2006年2月の地平線大阪報告会レポート




●地平線通信316より

先月の 大阪報告会から

「大地と足、木と手の関係」ひっくるめレポート

坪井伸吾+前田歩未

2006.2.25 大阪国際会議場

 2月は24日の東京での報告会のほかに、大阪でも25日に地平線報告会が開かれた。2日連続で地平線なんて!、と驚いた人もいると思うが、土日にからませないとスタッフも動けず、会場は2月25日しか空いてなかったのだ。岸本佳則君を中心に会場との交渉、いまや「大阪名物」となった20ページに及ぶ「資料」の作成など、当日に向けて「大阪報告会専用ML」が飛び交った。青空に恵まれて迎えたその25日、「足と手」をテーマのふたりの報告の素晴らしさは勿論、オークションから2次会に至るまで、規模は小さいながらこれはまさしく「大集会」であった。その雰囲気の一端を知ってほしいのと、東京以外でもこれだけのことができるという気持ちをこめて「大阪報告会特別レポート」をお届けする。地平線・大阪の要(かなめ)のひとり、中島菊代さんが全文を書いた。(江本嘉伸)

〜当日まで〜

 タイトル決めに少々難航した。昨年北米大陸横断ランを成し遂げた破天荒な旅人・坪井伸吾さんと、ドイツで修行した木のおもちゃ作家・前田歩未さんの報告会。異色の取り合わせと言えるかもしれないふたりを表し、かつ、吸引力のあるタイトルをと、地平線通信で予告する直前まで粘った。結果、わかりやすく、しかも謎めいてもいる、前田さん提案の「大地と足、木と手の関係」に落ち着いた。

◆スタッフの間では例によってメールが飛びかい、それぞれの役割を担ったり確認したりしていたら、たっぷりあると思っていた準備期間もどんどん過ぎていった。そして迎えた当日。週間天気予報では危ぶまれていた空模様も、すっきり晴れてうららかな陽気に。大阪国際会議場で合流したスタッフたちは、大阪の街を一望する12階のレストランで、実行委員長夫妻おすすめのカレーやピラフを堪能。 おもちゃやダンボール箱を抱えてぞろぞろ店に入る一団に、レストランのウェイターが「何の催しですか?」と尋ねるひと幕も。

◆その後一行は、いざ会場となる会議室へ。椅子や机などはすべて会場側でセッティングしてくれるので、予約時刻は開始の30分前から。運良く少し早めに入室でき、資料綴じやパソコン、ビデオ、受付周りなど、速攻で準備。あっという間に開始時刻となった。席もほとんど埋まっている(最終的には計60名が集った)。ほぼ定刻に実行委員長が挨拶し、関西では3回目、通算320回目となる地平線報告会が幕を開けた。

〜前田歩未報告レポート〜

 木のおもちゃ作家として今に至る彼女の軌跡を、ドイツでの修行時代を中心に、時間の流れに沿って伝えてくれた。話の区切り目でスクリーンに出してくれたタイトルをもとにレポートする。

◆『夢見る時代』…こどもが喜ぶものとして、最初のイメージはジェットコースターだった。次はデパートの屋上などにある100円のユラユラ乗り物。そして最終的に自分の手で作れる木のおもちゃへ行き着いた。『かせきごっこ』…最初に作ったおもちゃ。コンセプトは「公園に生えている木をくりぬいてかくれんぼしたい」。『夢追いかける時代』…“作品とお金”をためるべく、ドイツへの想いを胸に社会人となる。『2000’06 スレンダーブロック』『2001’04 ラウンドパーティー』…ドイツ行きに備え、これらを含め計4作品を制作。『転換期』…“ドイツに行くこと”というひとつの夢に追いつき、更に先へ。師匠と出会う。『考える時代』…ドイツ修業時代。「やっとここまでこぎつけた。ずっとやりたかったことを今やっている」と実感。“できることは何でもやる”がモットーの師匠の家に身を置き、人々の生き方や考え方、土地の自然に触れながら、何でもやりつつ自分を見つめる。『クオーター』…2002年8月に制作。師匠にすら「一度あきらめろ」と言わしめ、完成までに困難を極めた作品。「丸い球体がパカッと開くと面白い」が発端だった。『2003'06 フスフス』…ドイツ時代最後の作品。ある夜、布団に入ってから突然「足の裏で遊べる」とひらめく。師匠は「波を逃したらできるものもできなくなる」と、制作に専念させてくれた。『2003'11帰国』…出会った人との絆を感じながら帰国。アトリエの場所探しに奔走。『2004’03arumitoy』…アトリエarumitoyオープン。ドイツでの学びを生かし、床張りやギャラリースペース設置、入り口扉の改装など自力で行った。最初の1年は生活と制作で精一杯で、新作は作れなかった。『2005'09つぃくつぁく・ばんぴー』…夏にドイツを訪ねた後できた新作。「ドイツに行って、楽になったときがあったのでしょう」。

◆念願のドイツに渡って語学学校に通い、「次どうする?」と考えて、後に師匠となるノベルト氏のもとへ突撃訪問したとき(集めたパンフレットに電話番号が書いてあったのがきっかけ)、彼女はその人に“何か”を感じる。突然やってきた見知らぬ外国人の話を丁寧に聞いてくれる師匠の姿に、「ここで修行がしたい」と、4ヶ月習ったドイツ語で自分のことを説明して了解を得た。そうして始まったドイツ修業時代の、気持ちが沈みがちだったある日、松の木の匂いをかいで鳥肌が立ち、「本当に木が好きだ、間違っていなかった」と目が覚める思いがしたことは、今も感覚ごと思い起こせるという。聞いているとそれらの話は前進のプロセスであり、心の声をすくい取り、向き合い、行動につなげてゆくプロセスであるように思えた。

◆とっておきの大切な場所や人、時間の話も、美しい写真を見せてもらいながら聞くことができた。豊かな自然の中、教会の屋根が2本の角のように遠くに見えるお気に入りの風景。庭に実るいろいろなベリー。気分転換に散策したブナ林や「お友だちの栗の木さん」のこと。ボスとふたりで話ができるオイル場と11時のカフェ。将来について悩んでいたとき、気の合うジュエリーマイスターの友人が、「頭の中をぐちゃぐちゃにしちゃだめよ。わかんない時は考えなくていい、わかるときは来るから」と言ってくれ、楽になったこと(そして、ある日突然「独立したい」と思うのだった)。どの話もドイツでの生活を愛おしむ歩未さんの気持ちが伝わるようで、心に残った。

◆日本を発つときの「帰る場所があるっていいな」という思いを、ドイツを発つときにも感じることが出来た歩未さんの、2年に及ぶドイツでの暮らしは、それ抜きでは今の彼女はないと言っても過言でないほどの経験や学びをもたらした。「ボスの精神を受け継いで、アトリエarumi toyは成り立っている」と言う彼女は、これからもきらきら輝きながら、しなやかなたくましさで、大切なものを増やしていくことだろう。とりあえず、また突然発表される新作を楽しみにしていましょうか。(アイデアは、「言ったら溶ける」んですって。)

◆約1時間にわたる前田歩未さんの話は、短いながらも内容を吟味して伝えてくれた感じがし、余韻の残る報告となった。当初旅人の報告の場である地平線報告会に登場することに彼女自身戸惑いがあったようだが、やはり杞憂であった。なぜならそれは、彼女の「旅」の報告でもあったのだから。

 おもちゃを見てもらう時間も含め、15分間の中入り後、坪井伸吾さんの報告が始まった。

〜坪井伸吾報告レポート〜

◆坪井さんの話を聞くのは初めてだったが、驚いてしまった。失礼を承知で正直に言うが、これほど話が面白い人とは思っていなかったのだ(す、すみません)。打ち合わせのときなどには穏やかにゆるりと話され、どちらかというと“聞く人”の印象だったのが、1時間半の間、持ち味はそのままに、話し手として常に聞く者を引きつけ、楽しませてくれた。聞き上手は話し上手なのだ。

◆話を聞いていると、坪井さんの行動の原動力は、「感動したい」にあった。「できないと思っていたことができたときのおもしろさ」に引かれるとも。前述の前田歩未さんのレポートで書いたことと似るが、そこに至るには、自分の気持ちに向き合い、実行に移していく姿勢が内にあるように思える。広い意味で、旅とは元来そういう要素を含むものなのかもしれない。

◆メインの報告『北米横断ラン』については、昨年11月に東京での地平線報告会でも話され、通信313号にレポートも掲載されたので、是非そちらをご覧いただきたい。そんなわけで今回は、 旅をおもしろがりながら昇華させた坪井さん独自の世界観が興味深かったので、旅のエピソードとともに、「坪井語録」を紹介したいと思う。

◆「地図に載っていない道にいきなり出た。線路に沿って進む。こわくて、わくわくする」「昔行ったところに再び行ってよくなっていることは少なく、失望するので行きたくないと思っていたが、20年ぶりに同じ場所に立っているとわかったとき、悪くないと思えた」「砂漠でテントを張って野宿する。夜はこわい。これは町にいるとわからない、普通の感覚」「食べ物があるガソリンスタンドはオアシス。ウェハースやビスケットの日々では、温かいハンバーガーが嬉しかった」「テントの外に気配。ポルターガイスト現象が!“なかったことにしよう”と寝袋に入って寝た」「体力的なことよりも、精神状態を保つ方が重要。自分と遊べる能力が不可欠。“これでいいのだ”状態」「日本語だと恥ずかしくて言えなくても英語だと言えてしまう。日本語はそういう表現に向いていない」「(標高3400mの山越えで)普段感情はおもてにでないが、このときばかりはガッツポーズをした」「道で人に会うときは、試されているときでもある。100%信じるわけにはいかないが、いい関係を作らないとならない(逃げ場はないから)」「70kmぶりくらいの日蔭で、気を失って倒れる。通りがかった車が水を分けてくれたものの、あと16kmを水なしでいくのはしんどい。この際とヒッチするが、こんな時に限って止まってくれない。あとは雨乞いしかなかった。アメフレ…と念じていたら、降った」「穏やかな気持ちのときに見えるものと、神経が張りつめているときに見えるものがそれぞれある」「(ゴールドに光る空の写真)空を見て、ときに“恐い“と思う感覚も必要」「地図が完璧に読めるようになるとチャレンジ要素がなくなって、3日位でいやになった」「地図を見て一発でモーテルを見つけられないとダメ(ムダ足が疲労につながる)」「(グラウンド・ゼロにて)なくなったものを考えるとうちのめされる」「嫁さんに“素人でもわかるような結果出してこい”と後押しされた」「治癒能力が高まっているのか、マメが2日くらいで治るようになった」「修理するものが出てくると、場所や金額を調べるのに1日かかることもあったが、このときはすぐに直してもらえて幸せだった。ちょっとしたこで幸せになれる」「山のきついところでベストタイムが出て、いきなりステップがあがるような、進化する瞬間を感じた」「日本にはない、家々のさまざまなポストを見るのも楽しみのひとつ。ポストから人柄を想像する。個性ってこういうことではないかと思う」「敵(この場合は猟犬)に会ったとき、まるめこむテクニックは大事」「道を選べる自由さが嬉しい。干上がった川、湖。人間がいないのでどこで寝ても大丈夫。すごく幸せで、旅の原点と思う」「(来た道を小高い場所から撮影した写真)やればできるんやな、と」

◆ゴールの店でバスのチケットとコーラを買い、店員に走ってきたことを言ってみたら、返事は「それがどうしたの?」だったという。バスが来るまでの3時間、坪井さんはまた走り始める。前回走った道をふたたび踏む。ひとつの丘を上ったところで「ここやな」と思った。思えば、本来のゴール地点も海が見えることから、自分でバッテリーパークに決めた。5400キロを一本の線でつないだ走り旅の最終ゴールも自分で決めるべきだと思った。「自分の中の“何か”がここ(この丘)だと感じた」。「おしまい」と全方向に向かって言い、コーラ飲んだらすっきりして、5400kmの走り旅のことは全て過去になってしまったそうだ。結びの言葉は、「これからも知らんことをやっていきたい」だった。きっとこれからも、とりまく“枠”をがしがし外してゆく坪井さんなのだ。(中島菊代 別称:屋久島病のねこ)

〜参加者紹介〜

●江本さんにより、参加者紹介。ウエストポーチの中味に注目が集まってしょうがなかった久島弘さん、熊野古道のスペシャリスト小森茂之さん、第263回報告者で、新聞記者の田端桂子さん、第296回報告者の鰐渕渉さん(名古屋から原付で参上)、雲南の少数民族に関わる北川文夫さん、坪井さんをモデルにしたマンガを描いた内田健敬さん、『サラリーマンでも細切れなら出来る自転車世界一周』などをデータ持参で紹介してくださった埜口保男さんと、地平線らしく、多彩な顔ぶれがひとことずつ挨拶をした。なかじまねこも、本を紹介してもらった。最後にAirPhotographerの多胡光純さんが、感嘆を呼ぶ写真と熱のある語りで、その場を締めてくれた。(事情により来られなかった永瀬忠志さん(祝・植村直己冒険賞受賞!)からは、メッセージをいただいた。)

〜オークション〜

●紹介の時間が盛りだくさんとなり、終了約15分前、おまちかねオークションの開始。ここはさすが手慣れた競り人により、テンポ良く次々と展開された。補佐として物品の整理や付箋つけ及び記録をした稲見・谷脇ペアの功績も大きい(あ、競り人は江本さん)。時間切れで出せなかったものは二次会に送った。 以下、リストより。 

●ロシアの民芸品 マトリョーシカ(江川さんより)/日付入り4冊署名本(賀曽利さん)/至福の時セット:さくらもちと台湾のウーロン茶(稲見さん)/ひぐまの缶詰とタオル、モンゴルカシミヤ手袋、宮古島のパイン糖・黒糖・泡盛、宮古島ウルトラ遠足Tシャツ、ミャンマーのかばんとベルト、エゾ鹿の缶詰と北海道の絵ハガキ、ニュージーランド ひつじの人形、モンゴル らくだの人形(江本さん)/フェアトレード ルームシューズ、海人Tシャツ、屋久杉のお箸とさんごの箸おき&二宮さんからの益救神社お守り札、ガマの油、屋久杉チップ(ねこ)/ナシ族衣装とモンゴルのストール(北川さん)/Tシャツ(シェルパ斉藤さん)/ブランジェリ・タケウチのパン(岸本さん)/タイのマンゴスティン石鹸:美肌効果あり(久島さん)/リカちゃん人形 人力車バージョン(坪井さん)/特製グリューワイン、オリジナル写真立て、ゼブラウッドのカレンダー(あるみさん)、モンゴル ゴビ砂漠の砂と野焼きの香瓶+盃(鰐渕さん)、沖縄限定roxyTシャツ(藤田さん)、フェアトレード チョコレート(谷脇さん)

●そんなこんなで、地平線会議大阪報告会は、盛況のうちに幕を閉じることが出来た。来てくださった皆さん、見守ってくださった方々、ありがとうございました!(中島菊代)

 スタッフ:岸本佳則(実行委員長)、北川文夫(from岡山、ビデオ撮影ならびにヨドバシカメラでゲットしたカメラで撮影)、多胡光純(from埼玉、写真撮影・他なんでも)、岸本実千代(受付・会計・司令塔?)、藤田光明(from岡山・受付はまかせろ)、村松直美(資料・声援)、稲見亜矢子(オークションはおまかせ)、谷脇百恵(オークションはばっちり)、中島菊代(資料・記録) 江本嘉伸(from東京、一部進行・オークション)

<大阪報告会に駆けつけた参加者たちの声から>

[東京の人たち、羨ましいぞ!]

 地平線会議大阪報告会、無事終わりました。カレーを食べながらの事前打ち合わせから夜中のカラオケ大会まで楽しい一日でした。天気も良かったし、報告ももちろん良かったし、オークションも面白かったし…。 大阪報告会名物の「豪華資料」も好評でした。2次会でもたくさんの人たちと交流できました。また、少しでもいい報告会にしようと、多くの人がお手伝いを申し出てくれ、みんなが色々準備したり、協力して、楽しく参加できる会になったのが良かったですね。

◆今回、大阪での報告会に参加してみて、やっぱり、ナマの報告会は良いなあと思いました。報告者の表情や言葉のニュアンスを、実際に目で見て、耳で聴くことで、活字では伝えきれないその人の体験してきたことへの思いが伝わるような気がします。なんだかちょっとした疑似体験のような感覚かな?きっと、毎月、通信では伝えきれないような面白い話がいっぱいあるのでしょうね。

◆大阪では地平線会議報告会はまだまだ特別なイベントですが、東京にいると、毎月いろんな体験話が聴けるのですよね。地方の人間からするとかなりうらやましいです。改めて、もっと報告会に参加したいなあと思いました。できれば、通信の発送作業や報告会の準備の段階から参加して楽しく交流したいですね。機会があれば出没しますので、そのときはよろしくね。(岸本実千代)

[地方での地平線の素晴らしさ]

 今回2006年2月の大阪報告会も岸本さんが実行委員長を務めてくださった。西日本での地平線報告会は、阪神大震災から約1年半後の1996年8月に神戸三ノ宮、神戸市青少年会館で開催された。これは、地平線報告会が東京以外でおこなわれた初めての報告会でもあった。 呼びかけ人は、今回と同じ岸本さん。当時岸本さんも神戸に住んでいたこともあり、震災後の復興をどのように考えていくかということもテーマとなった。第一部:震災体験から学ぶもの、第二部:極限を日常として暮らした2人、という構成で行なわれ、思い出深い集会となった。

◆このときに、東京以外で報告会を開催したことで、その後の地方開催に弾みがついていく。○1999年7月兵庫県日高町、植村直己冒険館/地平線写真展○2000年1月山形県出羽庄内、つるおかユースホステル○2000年9月福島県伊南村○2003年3月高知県中村市、四万十川河川敷/エコライフフェア○2004年6月大阪、東淀川勤労者センター

◆私は、この中の西日本開催の報告会に参加したが、どれも内容の濃い、そして、参加者同士の交流も楽しめた集会だった。実は、今回(2006年2月)の報告会の準備スタッフと、報告者の2人ともが、2004年の大阪集会にも参加していた。今回の北米横断ランを報告した坪井伸吾さんは、2004年の報告会の前日に「しまなみ海道100キロマラソン」を江本さんとともに走っていた。今回の報告でも語られていたが、この100キロランで長距離も挑戦しがいがあると悟ったという。もう一人の、前田歩未さんは、ドイツで木のおもちゃ作りを学んで、ドイツ人の人生観も学んできたという報告であった。どちらも、本当に面白い報告だった。

◆直接行動者から話が聞けることのすばらしさは、一度でも体験しないとわからない。大阪で報告会を開催してくれたことへの感謝を申し上げるとともに、開催するときは少しでも手助けできるようにしたいと、改めて深く心に刻むものがあった。(北川文夫)

[スクーターで5時間!]

 こんにちは、江本さん。先日はどうもありがとうございました。さて今回の大阪報告会、開催すると聞いてからとても楽しみにしていたのです。今までの東京に参加出来なかった分、気合を入れるためにも、今回は名古屋からスクーターで参上!下道走破で220Km、予定通りの5時間で会場へと到着できました。今回の報告者は2名。前田歩未さんは木のおもちゃ作りを通じて夢を求めつづけている、とても可愛らしい、でもとても強い意思を持った女性。冒険とは違う中にも共感できる多くのモノを感じました。

続いては坪井伸吾さんの報告。僕なんか足元にも及ばないくらい、数多くのバイタリティー溢れる体験を元にしたその報告にスルスル〜と引き込まれてしまうと同時に、僕の中で燻っている夢を再燃させるかのような、アツイ風が次々と吹きつけて、最後までその『坪井ワールド』にはまりっぱなしでした。

久しぶりの報告会、いつ行っても会場の『熱い』雰囲気は健在ですね。僕にとっても次の行動を暖め、そして揺り動かすためへの大きな力となります。次は何をやろうかな?報告会を聞きながらそんなことを考えるのも、とても楽しいです。

最後は恒例のオークション。僕はカミさんのために、暖かな毛糸の室内靴をゲット!僕の出品した『ゴビ砂漠の砂と野焼きの香瓶+杯』も、無事希望者の手に渡っていきました。これまた恒例の2次会も、いろんな方とお話できてよかったですよ。次回はいつ参加出来るかまだ未定ですが、行けない時でも行った気分になる地平線通信を読んで、会場の『熱い』雰囲気を自宅で感じ取りながら、僕の新たなる糧にしていきます。(鰐渕渉)

[職人ってかっこいい!]

 江本さま 先日はありがとうございました。久しぶりに楽しい休日を過ごせました。同年代の前田さん、一つのことに情熱をかけ続ける情熱、うらやましく思いました。記者は、気持ちがかなりあちこちに分散してしまうので、何だか実は…あんまり達成感がないのが事実です。前に進んでいるという感じもしないですしね(笑)

◆前田さんはすでに自分の王国(お店)も持っていますしね。すごいです。職人ってかっこいいですよね。女性の職人さん、すごく応援したいです。職人というと封建的で、堅物の男性的イメージがありますが、前田さんのようなしなやかで、感性豊かな女性がいるというのを広く知られるといいですね。勇気づけられる人、多いと思います。妊娠中の友人がいるので、おもちゃを一つ求めました。木のおもちゃ、いいですね。

◆坪井さんは大学探検部の先輩(=今は講談社にいます)に顔がそっくりで驚きました(笑)妙に親近感がありました。やっていることの過酷さの裏に、軽妙で純粋な動機があった=やってみないと分からない、できないものができたときの感動が好き、というような=のがとても新鮮でした。見ていて楽しいのも、他人との差別化を計るマッチョ精神ではなく、本当に好奇心のままに動いていく軽やかな子どものような精神を感じられるからではないかなと思いました。また、報告会、行きたいです。(田端桂子 共同通信記者) 


<スタッフたちからの一言集>

◆歩未さんも坪井さんもとても良い内容の報告でしたね。それぞれのご両親が来られていたのも大阪で報告会を開いた良い成果だったと思います。なかなか自分の親に何をしてきたか、その時何を考えていたかなど話す機会はないでしょうから、お互いに良い場だったのではないでしょうか。(岸本佳則)

◆あるみさん、坪井さんの報告とも面白かったです。自分自身は何やってるんだろ?と思いながら聞いていました。当日25日は23:00過ぎに帰宅して、翌朝から法事でバタバタしていました。甥や姪も来ていたので、「あ、あるみさんのオモチャを買っておけばよかった」と後悔しています。 (^^;)(藤田光明)

◆いろんなことに恵まれた1日でしたね。オークションの品物につける「地平線会議・大阪報告会」の付箋、本当は前の白い部分にコメントを書いてもらおうと思ってたんです。時間的に無理がありました。自分も書けなかったのに、藤田さん、書いて頂いてありがとうございました。補佐の腕をもう少し磨かないと。また、こういう機会がありましたらよろしくお願いします。(稲見亜矢子)

◆オークション、記録係なのに、物凄く楽しんでました。ayaさんが作ってくださった付箋、記録するのに、とても助かりました。あー、ほんとに楽しい一日でした。(谷脇百恵)

◆みなさ〜ん、報告会おつかれさまでした。大成功おめでとうございます☆(当日大阪の方には参加できませんでしたが) 初めて普通?の東京地平線を体験できて念願叶った感じでした…シェルパ斉藤さんのお話、かなりよかったです。途中、うるっとくるとことかもありました。もっともっといろんな話しがききたい…そう想いました。二次会で坪井さんと隣の席になれて写真とかをいっぱい見せてもらえたので、なんか先取りって感じでちょっと嬉しかったです。あのレアなリカちゃん人形(オークションリスト参照)は誰の手に。気になるとこです…。次回また是非やりましょ〜 大阪地平線。(24日の報告会に参加した村松直美)

◆写真を整理しながら思ったこと。それは、たくさんの人が関わり報告会は成り立っているのだということでした。僕が報告会当日に、地平線力だと思ったことのいくつかは、北川さんの予備プロジェクターの持ち込みだったり、オークションの品につける札の手配だったり、そのほかあげたらきりありませんが、さりげなく言わずもがなで展開される配慮に地平線力を感じずにはいられませんでした。(多胡光純)


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