2007年1月の地平線報告会レポート



●地平線通信327より
先月の報告会から

“憧れの旅”のマボロシ
〜エモ侍の旅日記〜

江本嘉伸

2007年1月25日 榎町地域センター

 人の暮らしのなかには、時代を超えてつなぎ止めている何かが潜んでいる。この一年間、地平線会議に行く度にその原始的とも言える様式に安堵感を覚え、そこに『絶やさない火』のような存在を感じ、僕はその火に惹きつけられているに違いなかった。それまで自分の旅で探していた「確かなもの」だということだけは解っていた。その話の輪の中心にはいつも江本さんがいた。みんなの持ち寄る薪を集め、火を守っている人のように見えた。今回、江本さんに「最近出入りしている若い人に」ということでレポートを頼まれた。はたして、江本さんの口からどの様な言葉が語られるのか。その想いを汲み取りたい一心で会場へと向かった。

◆江本さんにとっては実に7年ぶり、10回目の報告となる。A3サイズの両面を埋め尽くす「地平線報告会全リスト」が配られ、丸山さんの紹介が始まった。驚いたのは80年第10回報告会(江本さんにとって初めての報告会)のテーマだったチョモランマからの実況録音。ノースコル7000mからの「えー、ただいまノースコル…」息をはずませる江本さんの声と共に聞こえてくるヒマラヤの風の音、凍りついた雪を踏みしめる音。そこにはあの時と今を結びつけるような臨場感があった。これまでの江本さんの報告会の都度通信に描かれてきた長野画伯の似顔イラストが画面で再現され、江本さんが登場。「この場所で話すということ。それは本物を話さなければ通らない」という一つの定義をはっきりと指し示し、幕は開かれた。

◆まず江本さんは地平線カレンダーを手に取った。このカレンダー、昨年12月江本・長野両氏がダブルフルを走るハワイ出発間際に急遽制作が決まったという。7泊5日の日程のなか、長野画伯が捉えたハワイの一コマ一コマを、帰ってから僅か3日で高熱を出しながらも、丸山さんとのチームワークで仕上げた逸品である。江本さんはそんなお二人の、自分たちには一円も入らないのにみんなに少しでもいいものを届けたいという気持ち、そしてハードルを乗り越えて作品を生み出していくすごいところを地平線会議として自慢したいと語った。

◆モロカイ島に向かうフェリーから見た鯨には偶然のときめきが、フラの風景にはポリネシア文化のスピリットが、マウイのジャングルにはハワイの植生の多様性が、ひょうたん楽器には音楽の魅力が、一コマ毎にしっかりと刻み込まれている。江本さんはこう続ける。「どこに行こうと、短い時間だろうと、信念を持って自分に問えば必ず新しいものが見えてくる。そういう眼力、ハートを持てるかどうか」と。

◆江本さんは新聞記者という立場から、仕事としての取材を続けながら「これだけじゃないだろう」というメディアの限界を感じていた。地平線を始めることになる38才の頃から書くだけでなく本気で写真を撮るようにもなる。今ここにいる自分、そのことを残しておきたいという使命感からだった。用意された約80点の写真から何が浮かび上がってくるのだろう。一枚目はエベレストのスライドから始まった。天国のような世界が広がる。セラックと呼ばれる氷塔群、ノースコル、チベット、そしてネパールの山々…。辺りは静かで、何もない「我々だけの世界」。25〜30年前に時間をかけて登った山の風景である。「たとえばこの山を通じて、いま我々はどこにいるのか、どういう時代かを知ってほしい」。1953年ヒラリーとテンジンによる初登頂から1970年の植村直己さん(史上24人目の登頂者だったそうだ)と続いた世界最高峰の登山は、いまどうなっているか。今年のエベレスト登山者数はなんと約500人、登頂者数はすでに通算約3000人に達するのだそうだ。想像を絶する数字だ。今ではお金と相応の体力、好天気などの条件に恵まれれば熟達した登山家でなくとも登れる。登頂記録の裏側には登山者の渋滞があり、なかには何も背負わず登る人もいるという。市場経済の起こした大変革によりヒマラヤは目の前でそうなっていった。だからいけないと思うのか、そこまで自由になったとみるか、我々は問われている。

◆旅はチベットへと広がってゆく。どうしてもチベットへ行きたかった。当時オリンピック取材の計画もあったが、我を通した。自分を曲げず、しっかりと気持ちに従えば道は拓けるという確信を胸に、踏みしめたチベットの地で、江本さんは思わぬものにぶつかることになる。「遊牧」こそ主たる産業と信じ込んでいたチベット人の暮らしの中心は高地農業だったのだ。「先入観を越えて、自分の眼でしっかりとらえることが大切」。高地農業を支える動物は高地の牛、ヤクだ。人々はヤクの力を借りて麦を栽培し、脱穀する。東チベットには森があり、炭焼きまで行われている!松茸のおいしい料理やコワ(ヤク皮の舟)で川を渡る風景。写真から色褪せることのない江本さんの感動、そこに確かに流れていた時間が伝わってくる。と同時に「これからずーっとは見られるものではない」という寂寥感が漂っていた。最後の一枚は江本さんが心迷い、このままこの村に住み着いても良いのでは?と一瞬想うに至ったチベットの女性の写真だったことをここに付け加えておきたい。

◆北極圏へと場面は移り、「地球のいま」の話にも触れてゆく。氷は年々薄くなっている。軍事作戦での潜水艦の浮上の際にも確認されている。ホキョクギツネや狼、乱氷帯を越えていく犬ゾリのスライドに混じって現れるのは氷の世界への教会の進出、暗夜のカナダ北極圏の島の火柱にみる北極の資源。冷戦終幕直前に北極点で行われたカナダとソ連の冒険者(ソ連からカナダまで歩いて横断した)のセレモニーの写真からは、いま旅が出来るようになった背景にはペレストロイカ以降の時代の大きな動きがあったことを忘れてはならないという江本さんのメッセージが込められている。

◆江本さんが幾度となく足を運んだモンゴルも、凍てついた冬の風景の紹介から始まった。凍った湖面で蹄に釘を着け、1〜2トンの荷台をひいてゆく氷上馬ゾリ隊。人の知恵、馬のすごさ。しかし、2002年ゾド(雪害)に見舞われた草原では目の前で次々に馬が死んでいった。「干草を運んで助けてやりたかった」。春の出産。どうやって家畜を増やすかは、遊牧の暮らしの中心となるテーマだ。母羊と子羊がはぐれないように気を配る。授乳させるよう母羊に唄を唄う姿。らくだの授乳を手伝う子供達。それぞれが手を取り合って冬を越す。そうして緑の夏がやってくる。ナーダムの競馬や相撲、馬乳酒のある風景、踊りながらタルバガンを狩る風景。「馬を追いかける若者の姿はそれだけで芸術」。スライドはここで終了した。

◆報告会全リストを手に江本さんは語りかけた。これまでの332回、そのなかで我々がずっと学んできたもの、どんな風にテーマが変わってきたのかがわかる。今はもう既に亡くなった人達もいる。これ自体が私にとって厳粛なリストであると語る。今回の報告にしても何を伝えられるかを自分に問い、写真を選び抜いてここに立っている。そこで大事なことは「時代はどううねっているか」ということ。そして記録や数字ではとても言えないもの、「何を感じとってきたのか」が問われている。それこそが新聞記者をやりながら地平線へと惹かれていった大きな要であること。自分もその端くれであり、そういう人がもっと必要。どんなに慎ましい方法でも旅に行けるのは単にGNPが高い国の人達であり、そうすることが旅をする人間の責務であると江本さんは考える。

◆最近、江戸時代から人の手で書き伝えられてきた山陰地方の道中記を読んだという。そこには風土や人のことなど「旅する者の心得」が率直に書かれており、当時どんな情報が求められ、それを人々はどう伝えようとしたか、という事実を知り、感動した。一方、NHK特集で見た「グーグル」が今やろうとしていること。情報量、スピード、言語を越えて世界中にあらゆる情報が飽和しようとしている。テレビ、選挙をはじめとしてこの時代を取り巻く動き。いつの間にか我々は上手に操作され、コピーに振り回されてきている。旅をするにしてもほぼ7割まではあらゆるシステムのなかにあるのが現状ではないのか。そういう時代に異文化から何を持ち帰れるか。いま起こっているそのもう一つ裏側を見ること。地平線はそれだけは見抜きましょう。そしてそれらを若い人達と上手に解り合っていきたい。これまでの地平線報告者は全て、本気で話し、何かを残してくれた。これからも切実なものとして見守っていきたい。と江本さんは熱く語った。

◆話はハワイに戻る。3年前初めてホノルルマラソンを走ったときのこと。32km地点に「SADDAM CAPTURED!!」と書かれたダンボール板を持ったおばさんが立っていた。平和で穏やかなランナーたちの風景に飛び込んできたそのメッセージこそが衝撃的だったと話す。ハワイには日本との開戦のこと、ポリネシア文化のこと、またまだ話すべきことがたくさんある、とも。

◆最後に、江本さんは唄を披露した。「は〜れたそら〜 そ〜よぐかぜ〜♪」今回のタイトルにもつながる「憧れのハワイ航路」。江本さんの歌声のなかに何か大きなものが流れているように感じた。この唄から幼少時代の江本さんのいた時代背景が浮かんでくる。横浜育ち、当時は船旅でハワイは憧れだった。つい100年前までは移民の島として知られ、60数年前には真珠湾攻撃の現場となったことを我々民族のDNAはどんどん忘れていく特質を持っているのでは?8才の時に流行したこの唄を口ずさむたび、皮肉を感じるという。

◆もう一枚配られていた資料がある。自身がまとめたその名も『エモ侍ふらふら旅日記』。1940年、ジョン・レノン誕生の前日に生まれたことから現在に至るまで、自身の歩んできた道のりを流れる時代の出来事に照らし合わせ構成されたもの。こうしてみると紙面から江本さんが時代を含めてどこを旅してきたのかが驚く程によくわかる。

◆今回の報告会で江本さんが自ら示してくれた大切なことがある。個人の意図とは関係なく、時代は常に大きく動いているということ。人は皆そのなかでささやかな、時には壮大な旅をしているということ。僕の心にはなによりも「時代を旅した人」という印象が強く残った。ジャーナリストとして培った、時代や社会を同時に捉える感覚。山から極地まで現場へと飛び回る脚力。これまで一貫して貫かれた「常に自分に問い続ける姿勢」それがある以上、江本さんの旅は終わらない。

◆そしてやはり、江本さんは火の守り人であった。地平線というこの場所に集まる人の輪のなかには、生きた情報がストックされている。江本さんの写真はどれも時代を越えて更に輝きを増すものばかりだった。様々な積み重ねを経て今の自分が語るいつでも新しい話。それを感覚的に自在に差し出す巧みさに驚嘆した。当然なことながら、皆人生のスタート地点は違う。しかし、それぞれの火を集めて分かち合い、そこに浮かび上がる灯りを皆で一緒に見ていくこと。それは昔からそうであったように、人が生きてゆく上で本当に必要なことではないだろうか。僕自身もそこから火を分けてもらい、いつでもその火を胸に、目の前に広がる地平線にかざせるように生きていきたい。最近、江本さんは日本に目を向けている。先ずは沖縄と目を輝かせている。僕は地平線にその新たな火がくべられる日を心待ちにしている。(車谷建太 30才の津軽三味線弾き)


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