一湖では、鏡のように光る湖面に接近しすぎ、上昇の際に木にひっかかりそうになる。危なかった。

◆なぜ超低空飛行にこだわるのか?「極北の川をカヌーで行く、旅人の目線です。僕の両脇はスプロースの森がその先の景色を遮断していて、丘に登ったときにそれが開ける…。それを映像で表現したい」。ローからハイに移る感覚、と何度も繰り返した。映像としても記録としても、ある程度の価値はある。しかし撮っている本人が満足いかない。多胡さんは様々な人の協力を得て、業務用のさらに上を行く放送用カメラを試す。不満の要素を1つ消し、2007年秋、シリーズ2年目の「紅葉列島」の撮影に臨む。4か所の撮影を経験し、放送用カメラのハンドリングはできると確信。操作もマニュアルにした。だが、まだスチール撮影の高揚感には追いつかない。仕事だからやらされている感があるのか? もしそうなら、一歩間違ったら突っ込むリスクを背負いながら我慢していていいのか…。不満は根深い。

◆大きな転機となったのは、瀬戸大橋の開通20周年を記念しての撮影。すでに優れた映像は世に山ほどあるが、「詩的に撮りたい」という制作会社の一言に、自分なりに撮れるかも、という期待で臨む。しかし1本目のフライトは大失敗。誰でも撮れるようなありふれた映像で、スタッフからも慰められる始末。多胡さんは考えた。「自分はスチールのとき、何に向かってシャッターを切っているのか?」

◆答えは簡単だった−「感動しているとき」。景勝地や世界遺産の名前はいらない。極北の風が強く吹きつける、ツンドラ地帯に咲く一輪の花。それを這いつくばって撮る瞬間に、充実した時間が流れていた。その想いをこのプロジェクトにぶつけてみよう。

◆2本目のフライトムービーがノーカットで上映される。上空から瀬戸大橋が映ったのは、わずか数秒。あっという間に橋の下をくぐり、撮影のメインは橋の真下に位置する岩黒島に。小さな漁村、菜の花、小学校、修理中の船…。多胡さんの気持ちの向くまま、何かに引き寄せられるように撮っているのが伝わってくる。島のすぐ横を海面スレスレで飛ぶ。海を覗き込む人々の顔も一瞬入る。これでもかというくらい、長い長い低空飛行が続く。まるで「これが地球の姿だ」と言わんばかりだ。と、フワリと浮かび、こんどは島の北端に潜入。こちらは黒い岩がゴツゴツとむき出した、人が近づけない場所。最後は水平線から生まれたばかりの太陽に向かって一直線に飛ぶ。

◆「瀬戸大橋の空間を撮りました。俺は、橋を支えている人々の暮らしに感動しているから。そうしたら足元の1千万円のカメラが近く感じられた」。目の前のものではなく、“空間”を撮る感覚を掴んだ多胡さん。しかし、TVで使用された映像は最初の15秒だけ。宝物を見せてもらった気分だ。

◆さらに続ける。「映っているものに意味はない。大切なのは、こういう空間があることを意識できるかどうか」。地球上のどこかで、いま、ここと同じ時間が流れているという感覚。星野道夫が、街中にいても山に暮らす熊の存在を感じていたという話を思い出した。「俺が感動した瞬間、“地球の素顔”を撮り続けていきたい。このタイミングでしかない出会いを、すくいとって、感じて、撮って、書いていきたい」。そう力強く語る多胡さんは、自分の声をしっかり聞ける、すごくピュアで強い人だ。

◆2008年秋、シリーズ3年目の「紅葉列島」で九州の九重連山を飛んだ。映像もスチールと同じ感覚でいけると確信した多胡さんは、秋に見た知床の冬の姿を撮ろうと思い立つ。12月、寒風に耐えながら、雪で覆われた知床の湿原から羅臼岳(標高1660m)の頂上までを撮った。撮影のあと、いつものように現地の人々と映像を見ながら話が盛り上がる。その時ある漁師が言った。「知床の2月は本気だぜ」。流氷のことだった。ロシアのアムール川で凍結した氷がオホーツク海を流れてくる。もしかしたら、知床の人たちはずっと昔に流氷に乗ってきたのかもしれない…。そんな想像がふくらむ。これは撮ってみるしかない!

◆でも、もし氷の海に着水してしまったら? テストとして、厚さ8ミリのドライスーツを着て流氷に飛び込んだ。頭をハンマーでガツンと殴られたような衝撃で、言葉も出ない。が、何とか30分は耐えられた。考え得る限りの対策をほどこし、厳冬期用のエンジンを背負って飛び立った。またまた、お宝ムービー。え?、白い氷が波打ってる!? 不思議な迫力のある光景だ。オホーツク海を埋める流氷がアップダウンし、高さの感覚がつかめない。ぎりぎりの低空飛行で、足に波しぶきがかかる。そして、ローからハイ。高度を上げると、崖の上に民家が…景色にぐっと奥行きが出る。再び思う、「人の、こんなに近くに、こういう空間がある」。

◆知床は手ごわかった。空へ飛び上がった瞬間、冷気で唇にパーンとひびが入り、血が流れた。手はカチカチに凍りついた。リスクの大きな撮影だった。自分でもそこまでやるの?と思ってしまうが、でも「このくらいの満足感がないと撮る意味はない」。ハイリスク、ハイサティスファクションの世界だ。

◆ここで、用意した映像は終了。ルートをミスって撮り直しているシーンまですべてそのままの映像だった。映像作家が編集なしのムービーを見せるという覚悟はどれほどのものか。人の評価がどうというのではなく、ありのままを見てほしいという多胡さんの「本気」が伝わってくる。

◆撮影は風の状態に左右されるため、必然的に待機時間が長くなる。その間に地元を散歩し、人と話し、色々なことを感じる。「それから飛ぶと、ああ、こういう空間だから、あの人はあんな話をしたのかと判る。僕の判断なのに、すごく近い所で判れるのが好き」。今は映画が撮れるカメラがほしい、自分のペースで世界展開していきたいと言う多胡さん。いつの日か、世界のありのままの姿を映した多胡映画を見せてほしい。

◆報告のあと、探検部の先輩である田中さん夫妻と、奥さんの木のおもちゃ作家・歩未さんが登場。あるみさんのお腹には、わずかなふくらみが。8月には親になるという2人。「ますます突っ走っていきます(笑)」と多胡さん。飛ぶ度に家族とお互いの身を案じることは、この先も避けられない。それでも多胡さんが空の上で感動を得ている限り、やっぱりこれで正しいのだろうと(勝手に)思う。

◆「マッケンジー川での初フライトは、こわくて3日間も飛ぶことができなかった」。2003年の秋、多胡さん初の報告会での言葉はとにかく全部がリアルで、大学生だった私の心に真っ直ぐ響いた。あれから5年半。もうすぐ、私は会社を卒業する。様々な経験をした社会人生活の中で、何かに本気で取り組み、心から充実するためには、自分の感覚にもとづく意思が大切だと強烈に感じた。人の波に流れ流れて来た今いる場所を、自分の意思で来たと思い込んでいる人がどれほど多いことだろう。本当に面白い人生を楽しむため、これからは自分の声にしっかり耳をすまし、素直に生きたい。先のことは見えないけれど、「答えは自分の中にある」と、多胡さんに背中を押してもらった気がする。(新垣亜美 27才。もうすぐ山小屋のお姉さん)


報告者のひとこと

全ての空間は地球というベクトルのもと同時に躍動している。自分が生きる空間のすぐ脇に、幾万重もの空間が同時に時を刻んでいるのだ。僕はその地球の今を記録したい

■ズーム機能をオフしたビデオカメラを股に挟み、広角レンズを自分の滑空方向にフィックスして飛ぶことは、感性剥き出しで空間を求む瞬間と自身の生き様を同時にレコーディングしていることにほかならない。無論、気の効いた方向にカメラを振り撮ることも訳なく可能だが、今、己が信じる「感じ撮る」行為を追い込んだとき、余計なカメラワークは自分に必要ないと判断した。

◆映像を探求し始めた当初、技術的にビデオカメラを股に挟み飛ぶようになったが、そのスタイルが次第に自分が渇望している空間へのプロセス、発見、感動の瞬間を純粋にすくい撮っている行為だと納得し、これが僕のスタイルだと信じられるようになった。スチール撮影での感激が映像でも同じく感じられた瞬間だった。こう言い切れるまでは短いようで長かった。

◆飛ぶ以前、10年に渡り極北の河をカヌーで旅し、丘を駆け上がり眺望の元に広がる大地を空間で理解していた。繰り返したこの低い目線から高い目線という行為を今、僕はモーターパラグライダーを用い一筆書きで空間を体感し記録しようと切磋琢磨している。これからのフィールドは地球全体と考える。

◆飛ぶほどに空間は広がり、飛べども飛べども追いつかない。境目なく重なり合った空間が地球の今を構成し、その一つ一つの空間はそれぞれの色と物語を内包している。全ての空間は地球というベクトルのもと同時に躍動している。自分が生きる空間のすぐ脇に、幾万重もの空間が同時に時を刻んでいるのだ。僕はその地球の今を記録したい。多胡プロジェクトを現実化し、地球の素顔を撮る。自分の全てを懸けて挑む他ない。

◆最後になるが、今回の報告を通じ再び自分の道程に大きな区切りをつけることができたと確信する。地平線会議に感謝したい。また、たった数時間ではあるが地平線の皆さまとワラワラ喋った時間がどれだけ密なるもので、どれだけ心のバネに張りが戻ったことか。これからも話し相手、飲み相手、よろしくお願いしたい。(多胡光純


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