2009年1月の地平線報告会レポート


●地平線通信351より
先月の報告会から

シアワセへのサバイバル

服部文祥

2009年1月23日 新宿区スポーツセンター

■09年、第一回目の報告会。報告者は服部文祥さんだ。一作目のご著書『サバイバル登山家』(みすず書房)の表紙、生の岩魚を齧っている(ように見えるが正しくは捌いている)写真が強烈で、今回初めて生身の服部さんを拝見した私の第一感想は「あれ、齧ってない」。そりゃあ、いつも齧ってはいないだろうよ……。

◆まずは「べらべら喋ると話す事がなくなるのでゆっくり」なんて、ゆるゆると話し始める。「よくあなたの話なんか聴きに人が集まるわねえ」、と美人の奥さん(冒頭、家族写真を披露してくれた。本当に美人!)に送り出されたらしい。が、会場は人でいっぱい。しかも、かなりの人が「一作目をさらに洗練、深化させた」(と長野さんが紹介した)近著『サバイバル!』(ちくま新書)を読んでいるから、すごい。そしてもう一つすごい事。服部さん、最初から最後までマイクを使わず話したのだ。もちろん、うしろまで朗々と声を届かせて。

◆育ったのは横浜。近所に雑木林があり、ザリガニや虫を取るのが好きな少年だった。中学高校ではハンドボール、自然をフィールドに戻そうと大学ではワンゲル部に入り、登山をする。ヒマラヤに憧れがあり、高所登山を目標に掲げた。念願のK2登頂の時、ポーターに自分の荷物や酸素を持ってもらう事に疑問を感じたのが「サバイバル登山」を始めたきっかけの一つだ。

◆サバイバル登山では自分で生き物(岩魚、時々カエルやヘビ)を獲り、殺し、食べる。すると考える事がある。殺す瞬間はやはり気分が悪いし、何度やっても慣れないのだ。それを日頃、誰かがやっているというのは「アンフェア」なのではないか。殺す事も、自分でやりたい。服部さんは狩猟を始めた。日本では馴染みがない鉄砲だが、実は誰でも免許を取ることができる。山梨県の小菅村の鉄砲衆にお世話になり、今年で4シーズン目。鹿を7頭、殺した。

◆銃は圧倒的な力を持ち、それは生物がイメージできない力なのかな、と服部さんは思う。だから、鉄砲だって「アンフェア」だという事は重々承知している。罠の方がまだ「フェア」だと思う。でも見回りに時間がかかる罠猟は首都圏に住んでいると難しいのだ。いつかそのギャップを埋めたい。服部さんの話には、「フェア」「アンフェア」という言葉が何度も出てきた。

◆1シーズン目、毎週のように通って1度しか見られなかった鹿を初めて止めたのは、2シーズン目の巻狩りでだ。「今でも覚えている」と、服部さん。それは、シーズン最後の週末の日曜日の午後、「今年も止められないのか」と諦めかけていた時だった。巻狩りは、新しい足跡を見つけ、鹿(や猪)がいる場所を予測し、さらに犬をかけた時逃げる場所を鉄砲のある分予測して、そこで待つ。マタギの世界で使う言葉はダイレクトで、人のことを一人でなく一丁と呼ぶそうだ(「止める」というのもマタギ言葉)。

◆たいてい、若く下っ端の服部さんは一番遠い場所に行く事になる。トランシーバーでやり取りし、全員が場所に着いたことを確認。それから――。「犬をかける。『ばばばばー』と犬が走って、『わわわわん』って鳴く時は鹿がいるんす。それで目の前に出て来ると『どきどきどき』ってする」。狩りの話になって、服部さんはどんどんと早口になり、身ぶりも大きくなった。私は、ぐっと聴き入ってしまう。

◆鉄砲を打つと当たり、「ばーん」と鹿が飛んだ。見に行くと、いた。まだ生きている、が、動けないようだ。左手で押さえ、右手で頸動脈を切る。するといきなり最後に「ぶひゃー」と鳴いた。流石の服部さんもびっくりだ。

◆やはり、鉄砲だと殺す実感がない。自分で頸動脈を切るべきだと、服部さんは思っている。殺される鹿がどう思うかは判らないけれど。「でもこの経験は僕には必要なんで、させてもらっている」。この日、「させてもらっている」という言葉も、服部さんの口から何度も出てきた。

◆最終的にはすべてを一人でやり、獣を狩る事もサバイバル登山に入れたい。服部さんは小菅の人が誰も登ら(れ)ない大菩薩の周りを猟場にして、単独で犬も連れず山を歩き回っているという。2シーズン目までは追いかけても逃げられたが、獣道にも詳しくなった3シーズン目、「待ち伏せ」を試み、ついに鹿を止めた。一頭一頭にドラマがある、と服部さん。たぶん止めた7頭全部の話を聴いても、私は聴き入ってしまったと思う。

◆続いて、登山の報告に入った。まずは『サバイバル!』にも書かれていた、北アルプス縦断(日本海から上高地まで!)の話。最初の頃よりも持っていく米の量や、調味料の種類が増え、どんどんダメになっている、と服部さん。それから、「家ってすごいんですよ! 壁と屋根があるって!」とスライドされたのは、避難小屋の写真。普段はタープと寝袋だけで寝るが、誘惑に負け使ってしまったのだ。それは本にも書かれており、私のお気に入りのシーンの一つ。後から小屋に来た登山客に「あのサバイバル登山家の!」と気づかれ、バツが悪くなっちゃったりするのだ。他には、人と会うと食べ物を貰えないか期待する所とか、ストイックな事をしている服部さんの人間的な部分って、魅力的(ずるい! あれは、計算に違いない!)。

◆食べ物といえば、本には雷鳥を食べるのを必死に我慢している箇所もあったが、これも読者に好評だったそうだ。山行中、服部さんは天然記念物の雷鳥を見た。丸々太っておいしそう。「食べたい! でも何かが僕を躊躇させるんです」。雷鳥は数が少ない、自然の豊かな所でしか生息できない為、自然保護のシンボルだ、それは判る。けれど…。自分がその話をニワトリにして、ニワトリをちゃんと説得できるとも思えない…。服部さんは答えが見つからないと言う。

◆次は、『岳人』(08年6月号)で書いた思い入れのある記事、「黒部下奥山廻り」の話に。江戸時代後期、加賀藩は領地確保と資源管理の為、黒部の山奥に使役を送り込んでいた。しかしそれは当時、親兄弟にも言えない秘密事項。その後、調べようにも古地図や古文書はアマチュア歴史家などの手にあり、表に出されてはいなかった。しかし最近、その人たちが亡くなる事で、人の目に触れるようになったのだという。古地図をよく見ると、難所が描かれていなかったり間違っていたりする。地図の間違いが、逆にその当時下黒部を歩いていた人の存在を証明している、と服部さん。

◆それまで「難しい下黒部には入れず、幕府への牽制の為に入った芝居をしていたのでは」と考えていた服部さんは、昔の人の山行を想像できる数少ない人間の一人であろう自分が、彼らを信じられず申し訳なかったと思った。そして、同じルートを探し歩く事で、彼らも山に登る時、自分と似たような感慨を持ったんじゃないかと感じたと言う。山行には「人の個性みたいなものも現れてくる」。

◆08年夏には11日間の南アルプス全山縦走サバイバル登山を行った。その6日目。服部さんは、岩魚の釣れる奥赤石川へ下りる。わくわくと竿を下ろすと、仕掛けがない。どこかへ忘れてしまったのだ。やむなく稜線を進み、主に茸や植物を食べて凌ぐはめになったが、「最初は谷を繋ごうと思っていたのに、釣りができないと谷には行きたくなくなるんですよね」。

◆それから、「今一番重要なのがこれ」と、08年の冬に狩りをしながら南アルプスに入った時の話を。ちょうど東京でも大雪が降った時。雪の中にテントなしで寝るのは怖く、ついつい廃屋などを探し寝てしまう。2日目には運よく鹿を一頭止める事でき、「焼き肉」をしながらの山行となったが、よい場所を見つけ、どうにか野宿ができたのは4泊目になってからだったという。

◆電池を認めないサバイバル山行だから冬は日照時間の短かさが怖い。そして、寒い。色々な意味で「びびって」しまって、テント・コンロ・ヘッドランプ・時計・ラジオなしでは、自分はこれくらいしかできないんだなあ、と判った。「限界を知れて、大満足の山行だった」と言う。「そして、この続きを今年2月にやってみようと思っています。というのが山の話で…。あれ、58分! やばい!」。気づいたら、ほとんど終わりの時刻になっていた。

◆服部さぁーん! まだ聴きたい事がいっぱいです。時間がないじゃないですかぁー!(以上、私の心の叫び) それというのも「登山と表現とは、報告とは何か、本気の告白をする」と、先月の通信に自らの予告があったからだ。「まだよく判らないし、あんまり考えると自分をいじめて泣きたくなる」と躊躇しながら、時間ぎりぎりで服部さんはそのテーマを話し始めた。

◆登山は報告があって完結するという考え方があるが、「登山」と「報告(本)」は別物の表現(作品)として、各々が各々で完結しないと「美しく」ないんじゃないかと思っている、と言う。しかし今、自分の登山が一つの表現になっているか、自信がない。山に行く時「死ぬかも知れない」と思わなくなった為、自分の登山はシフトダウンしていると感じている。本も真剣に作っているけれど…。

◆「なぜ山登りする? 原稿を書いている?」、そう、自分に問いかける。やはり「面白い」からだ。そして、突き詰めると「カッコイイ人間になりたい」からやっているのだと。カッコイイ人間とは何か? それは、「深い人間」だ。そして服部さんにとって、それを目指す方法論が「登山」だった。若い頃、自分が「語るべきものがなにもない世代」だと思っていた服部さんは、本物が欲しくて、「登山」をやった。そして、今、なれているのか? それを皆さんに問いたいと思ってここに来たのだけれど…。

◆「結局、その時一番面白いと思う事を、自分にとって深い人間になれると思われる方法論を採用していくしか、ないんじゃないか。それが今の結論です」。そう、服部さんが話し終える。会場は一瞬、しんと静か。なんだか圧倒され、私は「なんとすごい人だ」と思った。きっと服部さんは生き残り、「最後の雷鳥」になるのだ。カッコイイ雷鳥になるのだ。あれ、人でなくなってしまった。ああ、私ハ混乱シテイマス。(加藤千晶


報告者のひとこと

なぜニワトリは食べていいのに、雷鳥は食べてはいけないのか?

 雷鳥の話ですが、実は報告会では最後まで話していません。会場にいなかった人のためにおさらいしておくと、私はサバイバル登山中に雷鳥を食べたいと強く思ったことがなんどかあります。しかし、いろいろな「社会的制約」で手を出してきませんでした。そのたびに焚き火を見ながら考えました。

 1、雷鳥は氷河時代からその姿を変えず、(他の生物にとって)厳しい山岳という環境にわずかに生き残った、貴重な生物(遺伝子)である。

 2、豊かな自然のなかで少数だけ生き残った生き物とは、その生活環境である自然が健全な状態であるかどうかの指針(もしくは象徴)であり、雷鳥を守るということはそのまま自然環境保全を意味する。

 以上を簡単に言うと「天然記念物だから」ということになります。

 一方、ニワトリはごまんといて、しかもその生死はほとんど人間に管理されています。家畜は人間が食べるために生み出しているんだから、食べるのが当たり前。

 ここまではよしとします。それではあなたは、これから殺されようとするニワトリに向かって、雷鳥は貴重だから殺さないけど、おまえは家畜だから殺して食べるよ、と言えますか。私は言える。言えるがニワトリを説得する自信はない。だったら雷鳥もニワトリと同じように食べるのが筋ではないのか……。

 とまあここまでが報告会で言ったことです。しかし、実はこの先があります。殴られるかと思って続けませんでした。

 自分の力で生き抜いている野生動物と家畜は違う。簡単に言えば、我々人間にとって雷鳥一羽の命とニワトリ一羽の命の価値は違うのである。これは、オーソドックスな見解のひとつでしょう。ニワトリは最初から文明に保護されて食われるため(殺されるため)に生まれてくる。

 さてそこで自分たちのまわりを見回して、もう一つ考えてほしいのです。人間は日本人というカテゴリーに限っても1億2千万もの個体がいます。珍しくありません。しかも現代文明という防御力に守られ、現代医療によって消毒されています。

 そこで Final Question です。

「あなたは雷鳥ですか、それともニワトリですか?」

服部文祥


to Home to Hokokukai
Jump to Home
Top of this Section