●地平線通信291より
先月の報告会から(報告会レポート・293)
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海抜八千米の水づくり
村口徳行
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2004.1.30(金) 新宿榎町地域センター
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元旦の朝、日経新聞に大きく掲載された写真に目を奪われた。カラフルな羽毛服に身を包んだ登山者たちの背後に、世界第4位の高峰・ローツェの鋭利な稜線が撮影者の目線より下にある。その奥には、ひときわ美しいマカルーのシルエット。撮影者の名はないが、日本でこんな写真が撮れるのは村口徳行さんしかいない。「デス・ゾーン」と呼ばれる超高所で先回りをして、すばらしい構図で仲間たちの姿をとらえている。
◆私たちが目にするヒマラヤ山中の映像のほとんどが、村口さんの手によるものである。ドキュメンタリーだから当然主人公は別にいるのだが、私は“あの場所”で重い機材を抱えて主役を輝かせる存在が気になって仕方がなかった。
◆はたして、実際の村口さんはとても誠実で、奥ゆかしい方だった。報告前にご挨拶したところ、「一生懸命話させてもらいます」と丁寧におっしゃったのが印象的だ。
◆台上には、昨年プロスキーヤーの三浦雄一郎さんと一緒にアタックした時の装備が並べられている。なんといっても目を引くのは、三脚付きのデジタルハイビジョンカメラと3種類のスチールカメラ。防寒のためか、ところどころに銀マットが貼られている。これらを常にザックの中に入れて持ち歩き、撮影の度に取り出すというのだ。夜には機能低下を防ぐために、カメラやバッテリーを自分の身体に仕込んで寝る。また壁には、びっしりと書き込まれた登高表や荷揚げ表が何枚も張られていた。
◆報告会は、前半が三浦隊のVTRとスライドを交えて、高所とはどんなところか、どうやったら70歳でエベレストを登ることができるのかというお話が中心となり、後半は87年にチョモランマの6600m付近で発見されたユキヒョウと、89年のマナスル上空を越えるアネハヅルの映像が披露された(これは声を上げてしまうほどの極上品)。そこで、終始冷静な語り口調の村口さんの声にちょっぴり熱がこもった部分について、私なりの順位をつけてご紹介したい。
◆【第5位 村口さんのクライミング哲学】「次の次の次を考えて行動するのが僕のスタイル。さらに、判断を間違えた時にどう修正できるかまで考えておく」「中高年には中高年に、若者には若者にふさわしい登り方がある。若い人に70歳と同じ登り方はしてほしくない」
◆【第4位 エベレスト挑戦の資格】三浦さんは5年かけて地道なトレーニングを積み、エベレストは5000m、6000m、7000mと段階を経たうえでの挑戦であった。村口さんはこのような人が登る資格のある人間だと考えている。ちなみに、三浦隊は8000mで2泊、8400mで2泊という、高所を知るものなら誰もがぶっ飛ぶようなことをやってのけた。意欲の低下も高山病の一種であるにもかかわらずだ。「三浦さんが少しでも弱気な面を見せたら降りようと考えていたが、それは微塵も感じられなかった」
◆【第3位 登山家を山に駆り立てるもの】は?というなかなか答えにくい質問に、山登りは自分の能力を確かめる行為であり、自分と向き合えるところが大きな魅力の一つと即答。「誰でも、自分にどれだけのことができるんだろう?という内面に対する興味を持っているのではないか」
◆【第2位 タクティクスの重要性】村口さんは、半年前に三浦さんの性格から歩き方までよーく観察して、休養と酸素の有効利用に重点をおいたタクティクスを組んだ。7300mまで無酸素で馴化し、4000mで4〜5日ゆっくりした後、7日かけて登頂する作戦に出たが、天候が安定せず、登頂まで12日間という前代未聞の記録を作ることに。「人の可能性は限りない。最後は、“ここに登りたい”という本人の意志がなによりも重要」
◆【第1位 豪太さんのギャグ】最終キャンプでは、村口さんも葛藤を抱えていた。なによりもまず、生存を優先させなければならない。次に考えるのが登頂することであり、撮影はどうしてもその次になってしまう。食糧も尽きた。そんな時に助けられたのが、三浦さんの息子さんである豪太さんのバカバカしいギャグだった。そのうえ、鍋はひっくり返すは、酸素ボンベのレギュレーターは壊すは。村口さんにとってはそれがいい刺激になり、気持ちに余裕が生まれたというが、鍋をひっくり返されてリラックスする村口さんもかなりの大物である。
【おまけ】報告会の最後に長女の恵美里さん、長男の雄大(ゆうた)さん、次男の豪太さんの三浦ファミリーが登場。期待に違わず、豪太さんは一発ギャグをかましてくれたが、村口さんが頂上から「原田知世のファンクラブに入りたい!」と叫んだ事を暴露するのも忘れなかった。(大久保由美子)
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