4月の報告会当日、夕方6時過ぎに榎木町地域センターに到着した。いつもはギリギリか、始まって30分くらい経ってからもぐりこむ私であるが、この日はちょうど早稲田近辺の事務所での打ち合わせが予定より早く終わったので、たまには会場造りでも手伝おうと張り切って行ったのだ。ところが会場はすでに出来上がっているし20人以上の人が集まっていたのでびっくりした。さらに6時30分の報告会開始時には席がほとんど埋まってしまい、立ち見も出るという繁盛ぶり。こんなに早く満席になるなんて、私が知っている限りなかったことだったので、さすが関野さんだと感心させられた。受付のテーブルに山積みにされた『グレートジャーニー全記録」』上下巻7000円(特別価格)が次々に売れていく。その横で1500円の我が著書はさっぱり。便乗商売をあてにしていたのに、世の中甘くありませんね。
◆関野さんは2001年にタンザニアで終わった『グレートジャーニー』 に続き、2004年7月からは日本人のルーツを追及する『新グレートジャーニー・日本人の来た道』の旅を始めている。もちろん、全行程自転車、徒歩、カヌーによる、動力を使わない旅である。今回はその第一ステージである「シベリア→サハリン→北海道」の北方ルートの話で、昨年3月の報告の続編。
◆関野さんの話はミトコンドリアDNAの分析から、母方が礼文島の縄文人のそれと近い、というふれこみから始まった。また、民族的に単一だと言われているがこれは間違っている。アフリカ大陸からアメリカ大陸へと至る人類がたどった道程においてさまざまなルートで、さまざまな時代に日本へやってきたため言葉も多様で血液型もバラバラだとのこと。たとえば、アマゾンのヤノマミ族やアメリカインディアンの血液型は、ほとんどがO型だそうだ。フムフム、いきなり最初からおもしろそうな話だ。
◆スライド上映が始まると、見覚えのある風景が映し出された。果てしない緑の草原の中を地平線まで続いている一本の道。青い空には独特な感じでぽっかりと白い雲が浮かんでいる。それはまぎれもなく私がバイクで走った5年前と変わらないシベリアの風景だった。その風景の中を関野さんが自転車で走っている。関野さんは「こんな感じの、地平線が見える風景が好き」だとのこと。その対極にあるのがアマゾンだというが、関野さん、もちろんその地平線の見えないアマゾンも大好きなのである。
◆「アムール街道」と関野さんが名付けたという極東の道は、アムール川に沿って東へと向かう、シベリア横断の北方ルート。人類の一部はトナカイ、マンモスを追いかけながら、アムール川沿いに東へ東へと進み、その人たちがシベリアからサハリンを経由して日本列島までたどり付き、縄文人の祖先になったというのだ。5年前、私はそんなこと考えもしないで旅していた。ただシベリアに東洋系の人が多く住んでいるのが意外だった。ブリヤート人の家族に「日本人とオレたち、そっくりだね」と呼び止められ、一緒に記念撮影したっけなあ。
◆『新グレートジャーニー』では、旅をしながらシベリアに住む先住民族の暮らしも丹念に取材していて、その話もとても興味深かった。たとえばトナカイの話。シベリア内陸部では犬橇ではなくトナカイ橇が圧倒的に多い。その理由はエサ。トナカイは雪の中から地衣類などを自分で捜して食べるので、犬と違ってエサを大量に運ぶ必要がないからだとのこと。最近はそのトナカイはじめ動物の数が減っている。サハリンではパイプライン建設による自然破壊が関係しているらしい。動物を捕って生活をしている先住民にとっては死活問題なので、政府に対して裁判を起こしている。また、アムール川下流域に住むウリチという先住民族はチョウザメを捕って暮らしているが、狩猟は許可制でそれをもらうにはお金が要る。となると金のない先住民は生きていくために密猟するしかない。
◆ソ連が崩壊しロシアになってから先住民の暮らしはますます厳しいものになっているが、彼らの「ソ連時代のほうが経済的には豊かだったけれど、戻りたいとは思わない」という話は印象的だった。貧しくても自由な生活のほうがいい、というのは旧社会主義国の人々に共通する思いのようだ。(勿論人はいろいろで、あの時代のほうがずっと良かった、という人もいる)
◆先住民の話では、キタキツネが生きたまま罠にかかると、首を折り、最後は心臓を突くが、そういうときはさすがにつらそうな顔をしていたという話にはほっとしたし、「北方四島は日本に返すべきじゃない」と主張するサーシャさんに対し、関野さんは「いや、返すべきだ」と日本語で答えたというエピソードもおもしろかった。
◆サハリンの北緯50度線を越えると、いきなり日本に近い映像となった。ここにはかつて日本だった名残がたくさんある。鳥居だけ残った神社、日本人の墓地、日本語を話す人々。西牟田さんの著書『僕の見た大日本帝国』にも出てきた場所も映し出された。日本によって強制的にサハリンに送られた残留朝鮮人にきっとひどいことを言われるんじゃないか、と思っていた関野さんだったが、各地で出会う朝鮮人は意外にもとても親切に対応してくれたそうだ。 韓国や北朝鮮では反日運動も激しいのに、サハリンではそうではないらしいと知って私もほっとした。
◆サハリンに残ったのは朝鮮人だけじゃなく日本人も多かった。そのほとんどは女性で、朝鮮人の男性と結婚したためだという。朝鮮人の夫の中には、うっぷんのはけ口を日本人である妻に向ける人も多かったらしく、日本人妻たちは苦労自慢をしたら誰にも負けないというほど辛酸をなめてきている。私もハバロフスクで市内バスに乗っていたとき、たまたま席を譲ったおばあさんが残留日本人で、ロシア語で「パジャールスタ(どうぞ)」と言ったのに、日本語で「ありがとう」と返されてびっくりしたのを思い出した。その人は「樺太組なの」と明るく笑っていたけれど、あの人も朝鮮人男性と結婚して帰れなかった人だったのだろうか。
◆先日、ウクライナに暮らしている旧日本兵の帰還が話題となったが、そんなふうにシベリアに残された日本人の子孫たちが「混じりっ子」として、かの大地に根付いている事実を知ると、ロシアと日本、朝鮮の関係は、私たちが意識している以上に強いつながりがあるんだなあ、とも思った。
◆サハリンの映像では、ほかに自然保護区の海でサケを獲る熊の親子、アザラシやトド、60万頭というオロロン鳥のコロニーがあるチュレーニー島も印象的だった。
◆あっという間の2時間半。TV番組で見る『グレートジャーニー』もすばらしいけれど、こうして関野さん自身からライブで聞く報告は、もっと心に響いてくる感じがする。これこそが地平線報告会ならではの魅力なんだろう。前回の話を聞けなかったのが悔やまれる。
◆とりあえず北方ルートの取材は終わったけれど、関野さんの『新グレートジャーニー』は、まだまだ終わらない。これからまた南方ルートの取材に出かけるのだという。今度はヒマラヤからメコン川沿いに南下するルートで、そっちもおもしろそうだ。
◆それにしても、御年50数歳(?)にして、このパワー。ギックリ腰と椎間板ヘルニアでボロボロなのに、マイナス41度の中、80kgの橇を引いて歩いたり、シベリアの悪路を自転車で1日100kmも走ったり、重いザックを背負っての徒歩旅、カヤックでの海峡横断などなど、その行動力、体力は若者顔負けである。関野さんに限らず、おじさんパワー炸裂の「地平線会議」。シゲさんを筆頭とする私たち「おばさん組」も負けちゃいられない、と奮起させられたのでした。(滝野沢優子)
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