2年ほど前のこと、地平線通信の発送作業をしていた僕の前にシール・エミコさんという女性が現れました。どこから見ても日本人のエミコさんに僕は思わず「芸名ですか?」と聞いてしまった。僕はエミコさんについて何も知らなくて、旅のことや病気のことを教えられたときは驚きましたが、それよりも、目をキラキラさせて毎日を明るく元気に生きる姿が僕の心には強く残りました。
◆そんなエミコさんの報告会は、まずはじめに、今回で3回目の地平線報告会ということ、賀曽利隆さんに江本さんを紹介されたことなど地平線と知り合ったいきさつが話され、続いて「明日3月1日はスティーブが旅立って19年目になります」という話になり「オーストラリアから来て今はエミの『豪州人(ご主人)』です」「これ、マイ箸。これは竹、マイタケ!」(リュックから箸と奈良の自宅から用意してきた笹竹をとり出しました)とネタが披露されたあと、チベット旅行の映像へと移っていきました。
◆ラサのポタラ宮からチョモランマベースキャンプに向けて笑顔で走り出す二人。生まれて初めての5000m。荒れた道と爆風のように叩きつける風と砂に加え高山病にも苦しめられたエミコさん。「これじゃ生きていけない」。それを聞いて「死ぬって言うな」と激しく怒るスティーブ。ベースキャンプまでの道のりはとても大変で「私達は山の女神に呼ばれていないのかも? だったら行きたくない」と思うも「とにかく何も考えず前に進むしかなく、時間が止まったようだった」と言います。
◆風を受けてその場に崩れ自転車に必死にしがみつくエミコさんや風に煽られ崖から落ちそうになったスティーブさんを見ると、本当に山が追い払おうとしているように感じてしまいます。しかし、ベースキャンプに着くと風がピタリと止んで「呼ばれてないんじゃなく試されてた」と気付き、今までの辛さは消えたそうです。「辛かったけど、がんばって目標を持っていると苦境は越えられる」。こんなカッコイイ台詞、僕も言ってみたい。
◆そんな苦労をしてたどり着いたベースキャンプもエミコさんは特に行きたかったわけではなく「スティーブさんが行きたい所について行った」だけで「地図を見てもわからないから自転車のことはスティーブに全部まかせて何も言わない」。その代わり「私が作る料理は何も言わず食べてもらう」と二次会で話していました。二人は本当に仲が良く、寝るときは両手をつないで寝ているそうです。天涯独身の僕には胸をエグられる話です。
◆ベースキャンプからは東チベットを通り雲南省のシャングリラ(香格里拉)へ向かいます。エミコさんは喜んでもらおうと454枚もの写真を持って来たのに「多すぎる!!」と江本さんに一喝され、スティーブさんには「今日はエミのスライドショーだから知らないよ」と言われ直前に慌てて282枚まで減らしたそうです。しかし実はカットされておらず、途中早送りしながら全部紹介されました。チベットは二人がイメージしていた「木がなく、乾いた、コンビニも無い所」ではなく、森があり、川も流れていました。他にも、泊まった宿に「歌手のBoA」のポスターがあったり、お寺ではお坊さんが使うトイレに「ベッカムのポスター」があったりと、行ってみたら持ってたイメージとは違ったそうです。
◆道端に咲く花や、空に浮かぶ雲、そしてチベットの風景など、先ほどの過酷な映像とは違い、旅を楽しんでいるような、潤いが感じられる写真が多く、解説するエミコさんも笑顔でとても楽しそう。その横でボケるスキをうかがうスティーブさん。こんな楽しそうな二人には人が集まるようで、現地の人やサイクリスト、中国軍や巡礼者、そして工事現場のおっちゃん等も多く写っていました。
◆しかし、すべて順調というわけでもなく、標高差が激しく道も気温もアップダウンの繰り返し。10年ぶりに雨が多かったため、川のように水が流れる道路。雨に濡れたテント。食べる物は、標高が高く水が沸騰しないため、ぬるいお湯で作りベチャベチャになったマズいインスタントラーメン。瓦礫を敷きつめたような所を自転車を抱えて進むような過酷な場面もありました。スティーブさんが「世界一ヒドイ道」と言うと「2年後は舗装されて世界一いい道になるからまた来なさい」と言われたと笑っていました。
◆8時の休憩に入るまえに、持ってきた石鹸の説明がありました。エミコさんはネパールで日本人のシスターが運営している学校をサポートしようと「笑み基金」をやっていて、売り上げを寄付するために石鹸を持って来ていました。その石鹸は7年前に夫をガンで亡くされた方の手作りで「笑み基金」に共感し寄付していただいたものです。奈良のホテル御用達の高級品らしく、すぐに売り切れてしまいました。当然僕も、美肌維持のために購入しました。
◆後半も写真が続きます。シャングリラの店には「説明文が意味不明のスルメ」「袋に天然のりと書かれたアンパン」「チョコアイスの袋から出てきた黒ゴマアイス」「ネズミに見えるニセキティちゃん」の隣にあった「変なドラえもん」など面白い物が多くて気に入ったそうです。街の気に入り方が景観や食べ物でなく面白さを基準にしているところがエミコさんらしいなと思いました。
◆多すぎると怒られた写真も無事終わり、エミコさんは「自分達は冒険者じゃなく普通の人」だと話し始めました。「ただやりたいことをやってきて、やらせていただいてきた。それはとてもありがたいこと。苦しさの中から楽しさを見つけること、それが私たちの冒険です」と。そして今を大切にしている。「病気になって思うのは、この1時間や1日は亡くなった人が生きたかった1日だと思うので、考えや、していることを大切にしていきたい」。入院中は死の恐怖に引きずり込まれそうになり、不安を取り除くために、余計なものをどんどん削っていき「シンプルに生きたい」と思ったそうです。
◆病気になってかわいそうと言われるとみじめになるけど、人のせいにしないで「ガンは自分で作ったものだ」と思い、食べ物や暮らしなどいろいろ変えていったおかげで、今では病気の前より健康になったと元気に話していました。そしてやはりスティーブさんの存在。スティーブと1日でも多く一緒にいたかったから「すべてを差し出すので、スティーブと一緒にいたい」と神に祈ったそうです。「固い絆に想いをよせて語り尽くせぬスティーブとの日々」という感じでしょうか? うらやましい限りです。
◆奈良の田舎で畑仕事しながらの今の暮らしは不便だけれど、空気も水も美味しくて星が綺麗。冬はとても寒いけど、季節が感じられ、動物や虫と共存している気がする。「そんな幸せで不満が全くない生活。だから生き返ったんだと思う」。そう言ってエミコ&スティーブの報告会は終わっていきました。
◆世界一周最終章は今年の9月に出発し「大阪城にゴールしたい」と言うエミコさんに対し、スティーブは「4月1日にゴールすると連絡し、人を集めておいてゴールしない。エイプリルフールだから」とひねくれたことを言っていました。さらにスティーブは「世界一周が終わったら『大阪の堺を一周』したい」と笑わせていましたが、ちゃんと「世界二周したい」とも言っていました。エミコさんはバイクで日本一周をしたので、今度は二人で日本一周したいそうです。その時には堺一周も実現されることでしょう。僕は大阪城で真田幸村の甲冑を着て帰りを待っていようと思います。(山辺剣 熟達城めぐり人)
■前半、とても緊張してしまいました。なぜかというと、今までトライしたことのないスライドショーを地平線でやってみたいとひそかに思い今回の旅で(二人が)撮影した9854枚のうち454枚をピックアップ。よろこんで持っていったのはいいもののスティーブや江本さんに(真剣に)心配され「なにか意味があって多くなったの?」と聞かれたときは(はしゃいでいた自分が)情けなくなりちゃんと答えられませんでした。報告会の1時間前にあわてて減らしましたが心はもう「どうしよう〜(泣きそう)」状態。
◆調子のおかしい私をリラックスさせようとスティーブが(必死に)ダジャレを連発。箸とささ竹まで出してきて「コレハ、マイ箸。コレ竹、マイタケ!」。可笑しくて愛しくて目頭が熱くなりました。
◆写真はミスで削除されず本番ではすべて流れることに。一番あせったのはスティーブだったかもしれません。「カモン! クイック! クイック!」パソコンのボタンを押す私のひじをスティーブは何度もつつきました。
◆二次会では賀曽利さんが「スティーブの声、聞こえてましたよ。いや〜、1000枚ぐらい見せてほしかったな〜」とビールをぐびぐび。緊張のほぐれた私たちはがぶがぶ(飲みすぎました)。旅先で会った仲間が飛んできてくれて「相変わらずのスティーブさんと、エミさんのハートと、すばらしいお仲間で楽しい会でした」と言ってくださりその言葉で救われた思いです。
◆おかげさまで『笑み基金』の石けんも120個すべてが完売し、売上げの3万円は支援先のネパールの貧困児童センターにこの手で持っていくことを約束いたします。来春20年目のゴールをめざす世界一周最終ステージの出発は9月21日。笑顔で帰ってこれるよう精いっぱいがんばります。見守ってくださった江本さん、聞いてくださったみなさま、お忙しいなか本当にありがとうございました!(エミコ・シール)
■削除したはずの写真が映し出されたときは体が凍る思いがした。これはマーフィーの法則か? 地平線の仲間だったからこそ受けいれてもらえたのだと感じている。今回は東京に向かう新幹線の中で隣あわせた人も参加してくれ、人と人が色んな縁で結ばれているのを実感した。ゴールしたらみなさんにまたお会いしたい。いい仲間と出会えたことをあらためて感謝したい。(スティーブ・シール)
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