2007年7月の地平線報告会レポート



●地平線通信333より
先月の報告会から

満点バイク・アフリカ行

山崎美緒

2007年7月27日(金) 榎町地域センター

 今日こそ早く行くのだ、と思っていたくせに案の定遅刻気味、慌てて会場へと到着し席に着いた私の目にまず映ったのは、あーでもないこーでもないとパソコンとにらめっこ中のステキなおじさま方でした。どうやらスクリーンに写真を表示できないという問題が発生していたようで、隊長の三輪さんは「ただ今、地平線会議の知能が集結してます。我こそはと言う人は出てきて」とアナウンス。私は時間どおりにはけっして始まらない、このおおらかな報告会の雰囲気が好きです、遅刻を免れたから云うんじゃなくって、ほんと。

◆そんなトラブルの中、動じもせず、堂々と立っている美緒さん、すごいなあ。「久しぶりのアフリカ」「そして若い女性です(なんと24才!)」と(そんな感じに)長野さんに紹介されて美緒さんの話が始まりました。まずは自己紹介。仕事(高校生の修学旅行の引率)で数日前まで行っていたというケニアの話を少し、それから遡って子供のころの話。「ごく普通の子供でした」という美緒さんだけど、普通なのか、どうなのか。

◆小学生の時なりたいものは「大スター」、わりと目立ちたがりで中高と生徒会長をやり、中学生の時の夢は「V6の三宅健と結婚すること」、高校では洋楽にはまり、今度は「ハンソン」のテイダー(男前です)との結婚を決意。それならば英語をと勉強したところ、ぐんぐん成績があがり、大阪外語大を受験することに。しかし受験直前、「英語じゃ面白くないんじゃないか?」と思い、「もっとマニアックなことをやった方が好いのでは(その方がハンソンも興味を持ってくれるのでは)?」と、先生に相談。マイナーな言語はインドネシア・スウェーデン・スワヒリ語の3つ、その中でも「これはありえんでー、アフリカは遠いでー」と教えられた為、「じゃあやったろ!」とスワヒリ語を専攻することにしたのだそう。

◆大学でも普通の女子大生だったと強調する美緒さん、「このままじゃいけない」とも漠然と思っており、大学2年の時、友人についてタンザニアへ行ったことがアフリカ自転車横断5000キロの旅へのきっかけに。現地ではまず「みんな本当にスワヒリ語を話している!」とびっくり。貧しいけれど明るい人たちに「なんで笑ってんのやろ?」と衝撃を受け、「もっとアフリカを見たい」と感じ、それから熱心に勉強し始めた。3年の時に行ったケニアで乗ったバスの窓から流れゆく景色を見て、ここを自転車で旅したら面白いんじゃないか、もっとアフリカを知れるんじゃないか、と思ったそう。

◆しかし、普段通学などで自転車に乗ってはいたが、パンク修理もしたことのない「できない子」だったという美緒さん。ここからの行動力が、すごい。まずは情報をと、世界一周したミキハウスの坂本達さんの講演会に行き「アフリカを自転車で走りたい」と相談したり、埜口保男さんにも手紙を出した。自分の行動範囲を広げようと出かけて行っては「いろんな人に夢を話しました」。9割はやめとけと云われるけれど、それに対して、「じゃあこうしよう、じゃあこうしよう、と私の旅は出来上がった」と云う。なんとパワフル。

◆それから自転車に慣れるため夏休みに仙台へと1000キロ走ってみただけでなく、体力作りに山へ登って毎日「千本ノック」ならぬ「千本素振り」トレーニング。何でも食べられなければ苦労するかもしれないと、「きゅうり嫌い」の克服(今では「もろきゅう」もどんとこいらしい)など、いろいろやってます。

◆そしていよいよ大学を1年間休学。しかしまだまだ反対する人は多く、「せっかく行くならみんなに見送ってほしい」と思った美緒さん、実績を作る為、まずは日本一周をすることに。しかしお金がない。かかるのは食費と宿代なので、その頃BSE問題で大変だった「吉野家」に目をつけ、「(1)私の旅に対しての情熱(2)旅の計画書 (3)豚丼がいかにスバラシイか」を切々と手紙につづった。そして女子大生が書いたと判るようにかわいらしい封筒に入れ、社長宛てに送ったのだそう。その甲斐あってか、めでたく「日本一周中、豚丼食べ放題権」を手に! 宿代も友人、友人の友人、友人の友人の友人……と、泊めてもらうことで節約し、結局、6000キロを2ヶ月5万円で走りきることが出来たそうだから、すごい。

◆その頃には反対する人もだいぶ減っていた、と美緒さん。それでも不安で、「何で行くんやろ?」「何のメリットが?」「一人は危険すぎるんじゃ?」。悩めば悩むほど、判らなくなった。そんな時思い出したのは、最初の「アフリカに行きたい、見たい」という気持ちだったという。

◆ついには「足の骨を折っても行かせたくない」と大反対していたお母さんも見送ってくれ、出発。まずはゴール予定地ケープタウンに降り立った。安全の為、出来うる限りのことをしようと、自分が走る道を予め見ておくことにしたのだ。バスでスタート地点のナイロビに向かっていると、「早く走りたい」という気持ちがこみ上げてきて、これで大丈夫、と思ったそう。

◆頭脳結集の成果(??)好調なパソコンとスクリーンも大活躍。写真を交えながらアフリカの旅は進みます。まずは動物や食べ物の写真。著書『マンゴーと丸坊主』(幻冬舎)にちなんでか、市場につまれているマンゴーの写真も。「アフリカでマンゴーは至る所で食べられる」んだそう。そうだったのかー。

◆一方の「丸坊主」の写真もばっちり。「これが衝撃的写真です」と紹介されたのは、誕生日プレゼントに自転車代をくれたおじいちゃんが「マンテンバイク代」と封筒に書いた為、「満点号」と命名された愛車・グレートジャーニーに(いろんな人の思いを乗せて。実家池田市の旗も)またがり、同じくアフリカを旅行中だった友人に「アイドルっぽく撮ってもらった」、という坊主頭の美緒さんの写真。とってもお似合いで、坊主フェチの私は嬉々としちゃいました。

◆実はこの坊主頭、将来床屋になりたいというミュージシャン(んん??)にスタート直前「ベリーショート」と注文し、切ってもらったところ、なぜだか刈上げられてしまったんだそう。でも「伸びきるまで日本には帰れない!」とこれからの旅に気合が入った、と転んでもタダでは起きません。

◆他には、テント泊の時、男と見えるよう鼻の下にパーティーグッズの胸毛をつける「付けひげ作戦」決行中の美緒さんの写真も。幸いに役立つ機会はなかったけれども、強盗対策にバックを開けたら虫のおもちゃが!「虫作戦」、ブーブークッションをテントの前に置いて驚かせ!「ブーブー作戦」なども考案。「明るい気持ちを持つことで、悪いものが寄ってこないのでは?」と考えた美緒さん、武器になるようなものは一切持っていかず、人に聞かれると「私の武器はフレンドシップだ!」と答えていたそう。

◆多かったのが子供たちの写真。タンザニアでは雨が降っても楽しそうな子供たちを見て、「考え方一つだ」と気づいたそう。到着した村でまずどんなところかと一周すると人だかりが出来、暇な子供はぞろぞろとついて来る。日本と云ったら、カンフーまたは空手で、「いたずらしたらアチョーやでー」となんちゃってカンフーを披露すると喜んでくれた(り、いたずら防止になったり)、と美緒さん。

◆マラウイでは足がパンパンに腫れてしまい、病院に行くと陽気なお医者さんに麻酔なしで切開され、コップ一杯の膿が。まさかそんなことになるとは、という驚きとありえない痛みで叫んだ美緒さん、宿で不安になり泣いていたところ、気遣ってくれたのが15才くらいの男の子、マブト君。おしゃべりの相手をしてくれたり、洗濯をしてくれたり。いろんな人に心配してもらって、励ましてもらって、温かい村に10日間ほど療養したら「スタートの日の景色は違かった」と云う。これまで走れたことが有難いことだと実感でき、今まで感謝してなかったんじゃないかな? と思ったそう。「このケガがなかったら自分一人で走ったってえらそーなことを思っちゃったかも」とも。

◆ジンバブエで再会したタンザニア人に大阪で再々会した「ミラクル」や、泊めてもらった人について結婚式にお邪魔したり、警察署にも泊めてもらったり、マラリアになって超ハイテンションになったり、道中(も帰国後も)盛りだくさん! そんなこんなで(適当でスミマセン……)、ついに南アフリカに。写真では髪も随分伸び、時間の経過がよく判るのでした。ゴールのケープタウン・喜望峰に到着したとき、本当にすべてのものがキラキラと輝いて見え、「こんな世界ってあるんやー」と思った。それから日本に帰って、「ただいまー」って言える場所が、人がいるって本当に有難い、と実感したんだそう。

◆「最後に私が大事にしている3つのことを話したいと思います」との前置きで始まった最後の話。「それは(1)感謝をする (2)強い思いを持つ (3)楽しむということです」とのこと。すぐ忘れてしまうけど、感謝をしたい。それから、まずは一歩踏み出すことが大事だと気付いたんだそう。そしてどんな状況になってもネタにする気構えで、せっかく生きてるんだから楽しまなければもったいない、と(結婚式の挨拶ならぬ旅行の見送りの言葉に使えるのではないかっ、などと私なぞはついついメモっちゃいました)。

◆会場からの質問もたくさん。「何かスワヒリ語を話して!」のリクエストに自己紹介を披露してくれた美緒さん。「沖縄の言葉に似ている!?」との感想があちこちで。それから「走った8か国の中にはスワヒリ語が通じない国もあったけどどうだった?」の質問には、初め疎外感を感じても、「いってまえ」精神でなんとかした、とのこと。言葉が通じても通じなくても、その国の感じ方、受け取る印象に、変わりはなかったそうです。

◆今後の話では、「1年か2年後には自転車・世界一周に出発したい、いつか地元の池田市に戻ってそこを幸せにしたい」と云う美緒さん。同性として女の人がおっきなことをしているのを、しようとしているのを、聞くのは、とても嬉しい。しかし、なんとしっかりされていることか。私は美緒さんがゆくゆく池田市の市長になっていても驚かないと思う、と思った報告会なのでした。うーん、すごいぞっ。(1週間青森に逃亡し江本さんに怒られる夢を見た、加藤千晶:『野宿野郎』編集長)


[報告者からのひとこと]

 『地平線会議』、その名前を初めて目にしたのはアフリカ旅行前の情報収集中、埜口保男氏の本でした。どうやら自転車や旅だけではなく、多方面からすごい人達が集まる会のようや。世の中にはすごい人たちがたくさんいるもんやなぁ。と全く他人事でした。

◆昨年、都内で開催されたシール・エミコさんの報告会にて、江本さんと出会いました。翌日電話をいただき、「きみおもしろいから、うちの会議で話してみない?」うちの会議って、地平線会議で !? おもしろいからって、私 !? そんなそんな恐れ多い。……。いや、しかしこれはかなり光栄です、ぜひ !! とはお答えしたものの、社会人一年生てんてこまいだった私はなかなか落ち着けずあっという間に一年が過ぎてしまっていました。

◆あぁもう一度チャンスを…と思っていた今年6月。「じゃあ来月」!!!!!!!! ついに、今回の機会をいただくこととなりました。2時間半もたっぷり時間をいただき何を話そうか緊張と興奮で迎えた報告会。

◆しかし前に立つと導かれるようにどんどん言葉が出てきました。なんとも不思議な空気。そしてあっという間に時間が経ち、気づいた頃には2次会の中華料理屋にいた(んなアホな)というほど流れる夢のような時間でした。全く遠い土地だったアフリカを、自分の足で自転車こいで感じてみることで、ぐっと身近になりました。「すごい人達が集うエライ会らしい」と他人事だった地平線会議も、自分の足で訪れその空気を感じると、ぐっと身近になりました。

◆きっと世界のどんな他人事も、自ら動いて感じることでどんどん近くに感じられるのかもしれません。じゃあ、世界中が近くなるのもそう遠い話ちゃうんや。そう思わずにはいられません。今回貴重な機会をくださった江本さんをはじめとする大先輩方、報告書のイラストに富士額まで描写してくださった長野さん、暑い中会場まで足を運んでくださった皆様、ウェブや報告書でご覧いただいた皆様。そして私の25年間(注:報告会後の7月31日が誕生日だった)の人生で出会ってくれた大切なすべての人達。今の自分があること、そしてまだまだちっぽけでひよっこな自分自身の未来に感謝の思いでいっぱいです。ありがとうございます。そしてこれからもよろしくお願いします。(山崎美緒)


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