2006年12月の地平線報告会レポート



●地平線通信326より
先月の報告会から

「ねこの屋久詣で」

中島菊代

2006年12月23日 榎町地域センター

<第1部 屋久島通いの変遷>

 今回の報告者は、なかじまねこさんこと中島菊代さんだ。屋久島に通い続け、その数6年で30回! まずは2006年11月、最新の訪島の様子の紹介から始まった。大阪在住で、ふだんは障害を持つ人の通所施設で働いているねこさん。1回の訪島は土日を挟んで3泊くらいが多く、ひとりでテント泊することもあるそうだ。11月の訪島では、訪れるたびに「帰ってきました」という気になるという「花山の森」で数日を過ごしている。雨を含んでしっとりとした輝きを見せるその森や、道中に目を留めた木の葉や苔、ヤクシカなどの写真がスクリーンに映し出される。森に育てられ、森を育てる仲間たちだ。ざっくりとした手織りのエプロンドレスとジーパンに身を包んだねこさんは、大阪弁をまじえながら1枚1枚の写真に説明を添えていく。花崗岩でできた外周約130キロの屋久島は、淡路島よりやや小さく、お椀をかぶせたような形。世界遺産に登録されているのは島全体ではなく、一部であることなどの説明や、島でお世話になっている人たちの紹介もあった。

◆続いて、これまでの訪島について、最初から順を追って写真とともに紹介された。年ごとにキャッチをつけてまとめられていたので、ねこさんと屋久島の関わりがわかりやすかった。

◆2000年8月「初屋久 −久しぶりの旅行−」 以前はアフリカやモンゴル、スリランカなど海外旅行も多かったが、90年代の後半は事情があって3年ほど旅行に出ていなかったねこさん。久しぶりに大学時代の友人と旅行することになり、その行き先が屋久島だった。白谷雲水峡エコツアーなどを楽しむ。「すごく水が豊かなところやな」というのが第一印象。

◆2000年11月「再訪 −縄文杉にも会っておこう−」 最初の訪問からわずか3カ月後に「やっぱり縄文杉にも会っておこう」と再び屋久島入り。

◆2001年「怒涛?の訪島 −発信へ−」 この年7回訪島。8月には宮之浦岳で初めてのひとりテント泊。テントから望んだ星や月の動き、メリハリのある自然に心奪われる。12月にはメールマガジン「ねこからの手紙」で写真と詩の発信を始める。

◆2002年「揺れる気持ち −移ろうかな−」 島に移り住むことを考えながら通い続けた年。求人案内を見て興味をもったツアーガイド会社を訪ねたところ、「なんと採用されてしまい」、4月から屋久島への移住が決定。一方、夏のアラスカ旅行では「寝ている自分の背中から根っこが出ている感覚」を味わう。地球の表面にいる生き物それぞれから根っこが出ていて、それが中で絡まっているイメージが突如出てきて不思議な気がしたそうだ。

◆2003年「とどまる −訪島3回−」 人間ドックでひっかかったことや家族の問題があり、屋久島への移住を断念。2月にそれを就職が決まっていた会社に伝えに行く。それでも未練が残り、8月の訪島ではその会社の縄文杉1泊2日のツアーに研修生として同行し、ガイドすることの楽しみを知る。

◆2004年「森からのギフト −つながり−」 ひとつめのギフトは、白谷雲水峡への裏ルートである楠川歩道(年貢として納める屋久杉の運搬道として江戸時代に造られた石組みの道)を歩いていたときに得た感覚。簡単にいってしまえば、石や木に心を移すことで、自分がそれらとすりかわる感覚だ。報告会では、そのときの心の動きを詳細に書きとめた文章が読み上げられたが、ここではスペースの関係で全文を紹介できないので、ぜひホームページ「ねこからの手紙」(通称「ねこ手」http://www.neko-te.net/)でお読みいただきたいと思う(「屋久島病の日々」コーナーの「森からのギフト」に掲載)。その文章は次のように終わっている。「その瞬間、わたしは石になり、木になり、土になり、水になった。そして、石や木や土や水は、わたしになった。宇宙は果てしなくつながり、広がりながら、同時に、それぞれの中に内包されていた。森がわたしを肯定し、受け入れてくれている。森からの思わぬギフトに、いつしか涙をこぼしながら、歩いていた」。

◆ふたつめのギフトは、白谷雲水峡の石。ねこさんのお母さんが屋久島を訪れたときに、そこが娘のお気に入りの場所であることを知り、ひっそりと置いた握りこぶし大の石が、2年の年月を経て苔むした状態でその場に存在していた。森から与えられたそのふたつのギフトによって少し気持ちがラクになり、屋久島に通う方向性が見えてきたような気がしたというねこさん。息を吹き返して、この年は5回屋久島入り。「できるだけ体を整えておく」「まわりに心を開きリラックスする」「すぐ対応できるようにニュートラルな気持ちでいる」「あとは屋久島に委ねておけばよい」−−そんな言葉が当時の旅日記には残されていた。

◆2005年「出版 −つながりを実感する力−」 屋久島に通う方向性が見えてきたこと、アラスカで感じたことなどから、「つながりを感じられれば、いろんなことがよくなっていくのでは」と考えるようになる。その最初のステップとしてインターネットとは別の届け方を試み、8月に写真詩集『きみの胸に火 灯しに行くよ』(新風舎)を出版。この年は4回訪島している。

◆2006年「遊ぶ・学ぶ −ネイチャーガイドにくっついて−」 実習生という名目でネイチャーガイドツアーに参加することが増えた年。山で雪が降っていても、麓ではハイビスカスの花が咲いている、そんな屋久島の自然の不思議を改めて実感する日々……が、今につながる。

◆ねこさんの目を通してとらえられた島の自然や集落などの写真を見ながら、時間を追って話を聞いていくうちに、こちらもすっかり屋久島に通い続けている気分になり、移住をめぐっては気持ちが揺れた。

◆振り返ると、それ以前は悶々としていたのが、屋久島という扉を開いてから、いろいろなことが変わっていったと語るねこさん。地平線会議と出会ったのも、屋久島に通い始めたのとほぼ同時期。そんなこともあって、今は「詣でる」気持ち。これからも屋久島に委ねて通い続けたいと報告を締めくくった。

<第2部 音楽とともに旅する詩>

 第2部は、ねこさんによる自作の詩の朗読と音楽のコラボレーション。音楽の担当は、地平線の報告会や通信の発送作業によく参加されている車谷建太さんと、車谷さんの高校時代のバスケットクラブの先輩であり、音楽仲間の加藤士門(しもん)さん。今回は、津軽三味線のほかアフリカの太鼓・ジャンベやインディアンドラム、インディアンフルート、カリンバなどを使って即興で演奏してくれるという。ブタの蹄の束(やわらかないい音がした)など珍しいものも用意されている。会衆のほとんどが、ふたりの演奏を聴くのは初めてとあり、会場中に「期待くん」がふわふわ浮かんでいるのが感じられる。

◆オレンジのニットの上着を着た車谷さんと、黒のポンチョにカラフルな帽子が印象的な士門さんは舞台中央の奥に座り、ねこさんは客席から向かって右側に立っている。屋久島の風景や森の中の映像が流れ、演奏者それぞれとねこさんが手を握り交わし、第2部がスタートした。 「泣けなくなったあなたへ 踏ん張ってるあなたへ……」ねこさんの張りのある声が会場を包む。しばらくして、パン、パン、パコンと、ゆっくり静かに三味線の音が入ってきた。それを受けるように、シェーカー(マラカス)のカラカラと乾いた音が響く。「あめふりのうた」「旅する気持ち。」「言の葉つぶて」「雫音」「銀色ナミダ」……と朗読が続く。ねこさんの詩は、身近な生活や自然を入口にして、そこから大きな世界へつなげていくものが多い。屋久島の映像とねこさんの声に、そして音楽に乗って、次々と言葉が流れてくる。

◆「事前に音をつくり込もうとしたら、何もできないことに気づいたので、即興を楽しんだ」と車谷さんはいっていたが、決して言葉を消すことのない音楽は、ときに森で暮らす生き物の鳴き声や遠吠えとなり、ときに木立や海を渡る風となり、また人の暮らしの中の生活音となって、言葉に寄り添っていた。こちらは、森を歩いているような、大地に抱かれて眠りにつこうとしているような心地よさに身を任せるばかり。あとで士門さんが「僕らは音楽で旅をするというスタンス。音楽はすでにそこにあるもので、鳥になったり、馬になったりしながら、そこにある音楽に乗って旅していく感じ。自分も屋久島の映像を見ながら旅していた」と語るのを聞いて、納得した。

◆終盤、ねこさんの声に力が増し、聴く側の背筋が一瞬びくっと伸びた(と思う)詩があった。タイトルはずばり「地平線会議」。せっかくなので、ここでも紹介したい。

◆地平線会議/求めるしか/求めるしか、なかった。/求めるしか/求めるしか、なかった。/なぜなの?/どんな意味があるの?/やっていけるの?/それをして なんになるの?/生きていること/今生きて呼吸をしていること/そして遠くを見ること/生きていること/今生きて呼吸をしていること/そして遠くを見ること/求めるしか/求めるしか、なかった。/求めるしか/求めるしか、なかった。

◆そして、39編目となる最後の詩「来年もよろしく」が読み上げられると、三味線の音が徐々に高まり、新年へ向けての寿ぎモードで盛り上がって演奏終了! 70人ほどの会衆の拍手に包まれて朗読と音楽の時間が終わった。と思ったら、さらに津軽三味線の協演という、うれしいおまけまであった。「来年に向けて、ここから世界にいい風が吹きますように」という言葉に続いて始まったのは、朗読のときとはまったく異なる力強くてテンポのはやい演奏。三味線の音が何十にも重なり合って飛んでいく。「和音が旋回しながら広がる」イメージでふたりで作ったという「センカイノワオン」という曲で、地平線の場で演奏するならこれ、と車谷さんは決めていたそうだ。

◆客席を見渡すと、満ちたりた笑顔の人もいれば、しみじみしている人もいる。関東はもとより山形や愛知、関西各地から「ねこ手」の掲示板仲間も集まっている。ねこさんのクライミングの師匠・山田 淳さんと婚約者・横山蘭子さん(07年1月1日に入籍とのこと。おめでとうございます)の姿もあった。そうそう、海宝道義さんから「自家製ベーコン」がねこさんに、そしてねこさんから「屋久杉の香」が全員にプレゼントされたことも、書き忘れてはならないにゃん。

<2次会も大盛況>

 その後の「北京」での忘年会を兼ねた2次会も、60人ほどの参加を得て大盛況。生演奏をバックにしての朗読を「めちゃ気持ちよかったねん」と振り返りながら、大好きなビールを飲んでいたねこさんに、あえて聞いてみた。「メールマガジンや著書を通して、ねこさんが伝えたいことは何?」と。つながりの実感? 屋久島の魅力? どちらも間違いではない気がするけど、それがメインとは思えなかった。

◆「伝える内容はじつは何でもよくて、寄り添いたいんだよね」。それが、ねこさんの答えだった。「つながりの実感」は社会的なものだけど、もっと個人にピンポイントで寄り添いたい。べっとり接するのではなく、ふとしたときにそばにあることに気づく、「すきま家具のような」存在でありたいという。なるほどー。その思いが、詩や本のタイトルにもある「火 灯しに行くよ」につながっているのか。ねこさんが輪の中にいると場がなごむ理由もわかった気がした。そして、ねこさんに寄り添い、そんなふうに思わせた屋久島はすごいなあと改めて思った。(「ねこ手」仲間の妹尾和子)

『コラボな旅−−屋久島の森の声を聞きながら』

詩の朗読に合わせて演奏をするということ。それは僕にとって未知の世界でした。きっかけは長野亮之介さんの提案で、思いがけない突然のお話でした。ねこさんの写真詩集を開いてみると、屋久島の森と自分の心を重ねるように、奥深くまで旅をしているからこそ見つけたり触ったりすくったりできるような純粋でストレートな気持ちが、彼女ならではの世界となって広がっていました。心の中がジーンと温かくなるのを感じました。

◆僕にとって、音を奏でることは旅をすることでもあります。今回登場してもらった加藤士門君。彼との付き合いは長く、お互いに何の準備がなくとも、音を奏で始めさえすれば、どこへでも音の世界を旅することの出来るかけがえのないパートナーです。更に唯一、共にザックを背負って歩いたのが3年前の屋久島でした。三味線・カリンバ・インディアンドラム&フルート・ベル。いつもの音色を携えて、「屋久島を詣でる」というねこさんの心持ちを胸に、息を合わせることのみに集中しながら本番を迎えました。

◆ねこさんが訪ね歩いた森の景色を見ながら、彼女の声とリズムに合わせて音を奏でてゆくうちに不思議な感覚に包まれてゆくのを感じました。3年前に歩いた時のあの感覚が蘇ってくるのです。あの時に出逢った木々からこぼれる光、顔を撫でてゆく風、根っこから漂う匂い、それらに乗って彼女の言葉が森の声のように聞こえてきます。森の中を歩いているようで、ねこさんの心の中を歩いているような…。気が付くと、僕達はその旅を心から楽しんでいました。それぞれの記憶や想いが音色や言葉となって重なり合い混じり合うことで、また一つとない唄が生まれる。やはり、旅とは始まってみなければわからないものですね。

◆初めて地平線会議に足を運んだのがちょうど一年前の忘年会報告会でした。皆さんのそれぞれの旅のありよう、そこに流れている共通の想いに心を打たれ続けてきました。今回このような機会をいただき、改めて音楽と旅のつながり・可能性を実感出来たように思います。そして何よりも、演奏を通じて皆さんと喜びを分かち合えたことが僕にとっての大きな幸せでした。江本さん、長野さん、ねこさんをはじめ、支えて下さった皆様、有難うございました。コラボレーションは新しい世界への切符です。これからも旅を続けながら、たくさんの唄に巡り会えることを夢みています。(車谷建太)

『報告会という扉を開けて』

 「地平線で報告…!?わたしが??」。準備しつつも実感がないまま、まるでどこかひとごとのような気分で、当日がやってきました。そして始まってからも、ふと我に返ってアタフタしては、やがてまたふわふわと話に戻る…というようなことをひそかに(?)繰り返していました。

◆今回は屋久島についてというより、『わたしにとっての屋久島』を趣旨として、今までを振り返らせてもらいました。果たして足を運んで聴いてもらうに足る内容だったか?と未だよぎったりしますが、個人的な人生の時間に耳を傾けてもらえたこと、わたしにとって、これからの力になってくれるような予感がしています。

◆試みとして、初めて詩の朗読もさせてもらいました。もともと『ひとりに寄り添う』気持ちで始めた創作活動。この朗読においても、心向きは同様でした。ただ、「届けよう」と思うときに、わたしなりに大事なこととして、『こめた想いを一旦手放し、戻ってきたものを届ける』というプロセスがあります。でもそれは、きっとキンチョーしている場では難しいだろう、とも思っていました。ところが!仕掛け人長野亮之介画伯が車谷建太さんと、そして車谷さんが加藤士門さんともつないでくれて、プロセスはひょいと飛び越えられたのでした。ふたりから奏でられる音が詩にいつしか付着していた想いを拭い去り、 あるいは彩ってくれ、わたしはただ真ん中あたりを差し出せばよかったのでした。会場のみなさんがそれぞれの思いで受け取ってくださったことで、二度とは共有できない時間が確かに流れているのを感じながら、車谷さん、士門さん、会場にいる人、そしてわたしの間を、せわしなく何かが行き交っている気がしました。それは細かな光の粒子のような感じがしました。

◆準備段階で快くご協力いただいたみなさん、そして当日会場に足を運んでくださり、また、言葉をかけてくださったみなさん、ありがとうございました。温かな気持ちで会場を後にしてもらいたいと願った報告会でしたが、わたしの方が、今もなお、温められています。屋久島に行ってから、ひとつずつ開いてくれた扉。今回もそんな扉をまた押したような気がします。そしてこれからどんな扉を開くことができるのか、楽しみです。

◆ごぼうび(?)にいただいた大好きな『海宝ベーコン』、スライスしてそのままひとくち。ん〜、できたてはやっぱりおいしい!…と、ここで終わるはずでしたが、もうひとことだけ。地平線通信の校正をさせてもらっている関係上、今回の報告会レポートをひと足先に読ませていただくことができました。そこでようやく報告会が本当に終了したという実感が湧きました。妹尾さん、ありがとう。(中島菊代)



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