◆いつの間にかモンゴルの民族音楽がスピーカーから流れていました。馬頭琴のゆったりした音色に、会場の空気からほにゃほにゃと気持ちよく力が抜けていくよう。今夜の報告者の江本さんが、ふくれたザックから取り出した「ヒャーグ」と呼ばれる半乾きの草をみんなで順番に触ると、あちこちでよもぎに似た青い香りが広がっての〜んびり。「ユーラシア大陸は草の帯」と江本さん。遊牧民たちはこの上を行き来して暮らしてきた。そして電気が消えスライドが始まりました。
◆江本さんがモンゴルに関わるようになったきっかけは、母校外語大山岳部のモンゴル遠征。この時は新米記者の多忙さゆえに参加できず、その後も社会主義国モンゴルの壁は日本のジャーナリストにぶ厚く、モンゴル訪問の夢が叶ったのは1987年になってからだった。以来20年、計27回、滞在時間でいえば延べ4年間モンゴルへ通い続けている。
◆スライドの出だしは2007年の首都ウランバートル(以下:UB)の風景。自分で撮影したものなのにどこか他人事のようにがく然とした様子の江本さん。90年に民主化されて以後も何度も訪ね、市場経済への移行期の混乱を見続けてきたが、5年ぶりに訪ねた今回の変貌ぶりはまさに驚きの連続のようだった。路上にひしめく車、やかましいクラクションの嵐、あちこちに外見の美しいビルが建ち、観光の目玉になりそうな金ぴかの巨大な高さ23mの大仏も街に誕生。市内にあるザイサントルゴイ丘からは、富裕層の新しい住宅が真下の川沿いに並ぶのが見え、その向こう側のUBの街をはさんだ奥の郊外には貧困層が住むゲルや木の小屋が面積を拡大し続けている。
◆「市場経済は人にいろんなことを考えさせる。今までになかったことをやる機会にもなる」。丘の中腹に布で目隠しした精悍なワシがいたので写真を撮ったら、脇に座っていた青年がやって来てこちらを睨みつけ「1500トゥグリク(以下:tg。1円=約10tg)」と代金を請求した。江本さんはUBに滞在する時、セルベ川という川のほとりをランニングコースとしているが、ゲル地域の人々が水深の浅い箇所を石伝いに渡って市内の仕事場に向かう“通勤路”でもあるこの川で、今回新しい風景に出会った。「荷車をひいてせっせと行ったりきたりしている馬がいるんです」。荷車の上には数人が座っていた。馬をひく馬主の男性に聞くと、彼が始めた“渡し船タクシー”という新しいビジネス。運賃は片道100tg、一日の利用者数は2〜3千人、つまり日給にすると20〜30万tg!こうして市場経済の波に乗って器用に前に進んでいる人がいる。
◆一方で環境汚染も進んでいる。かっては広々とした草原だったセルベ川の両岸を奥に進むと、無残なゴミの山が現れたのに大ショックを受けた。「富裕な人たちが住むマンションからここまでトラックで運んで捨てている、と知人は話していました」。一攫千金を狙って田舎へ行く人もいる。“ニンジャ”といえば、近年モンゴルで出没し始めた、不法に他人の金鉱に忍び入り採掘する鉱夫たちのことを指すそう。遊牧民らしからぬこそこそっとした感じが、現れてはドロンと消えてしまう秘密めいた忍者みたいだからだろうか? 彼ら“ニンジャ”が、掘った金を洗う際に大量の水銀を使い、それが健康を害する結果になっていることも問題になっている。
◆富裕層の陰で貧しい人々は急増している。江本さんはそれが気になっていつもUB郊外のゲル・バラック集落を訪れるそうだ。今回訪ねたあるゲルでは、妻をなくし、自身も脳梗塞でハンドルを握れなくなった運転手一家と出会った。4人の幼い子どもたちを抱え1か月わずか37,000tgの家族手当に頼る生活に途方にくれていた。肉など食べられない。こういう家族が都市にも草原にも沢山いるという。
◆チンギス・ハーンの「過剰なほどの復権」も大いに気になったことだそうだ。中心部のスフバートル広場にあるモンゴル政庁の正面玄関には堂々たるチンギス・ハーン像が建てられ、市内を見下ろす山肌には、白線で巨大なチンギス・ハーンが描かれている。1966年に出版された『モンゴル人民共和国史』には、チンギス・ハーンは「アジア、ヨーロッパの人民に計り知れないほどの死と災難と破壊をもたらした」と記述され、国民は彼の名前を口にすることさえできなかった。民主化とともに一気に復権したチンギス・ハーン。「それ自体はいいことだが、何でもかんでもチンギスという風潮には疑問がある。その名さえ語れなかった時代がつい先日まであったということを知っていてほしい」と江本さんは言う。
◆UBを離れ、草原に行けば電気のない生活が、というのはもう昔の話で、天を仰ぐ真っ白い大きなパラボラアンテナとソーラー電池を立派に備えるゲルもある。ある遊牧民のゲルを訪問した江本さんはビックリ! 扉を開けると、遊牧民のおばさんが携帯電話でぺちゃくちゃおしゃべり。メールを打つ手さばきもぽちぽちなめらか!オーストラリアに留学中の娘さんとは、街にあるテレビ電話で毎週話しているらしい。「これほど情報伝達の必要な国で、見事に普及していた」という通信ネットワーク。
◆ところでゲルを中国式に「包(パオ)」とよぶことがあるが、おかしい、と江本さんは指摘する。「ゲル」はhouseだけではなくhomeやfamilyの意味も含まれている大事な、広い言葉。安易に「草原のパオツアー」などとうたう宣伝文句には強い違和感があると話す。また、あの壮大な競馬の風景を見せながら、子どもたちの力についても語った。大きな大会では1,000頭以上の馬が走るレース、騎手は子どもだ。「馬に乗って30kmの距離を駆けるのは並みの体力ではもたない」と江本さん。「幼い頃から馬に慣れ、水汲みや家畜の世話でモンゴルの子どもたちは足腰を日常的に強く鍛えている。日本で大活躍する力士たちのパワーの源はここにある」。1992年に、旭鷲山含む6人のモンゴル人が初めて日本の角界に弟子入りした時のことを回想しながら「ほら、モンゴル勢だらけ」と、東西の横綱はじめ上位をモンゴル力士が占めた最新の番付表を見せた。
◆話は佳境に入り、ジャーナリストとしてモンゴルで遭遇した、忘れることができない歴史的現場について江本さんは語り始めた。民主化の動きが活発になっていた1990年2月21日深夜のこと。零下30度の厳しい寒さの中で高さ6mのスターリン像が取り壊され、ひき倒した顔の上をモンゴル人の足が踏みつぶす光景。厳冬期の街角で4時間続いた破壊作業をコマごとに見ていると、まるで少し前のイラクのニュースを見ているみたいだ。今ではこのことを知らないモンゴルの若い人も珍しくないという。
◆もうひとつは草原に飛行機の機体がころがっている写真だ。世界中を揺るがした1971年の林彪事件現場に、16年が経ってから報道者として初めて足を踏み入れた時の貴重な記録だ。毛沢東の公認の後継者に指名された林彪はやがて反逆者として粛清の対象になると中国から飛行機で脱出を図り、夜のモンゴルのヘンテイ県の草原に墜落した。ニュースは世紀の大事件として世界中を駆け巡り、不時着説や暗殺説や撃墜説が飛びかったがその真相は現在も謎のまま。当時読売新聞の記者として取材に成功した江本さん、草原にどっかり残った機体残骸の写真は、スクープとして一面を大きく飾った。ぼろぼろになった破片のそばに江本さんが立つ写真からは、とんでもない場に出くわした……と言わんばかりの、強烈な興奮と緊張感が伝わってくる。
◆ここで報告会は休憩時間に入るのですが、ほとんど誰も外に出ない。だって江本さんのザックから、次々とあれこれ出てくるのです……。ホーミーの音楽が流れて独特な雰囲気に包まれる中、「皆さんどうぞ!」と“モンゴル・ローカルフード試食会”が始まった。遊牧民から分けてもらったアーロールという硬い甘酸っぱいチーズ、シミンアルヒというお酒(15度くらい)、ローストした羊肉(密輸……)まで! 羊はナイフでかたまりから削り取って食べる。ぎっちり身がしまっていて、独特の臭みはほとんどなくとても美味しい。モンゴルの草原地帯では乳製品と肉類が主な食べ物で、それぞれ“白い食べ物”“赤い食べ物”と呼ばれ、これらをテーブルにいっぱい並べて来客をおもてなしする。江本さん、できることならモンゴルをまるごとかついで来て、今夜届けたかったんだろうなあ!
◆江本さんの親友的存在、元在モンゴル日本大使の花田麿公さんがここで登場。「遊牧文化は今後続いていくのでしょうか?」という江本さんの問いに花田さんは「遊牧がなくなると困ることが3つあります。まず、モンゴルの言語は遊牧文化と密接につながっているので切り離せない。それから、牧畜のフンがなくなると草が育たなくなり一気に砂漠化してしまう。そして、隣の大国ロシアと中国から国土を守れない状態に陥ってしまう」。今後、主に観光と地下資源で遊牧を支えながらモンゴルは生きていくことになるだろう、と花田さん。朝青龍については、「日本とモンゴルの文化の違いが表れていると思う。モンゴル人は相手を追い込んだりしないので、追い込まれるとどうしていいかわからない。許容の範囲も広い」と、自身の体験から語った。
◆さて、わたしたちのモンゴルへの旅も残念ながら終わりが近づきます。最後に、「地平線会議について」江本さんが思っていること。「“自分はわかっていない”とどこかへ行くたびに思います。それでも行けば新しい何かがある。みなさんも、もしそれを感じることがあったら、たったひとつでもいいから我々に伝えてほしいです。それが、この地平線報告会を339回も続けてきたひとつの理由」。
◆最後に、レトロ・カラーのスライドが一点。すっくり立ち、きれいな瞳でカメラを見ている十数頭の鹿たちだ。彼らは以前はUB近くの山に住んでいて、秋冬の時期に江本さんがそこへ行くと必ずひょっこり出てきたが、ある時期からぱたりといなくなってしまった。今その山肌にはチンギス・ハーンの絵が大胆に描かれているが、あの鹿たちは一体どこへ消えたのか? 絶えたのか、奥へ隠れているのか。「おそらく永遠に戻って来ないでしょう」と江本さん。時は流れている、現実はどんどん変わる。「伝える」ことに66年間の人生を賭け走り続けている江本さんから、私たち全員に見えないボールを投げられたようだった。終了間際には、外語大モンゴル語科卒業生・三枝彩子さんによる飛び入りのオルティンドー(モンゴル長唄)のサプライズも。小さな赤ちゃんを抱っこしながら素晴らしい歌声が響きわたりました。目に見えるものも見えないものもたくさんのおみやげが手元に残り、さあがんばるぞ!と明日が楽しみになりました!(江本さんの大学の40年後輩 大西夏奈子)
モンゴル語科一年のとき、江本さんのこの晩のような事情講義を聞きたかった。まさにジェオ・ポリティックスの講義そのものであった。新旧の写真を駆使しての話であった。この講義(そう講義といいたい)で江本さんは親切であった。新旧の旧の部分の写真、配布された相撲の記事、本当は相当面倒であったと思う。シミン・アルヒ(ミルク酒、モンゴル人のようにお燗して呑みたくなった)、マハ(肉)、ホルホイ・アールツ(乾燥酪製品スナック)等の土産に至っては正直ここまでやるかと。地平線のみんなとそれと共に生きている江本さんご自身への愛情なのであろう……などと空想しながら心楽しく講義を聴いた。
◆今夏二度にわたるモンゴル訪問で、二度目はノスタルジック登山であったようであるが、市場経済移行後の現代モンゴルの実態、問題点、でも愛するモンゴルをしっかり捉えておられたのはさすがと感心させられた。ウランバートル市の発展とはうらはらに牧農村は旧態依然としており、都会と牧農村の格差がますます拡大していく様子が限られたスナップから読み取れた。また、待ったなしの砂漠化など環境悪化も。
◆江本さんは写真の画面の中でもかなり親切で、例えば、実際にゲルの組立をアレンジしておられた。親切ということは若いのであろう。自分ならできたかと考えるとはなはだ億劫だ。さりげなくヘンティ県に墜落した毛沢東の公認後継者林彪機の現場写真を挿入されたが、前世紀の重大事件の歴史的な現場写真であった。この写真にまた接しただけでも新宿に足を運んだかいがあった。
◆江本さんから朝青龍問題でコメントをということで貴重な時間を頂いてしまったが、紙面を借りて一点だけ補足したい。朝青龍が反省すべき点が多々あることは論を待たない。日本側の問題であるが、外国人が大勢入っている伝統文化分野は日本にたくさんある。日本文化は国際化してしまったのだからもっとスマートにできないものか。例えば、お茶、お花、囲碁等々かなりスマートである。ソドノム首相訪日の際、裏千家を訪問したが、小雨煙る門外に唐傘和服でたたずむ公式出迎え人の粋な姿にしびれた。40年以上修行している外国人であった。
◆4人に1人が外国人力士である今日相撲協会はもっとスマートに国際化に向けて脱皮して欲しいと思う。日本文化にとって行儀、礼儀が基本であれば、例えば入門者を集めて、垢抜けた教室での講義を通じて言葉で理解してもらうなどいかがだろう。少なくとも親方の背中を眺めても外国人には体得出来ないものであろう。それにしても、会で隣に座わられた赤ちゃんづれの三枝さんの見事なオルティン・ドーに圧倒された。(花田麿公)
こんにちは。オルティンドーの三枝彩子です。先日は、「地平線報告会」で貴重なお話をありがとうございました。あの場で歌わせていただけてうれしかったです。
◆モンゴル語科に入学してから数えればもう13年にもなるというのに、未だに私にとってモンゴルは全体像のつかみにくい、どうとらえてよいのかわからないものなのです。わからないままにとにかく、少なくともモンゴルの歌とだけはなんとか継続して自分なりに向き合ってきました。ここ最近やっと、今まで避けてきた私にとっての「難しい話」(歴史とか社会とか)にも目を向けねばなあと感じていたところで山本千夏さんとお会いする機会があり、車谷建太さんをご紹介いただき、今回地平線報告会にもお邪魔した次第です。
◆江本さんのお話を拝聴できたのは、私にとってはぴったりのタイミングだったような気がしています。たぶん大学在学中に耳にしてもぴんとこなかっただろうと思うのです。報告会にいらしていた方々も、魅力的な方ばかりとお見受けしました。 ちなみに江本さんのスタンスが私にとって魅力的なわけについて、自分のブログで下記のような記述をしました。
◆《生身で実際にモンゴルと関わりながら、地に足をつけ、視野広く、深い考察をされている方のお話はわかりやすいし納得するし考えさせられる。ただやみくもに好きなんじゃない。 素敵なところに感動し、様々な問題に心を痛め、この先どうしたらいいんだろうね、と悩み、そこで我が身も振り返る》これからもどうぞよろしく。(三枝彩子)
わずか20年のことだが、社会主義時代の遊牧草原、民主化のプロセス、市場経済導入の混乱などさまざまな現場に立ち会ってきた者として話したいことは山ほどある。モンゴルで見聞きし、感じたことを2時間あまりの間にどう伝えられるか、難しい課題だった。ともかくも過去にスライドやプリントで撮ってある画像と最新のデジカメ画像を組み合わせ、できるだけ「多くの現場」を見てもらいたい、と考えた。
◆帰国してわずか4日目の報告会。デジカメで撮った写真と昔のスキャンした写真をどう構成するかが課題だったが、丸山純、落合大祐両君の力で間に合わせられた。地平線の底力を自分の報告会でも見せつけられた。
◆はじめてモンゴルに行った時、花田麿公さんに出会った。以来、モンゴル問題の「兄」として、いろいろ教えてもらってきた。その花田さんに参加してもらって、報告会は深みを増した。「モンゴル人気質」「きのうまで、そして明日のモンゴル」を語るに、花田さんほど適役はいないから。三枝彩子さんの朗々たるフィナーレとともになんと贅沢な報告会だったことか。ありがとうございました。(江本嘉伸)
|
|