2008年1月の地平線報告会レポート


●地平線通信339より
先月の報告会から

「食べに翔べ!!〜離陸前奏曲〜」

松原英俊

2008年1月25日(金) 新宿スポーツセンター

昨年6月の報告会に次いでの鷹匠・松原英俊さん(57)の報告会。前回は「沖縄の海狩り」の話が滅法面白く、松原さん本来の鷹匠の日々については時間が足りなくなってしまった。わずか8か月で再度登場をお願いしたのは、たてまえ社会の締め付けに苦闘しながらも大自然の中で動物たちと生き続ける松原さんの存在感のヒミツをもっともっと知りたい、という思いからだった。会場は予測した以上の盛況。松原さんの生き方にひかれる人たちがいかに多いか、あらためて知った。

◆「きょうの話で地平線のメンバーの人がどう受け止めてくれるかわからないんですが、私はこういうふうにしか生きてこれなかったし、こういうふうにしかできない、地平線への出入りを禁止されるかもしれないが、仕方ない」こんなふうに切り出され、会場が心なしか静まりかえる。どんな話になるのか。まずは少年時代、いかに動物好きであったか―。

◆子どもの時から動物を追う習性があった。強烈な思い出がある。青森の村の冬、中1の時、同級生が冬になると自分たちの村に真っ白なタカが飛んでくる、という。それを「シラタカ」と呼んでいる、と。野鳥の会の会員だった少年は日曜日ごとに探しにいった。ある日、上空に真っ白なタカが飛んでいる。そのまま林につっこんでった。急いで追いかけたら、30m先の木の枝に見つけた。全身真っ白。タカも少年を警戒して5秒して飛び立っていった。「それはシロハヤブサというタカでした。北海道にごく少数いるやつですね。いまでもありありと思い出す。中学の時の大事な体験だった」

◆おとなになってからのこと。ある日バイクで山道を走っていた。中型の動物が逃げる。斜面を降りて岩穴に逃げ込んだ。のぞきこんだらアナグマだった。生け捕りにしようと軍手をはめて手を伸ばしてみるとすごい勢いでかみつく。ナタを持っていたので、木を三股にして首を抑えて引きずり出そうとしたがダメ。紐の輪にクビひっかけて引きずり出し、暴れるのを押さえ込んでつかまえた。

◆カモシカ踊りの話も興味深かった。蔵王の山にテレビの女性ディレクターを案内した時、カモシカと遭遇。松原さんはすぐ踊りだした。カモシカは好奇心強い動物で、踊りが好きなんだそうだ。モンゴルのタルバガンと同じだ。「リュック背負ったまま15分も踊ってたら疲れてきて、踊り交代してくれ、とディレクターに頼んだらとたんにカモシカは興味失って山に入ってしまった」。

◆冬真っ白になる愛らしいオコジョは「オコジョのもだえ」という演技をするそうだ。獰猛で小さい割にウサギとか大きいものをつかまえる。その時、オコジョが身もだえしてみせる。ウサギが何してるんだろう、と油断する。途端飛びかかる。山鳥にも襲いかかる。空中に飛んで逃げるがオコジョはくいついて離れず、一緒に落ちてくる。

◆2年ぐらい前に武蔵美の学生と飯豊連峰に出かけた時、尾根から下った時にクマを見つけた。150キロはある巨大なクマだった。飯豊の縦走なんかどうでもよくなって、やめてクマを見ることにした。山は逃げないが、クマを観察するほうがはるかに大切という。5、6時間見ていたと思う。大阪の旅行会社に頼まれて朝日連峰のガイドをしたことがある。12人ぐらい連れて以東岳の下りにかかった時、30m先の斜面に大きなクマが草を食べていた。一行が騒ぎ出したのでクマは逃げていってしまった。無性に追いかけたくなってナタを手に追いかけた。15分ほどして登山道に戻ったら皆いなかった。旅行会社から二度と仕事はなかった。失敗もあるが、動物との遭遇が松原さんの人生でいかに価値ある出来事であるか、口調からわかる。

◆さて、そろそろ鷹匠に弟子入りの話に近づいた。最初のきっかけは、大学1年間休んで自然の中で生き物たちと暮らしたい、と岩手の北上山地で養蚕小屋を借りて住み込んだことだった。子どもたちと一緒にスズメ獲り、ウサギ獲り、岩魚を夜突いて、リスを追い、「ああ、これが私が一番やりたかったことなんだ」、と思った。

◆スズメは庇の下に夜寝ているところを梯子で登っていきなり手づかみする。ウサギは針金で輪をつくって仕掛け、リスは村のクルミの木に食べに来るのを子どもたちのひとりが木に登って追いつめる。リスはジャンプして逃げようとするところを子どもたちが下で受け止める。リスも利口で一番小さい子どものところにジャンプする。

◆こういうことがいまは全て規制されている。正反対の方向に動き出している。「子どもたちに環境保護とかエコロジーとか教えるんじゃなくて動物を追い、遊ばせることが一番」と鷹匠はここで言った。本気でやってきた人の言葉、と感じた。ここでの1年の体験がどんなに貧しくてもタカと暮らすことを決意させた。大学を終え、真室川にいた老鷹匠のところに弟子入りする。報告会の話はヤマ場に入った。

◆弟子は餌作りからはじめる。タカは生ものしか食べない。ヘビをつかまえたり、村人が飼っている犬とかネコが子を産むと貰い手がなく、川に流すことが多かったが、時に「鷹の餌に」、と持ち込まれた。子ネコはともかくおとなのネコは気性が激しいのがいて鷹が傷つけられることがある。そういう場合どうするか。犬が持ち込まれた時はどうするのか。松原さんは逐一具体的に話してくれた。ここではすべては書かないが、鷹匠修行で最も厳しい瞬間を、会場に居合わせた人たちは理解しただろう。

◆師匠はカンヌ・グランプリの「老人と鷹」で有名になった人だ。戸川幸夫さんの小説のモデルになってもいる。超一流の腕を持っていた。今もって越えられないものもある。しかし、どうしても許せない部分が見えてきてしまった。最後には衝突して家を出ることとなった。タカを手に止める訓練だけ師匠のところで学んで山小屋に移ったのである。

◆もともと誰もいない小屋でタカとふたりだけで暮らすのが一番の夢だった。近くに畑を開墾して山菜を取ったり、と黄金の日々続く。しかし、山小屋1年目も2年目の冬も1匹のネズミもつかまえられなかった。3年目の冬もダメ。師匠に教えを乞うてから結局4年以上も何もできなかった。石の上にも3年というが、5年、10年ではないのか。

◆4年半たって待望の一瞬が訪れた。「私のタカがはじめて雑木林を走るケモノを追い、急斜面でつかまえた時の、腹の底からこみ上げてきた喜び。雪の中で涙が止まらなかった。この日のために生きてきたんだ、と思った。世界中でいろいろな喜びがあるだろうが、私の喜びほど深い喜びはないのではないか、と思った」。喜びをこんなふうに表現できる人は滅多にいない。

◆底知れない感動。不思議なことに以来、次々に獲物をとらえられるようになった。秋田の乳頭山 八幡平、八甲田山などに出かけて鷹狩した。乳頭山の孫六の湯の薪小屋を1泊500円で借りて1か月住み込み、鷹狩の日々を送った。次の年は、タカとテントに泊まって狩をしたいと思った。 カマボコ型のテントの奥をタカ用に仕切ってみたが、風が強いとあおられてしまい、シートがバタバタしタカが落ち着かない。翌年、今度は雪洞を掘った。「私にとっての進化とは原始に戻る感じですね。獲れた生き物は必ず刺身で食べます。ウサギでもネズミでも。タカと一緒に狩をした獲物を食べる、それが一番幸せな瞬間」と松原は語る。

◆幸せな瞬間の陰に痛恨の体験がある。「思い上がりからタカを死なせてしまったこと。鷹匠にとって最大のミスでした」落ち込んで立ち直れなくなるほどだったが、どんなことあってもタカと生きたいという思いが勝った。新たにタカを手に入れるためのさまざまの試み。中には法を犯す行為もあったであろう。しかし、タカとともに生きたい、どう言われようとそれだけでよかった。

◆鷹匠として松原さんがひとり立ちする頃、身近な人間から攻撃の火が上がった。役場や町長、県事務所などを通して出されるさまざまな「No」。ただ耐え続けた。勝つことはできないかもしれないが負けない。「人生の戦いは何があっても負けないこと。四面楚歌。孤立無援。いまもなお闘いの中にあるけれどタカによって救われている」と言い切る松原さん。こういう人が日本にいることがどんなに大事なことか。「人間社会の法律に目もくれずけもののごとく生きたい。夢は70、80才になってもタカと雪山を歩くこと」鷹匠はこう締めくくった。皆が何かをずしり問われた。(江本嘉伸)


[報告者のひとこと]

東京での私の2度目の報告会。どこの講演によばれても、私の話はいつも自然の中で遭遇した鳥や動物のこと、山奥で長い間鷹と生きてきた日々の体験等を語ることしかできないのだが、今回も前回と同様の話で終わるわけにはいかないだろうとは思っていた。

◆江本さんからいただいた何冊もの『地平線通信』や『地平線から』等の本を読むにつれ、地球上で様々な体験を積み、目も舌も耳もこえた実力者たちが集まる地平線報告会では、動物たちとのおもしろおかしい話だけでは到底納得しないと思い、いささかプレッシャーを感じていたのも事実である。そんなこともあり今回の報告会では、今までどこの講演でも話したことのない私が鷹匠となるための最も核になる部分を本音で話さざるを得なかったのだが、会場に来ていた参加者たちはそれをどう受け止めたのだろうか。

◆それとは別に後で聞いたところによると、 何人かの子供も参加していたらしいが、私の恐ろしげな犬や猫の話の時には両手で耳をふさいでいたという。子供たちにはただすまなくあやまるしかない。

◆江本さん、今度は子供たちを集めて「少年地平線」をやってほしい。その時には、山や海で私が出会った多くの生き物たちとの飛びっきりのまばゆいばかりの体験を子供たちに話してやろうと思う。

◆ただ大人たちは目を見開き、耳をかっぽじいて聞かなければならない。かつての山の民が厳しい自然と立ち向かう中で、動物たちとの様々なつき合い方を学んできたことを…。貧しく簡素な生活の中で培われてきた技や知恵、経験が全て否定されてよいものか。

◆今は鷹の主要な獲物である兎の数も激減し、毛皮も全く売れない時代になってしまった。私は遅れてきた人間なのだと思う。関野吉晴さんは私を「最も縄文人に近い人間」と学生たちに紹介したが、私自身は「最もけものに近い人間」と言われたい。そして私の血や肉の一部がウサギやタヌキ、 アナグマからできているのを誇りにさえ思う。

◆私が報告会の最後で話した言葉は、私の心からの叫びだ。「ただ思う。人間社会の法律や世間の常識に目もくれず、鷹と二人でけもののごとく生きたいと」。(松原英俊)


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