2008年3月の地平線報告会レポート


●地平線通信341より
先月の報告会から

鹿撃ちサバイバル奮闘記

伊吾田宏正

2008年3月27日(木) 新宿スポーツセンター

■エゾシカ。私は、何となし「見るもの」だと思う。しかし伊吾田さんにとっては「研究対象」であり「獲物」でもある。報告会当日、まだ雪深いという西興部(にしおこっぺ)村を早朝に発って駆けつけてくれた伊吾田さん。堂々たる存在感、はっきりと落ち着いた声。パワーポイントを用い、淡々と自らの背景や取り組みについて講義をしてくれた。伊吾田さんは、「害獣を資源に」をテーマに掲げた、実践研究者なのだ。

◆まず西興部村にたどり着くまでの来し方を紹介。横浜市大では探検部に入部、ヒマラヤ6000m峰にも登っている。4年在学時、クマに興味を持ち、更にマタギサミットに参加して影響を受ける。大学院への進学を目指したが、院試に失敗。それが幸いして(?)、北海道知床で、ヒグマやエゾシカの生態調査等を行う調査員という仕事に就いた。調査員時代、現東京農工大の梶光一教授(当時は北海道庁)にエゾシカ調査に誘われ、エゾシカの魅力にやられてしまう。エゾシカを研究対象として、東大大学院、北大大学院を相次いで修了し、その間に狩猟免許も取得した。

◆エゾシカだけでなく、野生動物全般と人間社会との軋轢が激化している。農林業では、ようやく実った作物を鳥、イノシシ、シカ、クマ、サルなどに食べられる被害額が毎年200億円弱に達する。人自身が襲われたり、交通被害に遭う動物も増えている。都道府県レベルでこれに応ずる制度は整備されつつあるそうだが、過疎化や狩猟者の減少のため、現実には対応が難しい。

◆いまや狩猟者は「絶滅危惧種」とも揶揄されるほど少なく、全国で20万人以下と言われている。日本では、狩猟について考えたこともないという人が多いかもしれないが、北米や北欧では盛んに行われているようだ。伊吾田さんは、全米一の狩猟好きの州であるモンタナ州のホームセンターに銃や弾丸が並んでいる写真を見せてくれた。それが良いとか悪いとかではなく「狩猟を身近にしている人たちもいる」ということだ。

◆狩猟するのは、日本では少数派だ。野蛮な行為あるいは必要悪のように、ネガティブな印象をもたれるかもしれない、と伊吾田さんは憂いた。そして野生動物の価値について、多角的な視点から説明してくれた。伊吾田さんは10年ほど前から狩猟を始めた。大きなシカを獲った時には「体全体の細胞が活性化されるようだ」と学者の顔ではなく、カブトムシを捕まえた子どものような笑顔で話してくれた。鴨を獲れば、家族や友人と鴨鍋に。蝦夷雷鳥はブロイラーの10倍くらいおいしいそうで、年越し蕎麦の出汁にする地区もあるという。

◆マタギやアイヌ文化にも狩猟はつながるが、その他にも様々な意義がある。曰く経済的価値、社会的価値、生態学的価値……釣りをする少年と狩猟する大人。そこに差はあるというのか。「両者と同じ線上に、山菜採りもあるのです」と言われると、否定できない説得力だった。人は狩猟しながら進化を遂げてきた。狩猟者の役割は、森の番人であり、農業と共存することである。狩猟者は獲物を追い、自らの糧を得る。それは動物に農地を荒らされるのを防ぐことにもなる。彼らがいなくなれば、人間と動物との関係が崩壊してしまう。それは大変困ったことなのだ。

◆伊吾田さんは、理想的な野生動物の保護管理におけるポイントを教えてくれた。第一に、適正な個体数管理と被害対策。第二に、持続的な資源利用。ここでいう資源とはシカやクマなどの野生動物のこと。獲りすぎず放置しすぎず、という姿勢で狩猟すれば、動物の数も適度に保たれる。第三に、地域住民による管理。第四に、狩猟の見直し。最後に、そのための体制作りと狩猟者の養成。伊吾田さんはこれら5点を実践研究している。そのフィールドが西興部村だ。

◆明治開拓期、エゾシカは良い獲物だった。官営のシカ肉缶詰の工場があり、海外に輸出していたほどだったとか。ところが乱獲と大雪の影響で絶滅寸前となり、禁猟に。しかし、今や過保護政策、生息地の変化、暖冬、狩猟者の減少などの要因が重なり、増え過ぎの状態だという。北海道でのエゾシカによる農林業被害額は現在、年間数十億円にのぼる。増え過ぎたせいで年間千件以上の交通事故が起き、国立公園など自然植生が破壊されることもある。

◆平成10年から北海道はエゾシカの保護管理計画を行っている。目標は、平成5年道東部に20万頭いるとされたのを、10万頭までに減らすことだ。しかし、狩猟者の行動をエゾシカが学んだり、狩猟者が減少したりしているので、計画通りに事が進まない。そこで、エゾシカを「害獣」と捉えるのではなく、「資源」と見直し、個体数の目標値を上げて、持続的にこれを利用しようという動きがでてきた。シカ肉はおいしいし、高タンパク・低脂肪・ミネラル豊富だそうだ。角や皮は工芸品の材料としても優れている。

◆平成16年、西興部村は村全域を猟区に設定した。村はエゾシカの越冬地になっているし、酪農のための牧草が彼らにも餌場を提供しているので、好猟区なのだ。なにしろ狩猟界では「Big Game」と呼ばれて人気がある。伊吾田さんは、新たに設立されたNPO法人西興部村猟区管理協会で中心となって活動。現在は弟さんが職員となり新婚の奥様(すでに狩猟免許を持たれた)の助けを受けて村民とエゾシカの共存および地元ガイド付きの安全な狩猟ツアーを提供することを仕事としている。

◆村に新たな収入も生まれた。1日の入猟者数、仕留められる頭数を規定し、車に乗って移動するガイド付きの狩猟ツアーは昨年までの4年間で、延べ84人を呼び、382頭のシカを得た。関東からの入猟者が57%を占める。ホテル宿泊費なども含めて、4年間で3000万円の経済効果があったそうだ。狩猟ツアーのほか、初心者向けの狩猟セミナーや地元小学生への環境教育授業も実施している。東京農工大では実習の一環として村を訪れ狩猟見学するそうだが、その中の有志が「狩部」を設立したというから驚く。

◆徐々に客数も伸びているが、NPO法人として課題は多い。つまり、絶妙なエゾシカの個体数調整を行い、高度な技術を要するハードな仕事をしてくれる人手を得、非狩猟期にセミナーを開くなど経営の安定化を図ることだ。その一つ一つが難しく、多くの支えを必要とするものだろう。しかし、ここで伊吾田さんたちが踏ん張ってくれなければ、日本独自の鳥獣地域主体管理と人材(狩猟者等)育成制度の整備のモデルがなくなってしまう。

◆報告の後の質疑応答はいつにも増して活発だった。会場に駆けつけた梶教授(伊吾田さんをエゾシカに導いた人)やその学生が紹介され、梶さんは伊吾田さんたちの活動が、国内で唯一、狩猟者を育て、エゾシカを食べて活用している場だと、その重要性に改めて言及した。江本さんが「根底にある問題として日本人の食に対する意識を変える必要があるのでは。そのためにどうすればよいか」と問う。これには自らも狩猟者であるサバイバル登山家の服部さんが応じた。服部さんは、仕留める時の「体が騒ぐ感覚」を伝えることだと話した。狩猟の魅力はそこにあるようだ。

◆このあたりから会場の話題は「捕獲することへの抵抗感」を中心にしたものに。私は、肉も魚もおいしく食べるのに、それを殺す段階はパスしている。動物の血を流すのは何だかイヤ、というこの気持ちは何なのか。手を上げた金井重さんは、それを「作られた罪悪感」と切り取り、狩猟するほうが、無理して作られた食肉(ブロイラー等)を食べるよりずっといい、と語った。まあ、その通りだ。自分の手で殺さなくても、肉や魚は食べられる。だが、服部さんが話すとおり「獲物を仕留め、解体して、それを食べる楽しさを伝えていく必要性」もあるだろう。伊吾田さんは、狩猟だけでなく「ツーリズム全体の中での狩猟」と位置づけて、その楽しさを広めていきたい、と会場の議論を受けた。

◆最後に「銃があると撃ちたくなる気持ちが生まれるのでは」と心配する声が出て、報告会の雰囲気は少し変わった。銃社会・アメリカの現実を見るまでもなく、それは誰にもわかる怖い側面だ。しかし、動物を殺した経験があれば、無差別に人を撃つことをためらう可能性も生まれるかもしれない。二次会も含め、これまでに銃を手にして獲物を得た人たちは、それぞれの体験をとても楽しそうに話していた。エゾシカでも何でも、獲るからには、食べるなり何なり、有効に活用したいものですね。

◆狩猟免許はないけれど、西興部村でのんびりしたい。きれいな写真だった。村のホテルで名物のシカ肉料理を頂き、シカ肉缶詰をお土産に買って帰ろう。(後田聡子 4月から桜美林大学大学院 国際学研究科 言語教育専攻 日本語教育専修1年)

[報告者のひとこと]

 3月の報告会のその後、僕は毎週末を北海道西興部村で過ごしています。日に日に雪が融け、フキノトウやフクジュソウが顔を出す中、麻酔銃でシカを生け捕りして発信器をつける調査に没頭しています。彼らは警戒心の強い生き物で捕獲作戦は困難を極めていますが、昨日記念すべき1頭目が奮闘1か月目にして漸く捕獲されました。地域資源としての村内のシカの行動を把握するため、今後さらに追跡個体を増やしていきます。ちなみに今夏憧れのチベットでチルーという有蹄類を生け捕りする調査にも参加することになり、彼の地の動向が気になるところでもあります。

◆さて、今回の報告で言い尽くせなかったことのひとつに、「野生動物を殺すということ」の意味があります。野生動物と人間の軋轢が問題となっている昨今、その対策としての社会的意義はある意味分かりやすいかもしれません。しかし、人類にとってのその根源的な価値を、狩猟経験のない方達に言葉で伝えるのは難しいでしょう。多くの現代人にとって野生動物を捕獲することに、経済的または生存的意義は希薄です。しかし、いち狩猟者としての私にとってそれは人生の重要な位置を占めています。

◆こちらの存在にまだ気づいていない獲物に向かって、風向きを考え、茂みや起伏を利用しつつ、静かに忍び寄るとき。絶好のチャンスに、全身の細胞が活性化しているのを感じながら引き金を引く瞬間。渾身の射撃が急所を外れ、逃げられた獲物の、僅かに残る血痕と足跡を辿る緊迫したドラマ。追いついて止めを射すクライマックス。動かなくなった獲物の体温と深い瞳の色。自分より重い獲物を山から下ろす困難を乗り越えた達成感。整然なる構成を解体しながら、良質な肉塊を取り出していく充実した過程。家族や友人とその滋味あふれる料理を味わう至福。これら、狩猟者に許される体験は、人類の進化の長い歴史の中で私達が自然の一部として営んできた根源的な行為に他ならないという意味において、私達がこれを愉しむことは極めて価値のあることだと私は思います。皆さんも狩猟をしてみませんか?(伊吾田宏正)


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