「三浦雄一郎スペシャル・バージョン」の報告会は、まさに感動の3時間半。いつもの会場を離れ、東京・千駄ヶ谷の「ミウラ・ベースキャンプ」でおこなわれたので、より臨場感のある報告会になった。心にくいばかりのセッティングだ。
◆「ミウラ・ベースキャンプ」2階の会議室で6時半に始まったが、最初は三浦ファミリーの映像記録。すばらしい作品に仕上がっている映像には思わず見入ってしまった。3部からなる映像の第1部は「シシャパンマ2006プロジェクト」。三浦雄一郎さんは2008年に75歳でのエベレスト登頂を目指しているが、その高所トレーニングをもかねたヒマラヤ8000m峰、シシャパンマ挑戦の記録だ。6400m地点でのスキーでの滑走はド迫力。雄一郎さんがベースキャンプに下ったあと、同行の息子さんの豪太さんがシシャパンマ中央峰(8012m)の登頂に成功。豪太さんにとっては父親と一緒に登頂したエベレスト、チョーオユーに次いで3峰目の8000m峰ということになる。豪太さんにとっての喜びはもちろんのことだが、ベースキャンプでその知らせを受けた父、雄一郎さんの喜びはどれだけ大きかったことか。
◆第2部は雄一郎さんのお父さん、敬三さんの映像。敬三さんは今年1月5日に101歳で他界されたが、昨年の4月まではスキーをされていた。三浦敬三さんは日本スキー界の草分け的な方。99歳でのアルプス・モンブラン氷河、親子4代の滑降には驚かされてしまう。さらにその翌年、100歳になられた敬三さんはアメリカで親子4代の滑降を見せてくれた。「三浦ファミリー、おそるべし!」を強烈に見せつける映像だ。
◆第3部が雄一郎さんの7大陸最高峰からの滑降。これには目がくぎづけになった。エベレストの8000m地点、サウスコルからの滑降はほんとうに命がけ。スタート直後5、6秒ですでに時速170キロを超えている。その時点でパラシュートを開くのだが、それでも氷の壁を猛烈なスピードで滑走し、大岩を飛び越えていった。よくぞ助かったものだ。さらによくぞこれだけの映像を撮影したものだ。南極の最高峰ビンソンマシッフでの滑降では大雪崩に巻き込まれていく様子が鮮明に映し出されていた。そのとき三浦さんはとっさに小学校5年生のときに蔵王で雪崩に巻き込まれた体験を思い出し、それが結果的には命を救ってくれた。どのようにしたら自分の命が助かるのかを極限の状態にたたき落されたときでさえ、冷静に考えられる人なのだ、三浦雄一郎さんは。それだからこそ、ここまで命を落とさずに第一級の行動者としてやってこれたのだと思う。
◆貴重な3部からなる映像が終わると、長女の恵美里さんの挨拶。「ミウラ・ベースキャンプ」の代表者の恵美里さんは輝かしい経歴を持つ方だが、それを少しもひけらかすことのない、やさしい目をした女性だ。つづいて豪太さんの挨拶。豪太さんは日本モーグル界のリーダー的存在で2度のオリンピック出場はよく知られている。恵美里さん、豪太さんを間近に見ていると、「(好きなことをやりつづけながら)よくぞこれだけのお子さんたちを育て上げたものだ」とあらためて三浦雄一郎のすごさを感じてしまう。そしていよいよ真打ち、雄一郎さんの登場だ。半ズボンにトレッキングシューズといういでたちの雄一郎さんはとても70歳を過ぎている方には見えない。頭のてっぺんから足の指先まで、全身から若さをかもし出している。人間の若さというのは、その人の内面から発するものだということを教えてくれた。
◆雄一郎さんのお話は心ひかれるものだった。幼年期から青春期にかけて体験した東北の山野から受けたものが、雄一郎さんの骨身になっていると強く感じさせた。八甲田では生まれながらにしてスキーをはき、ソリですべった。津軽半島の西側、まだ道もない時代に小泊から龍飛崎までの冒険行、サバイバル行をおこなった。黒沢尻(北上市)を拠点にして奥羽山脈の山々をも駆けめぐった。それらはすべて今日の雄一郎さんにつながっている。その間には2年間もの闘病生活をも送っているのだが、それに耐え抜いたことによって、雄一郎さんの精神力はより強靭なものになった。
◆北大時代のお話もおもしろく聞いた。とくに学長の美人秘書にねらいをつけ、彼女をGETするまでのエピソードなどは頭にこびりついてしまって離れない。その「学長美人秘書」が奥様なのだという。 お話を聞きおわったとき、ぼくは「三浦雄一郎は夢追人だ!」と思った。三浦さんはとにかく前向き。すべてを楽観的、プラス指向で考えられる方。それができるのは、いつも夢を追いつづけているからだ。「夢追人」は何事にもメゲない。何しろ目指すものがあるのだから。いつでも全力投球できる。心の中から出る叫びがあるからだ。命を賭けるときも躊躇することなく突き進んでいける。それが自分の命を護る一番いい方法だと本能的に知っているからだ。そんなことを考えさせられた感動的なお話の数々だった。
◆そのあと地平線会議の江本嘉伸さんとのトーク。江本さんも若さを感じさせる方だが、いつも以上に若々しく感じた。それは三浦さんの発散する若さを江本さんがまともに受けとめたからだと思っている。江本さんは1981年、読売新聞社の記者時代の取材ノートを披露してくれた。それは77才だった三浦敬三さんを取材したときのもの。そのとき敬三さんは、「(雄一郎さんは)すごく親思い、兄弟思い」だと言っている。三浦雄一郎さんと江本嘉伸さんのトークのあと、数多くの質問、そして感想が出たが、それが終わったところで、隣の別会場に舞台が移される。そこには数々の中華料理がテーブルに並び、何でもありの、飲み放題のドリンクが用意されていた。
◆恵美里さんは「ミウラ・ベースキャンプ」のスタッフのみなさん一人一人を紹介してくれ、さらに愛犬の「ランマちゃん」を連れてきてくれた。1歳2ヵ月のチベッタン・スパニエール。チョモランマからとったという「ランマちゃん」はあっというまに会場の人気者になった。恵美里さんと豪太さんは「ミウラ・ベースキャンプ」内にあるトレーニングルームや低酸素室などの案内ツアーにも参加者のみなさんを連れていってくれた。
◆こうして10時過ぎに報告会は終わったが、会場を立ち去りがたかった。三浦ファミリーのみなさんのあたたかさ、家族の絆の強さにふれ、ほろ酔い気分になったこともあって、ぼくは胸がジーンとしてしまった。今回の「三浦雄一郎スペシャルバージョン」の報告会は地平線会議の歴史に新たな1ページを加えた。そんな報告会に参加できて、ほんとうによかった。「ミウラ・ベースキャンプ」をあとにすると、三輪主彦さんらと報告会の余韻にひたるかのように新宿まで歩いた。(賀曽利隆)
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