2005年3月の地平線報告会レポート



●地平線通信305より
先月の報告会から
極天の幸(さち)
関野吉晴
2005. 3. 25(水) 牛込箪笥地域センター

1秒を惜しむように会場の明かりがばばばと消え、スライドが映す世界地図をなぞり話し始めた関野さんは、なんだかとても先生らしい。10年間に及んだグレートジャーニーの旅を終え、現在「われわれはどこから来たのか?」自分の足元により近い日本人のルーツを辿る旅=グレートジャーニージャパンの真っ只中にいる。

◆考古学、自然人類学、遺伝学の最近の研究成果によると、日本列島に先祖たちが集まってきた過程は、3つの主要ルートに分類できるという。1。北ルート→シベリアからサハリン経由で北海道へ。2。南ルート→ヒマラヤ南からメコン川沿いに南下、スンダランドに出て次第に北上し日本列島へ(航海術を得て黒潮に乗って来たという説が有力だが、関野さんは「徒歩」の可能性も示唆する)。3。大陸ルート→中国大陸から直接、あるいは朝鮮半島経由で日本列島へ。

◆最初に関野さんが旅をしたのは北ルート。二つの理由があった。「(DNA塩基配列を比較することで判明した一部の日本人のルーツである)バイカル湖付近にいるブリヤートの人達に会いたかったこと。それと、モンゴルで出会った少女に再会するため」

◆ビデオ映像が、6年前のモンゴル遊牧民の少女との偶然の出会いをうつしだした。夢中でカメラのシャッターを切る関野さんが家畜の行く手を遮ったため、少女に叱られている。「あっちに行って!仕事の邪魔をしないで」。怒りを精一杯表現し、媚びた態度を見せない少女の名はプージェ。厳しい冬を迎えた草原で、盗まれた馬を探しに出たきりのお母さんを待ちながら、少女は一家の生活を必死に守っていた。

◆3ヵ月後、関野さんはモンゴルを再訪。なんとプージェのお母さんが亡くなっていた。買い物に出かけた旧正月の街で、転倒した馬にお腹を蹴られ内出血したのが致命傷となる。我慢し続けたお母さんがやっと病院へ行った時、保険証を持っていないことが原因で診察拒否をされてしまう。その場できちんと止血していれば助かったはずの怪我は、そのまま手遅れとなった。「平等な」社会主義はもう過去の時代のこと、市場経済にシフトした今、お金と保険証がないと医者にはかかれない。

◆プージェはその後、学校へ通うため街の親戚の家で暮らし始める。将来の夢は日本語の通訳になること。成績優秀だった彼女だが、昨年モンゴルへ旅立つ前の事前リサーチで、関野さんは衝撃の事実を知る。学校の帰り道、いつものようにヒッチハイクをしようと3台の車を見過ごし車道に出たプージェを、4台目の車が無残にも跳ね飛ばしたのだった。悲痛な旅のスタートだった。12歳になったプージェは遺影の中の人に。少しふくよかになり、おさげ髪をばっさり短く切った彼女は、額縁の中から独特の目つきで凛と何かを見据える。人の生命力はしたたかでしぶとい、と思うこともあれば、矛盾するが人は本当にあっけなく死んでしまうとも思う。生きていることは当たり前じゃなく、奇跡に満ちたとっても凄いことだよと、小さくて大きなプージェが残された私たちに教えてくれているようだ。

◆モンゴルを北上して出会った、アムール川流域に暮らすブリヤートの大家族は新しい生命を授かったばかり。ここでは赤ちゃんが生まれると母親は一か月間子育てに集中し、父親が全ての家事を行うという素敵な(!)しきたりがある。名づけの儀式に飛び入り参加した関野さんは、親戚一同に混じって「バトザヤ(=運命)」という名を投票するが、抽選の結果ははずれ。。。

◆昨年11月、東京で地平線300回記念集会が盛り上がっていたまさにその瞬間、関野さんはシベリアのサハ共和国、人が住む場所としては世界一寒いといわれる北極圏のベルホヤンスク山脈でトナカイ飼育民エヴェン族と生活を共にしていた。「トナカイがいなかったら人類のシベリア進出はなかったのではないか?トナカイはすごい」と関野さん。ソリをひき、荷物を載せてスノーモービルがお手上げの岩山を登り、高カロリーな食料として人の生命を支え、その毛皮は交易で換金できる。シベリアに暮らす20〜30の民族のうちほとんどがトナカイと密接にかかわりながら生きている。

◆突然会場を華やかに彩ったのは、魅惑的なオーロラのスライドの連続。まぶしく光るグリーン、イエロー、ピンク、紫、あまりの鮮やかさに会場から「はああ…」とため息がもれる。「一本の筋ではなく、全天にわたって天の川みたいに出てきて…」と解説する関野さん。ピンクと紫が放射線状に広がり絶妙に艶やかなオーロラは、気まぐれに現れては地上を包み込むように踊りだす、天然の花火。

◆ヤクート族の狩猟方式は日本のマタギにも見られる巻き狩り。野生羊などを追い詰めて山の反対側へ走らせ、それを待ち構える別の仲間たちが捕らえる。皆で狩った獲物はトナカイの背に乗せて運び、肉は煮て食べる。「スープに旨みが溶けて、おじやが最高」ふふふ、と無邪気に笑う関野さん。窓の外は−30度、家の中は…+40度!夕暮れ時に家々の煙突からぼうっと立ちのぼる白い煙をとらえた一枚のスライドに、寒い国の温かい家庭の団欒を想像してほっとした。

◆「…あっという間に9時です」と告げる江本さんの声に、はっとする。随分遠い旅から戻ってきたような、一瞬目まいのする感覚。江本さんからは「49年生まれでしょう?そろそろ辛くないですか?」という質問が。「シベリア付近で肩を痛めて、針や灸と色々な治療を試したんです」とわくわく感いっぱいに説明する関野さんは、自らの治療さえも未知への好奇心で挑んでしまうのだろうか。「ゆっくりやりましょうね。地平線はどのように人が老いていくかという実験場でもあります」と江本さん。うーん、関野さんはもちろん言うまでもなく、地平線には前後左右どこを見回しても、いつかのどこかで時がぴたっと止まってしまったかのようなきらきらチャーミングな方ばかり。だから私は榎町地域センターに来るたびに「やあ!」と宝石箱にもぐりこんでいくような気持ちになるのだ。[大西夏奈子 関野さんの高校の30年後輩]


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