2005年1月の地平線報告会レポート



●地平線通信303より
先月の報告会から
チベットの言霊(ことだま)
中村吉広
2005.1.28(金) 新宿区榎町地域センター

◆冒頭、報告者・中村さんを紹介する江本さんはやや困惑気味に見えた。その人物像をいったいどんな言葉で手短に伝えるのか? 中村さんとのつきあいが20年近くなる僕はちょっと楽しみにしていた。「プロフィールを書いて」と依頼したらA4にぎっしり6枚分の“履歴書”を送ってきた中村さんの“厚み”ある経歴のダイジェストだけで10分が経過。「江本さん、今日は長いね」というつぶやきが会場のどこかから聞こえる。

◆中村さんは1958年、福島県いわき生まれ。父親の転勤で長野県上田市に転居し、4歳にして“言葉”という壁を知った。新聞奨学生として東洋大学哲学科に在学中、欧州文化を理解するにはキリスト教、ユダヤ教を知らねばならないとの思いからイスラエルのキブツに入る。その後、英語とヘブライ語を修め、海外放浪を続けた。

◆帰国後はしばらく塾講師を続けた。何事も手を抜かずに取り組む熱血漢。深入りするあまり塾経営者になったこともある。塾講師時代に、代々木のパナリンガ学院で日本語教師初級免許を取得。しかし、まさかチベットで教えることになろうとは誰も予想しなかっただろう。きっかけは一連のオウム真理教事件だった。

◆チベット仏教の研究を進めるうちに、チャプチャ(中華人民共和国青海省共和県)の青海民族師範専科学校へ留学する道が開かれた。伝統的に「アムド」と呼ばれる草原地帯の小さな町にある、民族教育の拠点だ。チベット仏教の経典を読むために文字と文法を学びぶにはふさわしい。先生も文法学の権威だった。

◆チベット語文法を学ぶうちに、その元になったサンスクリット文法にまでさかのぼる。報告会では、サンスクリット語のアルファベットがチベット文字にきっちり対応していることを示す手作りの表が張り出された。驚いたのは、日本語のアカサタナの順番が、サンスクリット語のアルファベットの順番と同じということだ。なぜこんな面白いことを学校で教えてくれなかったのだろう?

◆学生だったはずが、拝み倒される形で同じ学校の日本語クラスを引き受けることになった中村さんは熱血教師ぶりを発揮。生徒たちの日常語であるアムド語(チベット語の方言のひとつ)で、しかも会話ではなく文法にこだわって日本語を教えた。日本語とチベット語が非常に近いことをすでに知っていたからだ。それまでチベット人たちは、中国語を通して日本語を学んでいた。日本人に置き換えれば、韓国語を英語を通して学ぶのと同じくらいナンセンス。日本語・韓国語・チベット語は、単語を“てにをは”でつなぐ膠着語と呼ばれる言語で、英語や中国語とはまったく違うのだ。

◆チャプチャでの授業風景のビデオは圧巻だった。生まれて初めて日本の文字を見た生徒たちが1時間後には五十音表を読んでいる。まるで中村さんの催眠術にかかっているかのようだ。チベット語の母音はアイウエオの5つで、数も順番も日本語と同じ。アカサタナハマヤラワとアイウエオを組み合わせれば五十音が言える。チベット人だからこそ簡単なのだ。

◆3カ月後には、さだまさしの「防人の詩」の聞き取りをこなし、さらに3カ月後には、選抜された生徒たちが翻訳に着手する。ビデオの中では夏目漱石の『坊っちゃん』の翻訳が進む。中村さんはまず黒板に日本文を書き、“てにをは”を丸で囲む。チベット語と日本語の語順はほぼ同じだから、単語を置き換えて行けば翻訳が完成する。チベットには無い“汽船”をどう訳すのか? といった議論を交えながら、恐るべきスピードで翻訳は進んでいく。

◆日本語が下手な生徒は、チベット語文法が理解できていない。逆に、チベット語をしっかりマスターすれば、日本語はすぐ上達する。この事実は、中国において劣等民族視されがちなチベット人にとって、自らの文化に誇りをもつきっかけになるはずだ。中村さんは、しばしばチベット人相手にチベット語の文法を説いた。それが日本語理解への近道だからだ。報告会にはアムド出身のチベット人が来ていた。日本に来てから日本語を学び、チベット語との近さに気づいたという。確かに彼のメールの“てにをは”は、しっかりしている。アムド語がわかるから、日本人の倍はビデオを楽しんだことだろう。うらやましい。

◆しかし! 残念ながら、チベット語で日本語を教える試みも、文法を重視する教え方も受け継ぐ者がいない。チャプチャの日本語クラスは今年消滅してしまった。アムドの草原に燃え上がった日本語熱を受け継ぐ者は現れないのだろうか?

◆チベットの未来も心配だが、日本の国語教育のお粗末さも深刻な問題だ。何かを学ぶ道具となる国語力が低下しては、その国の未来は真っ暗である。それでいて、幼稚園児に英語を喋らせたりする始末。日本から朝鮮半島、満州、モンゴル、チベットと連なる“膠着語回廊”は、はるか西、トルコまでつながっている。「日本語と兄弟関係にある韓国語やトルコ語を勉強して自信をつけておいてから、必要に応じて英語や中国語をやればいい」と中村さんは言う。

◆やや遅咲きの知の巨匠・中村吉宏のデビュー戦、今回はコトバという切り口で語ってもらった。しかし、それは中村さんがもつ引き出しのごく一部にすぎない。20年間、あることないこと聞かされてきた僕だが、いまだに「あ、その話まだ聞いてない」というネタが出てくる。どこかで“続き”が聞ける日が楽しみだ。[長田幸康]


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