●地平線通信288より
先月の報告会から(報告会レポート・290)
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縄文山男ヒダカ自給山行
服部文祥
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2003.10.24(金) 新宿榎町地域センター
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◆少年時代、昆虫やザリガニ捕りに夢中だった服部文祥。彼の探求心や自然眼は、そうした日々のたわいもない遊びの中で培われていった。
◆山の世界は東京都立大のワンダーフォーゲル部から始まった。「ワンゲルでは、ずっとヤブばっかりこいでました」しかし山のピークにも憧れ北アルプス槍ヶ岳へ。北鎌尾根はいつしか雪に包まれていた。「無謀な山行だった」が、未知の体験は少しずつ彼を山の深遠な世界へと導いていった。そして知床全山をスキーで単独縦走するまでに至る。「大雪で21日間のうち動けたのはたった8日間。後にも先にも、この知床が一番しんどかった」
◆大学卒業を前に岐路に立つ。山の世界で極限を目指せばそれはいつか“死”を意味する、と考えた彼は、山のプロを目指すのではなく山への想いを表現する道を選ぶ。中小出版社に就職が決まり、一人旅に出た。「自分の力だけで旅したかった」現地で中古の自転車を30ドルで購入しインドを縦断。大手の就職に失敗したという敗北感の中で自転車のペダルを漕いだ。そしてカオスの風景の中で、地べたに這いつくばりながら生きている人々の姿を目にする。「ああ、人間どんな風にでも生きていけるんだ・・・」
◆卒業後は仕事の傍ら日本各地でフリーソロ(注:登攀具を利用しての単独行)登山を続ける。あるとき日本山岳会から「参加費90万円でK2に登らないか」と誘いを受けた。総勢18名の登山隊はK2を目指してキャラバンを開始。しかし、その登山とは・・・大荷物を背負ったポーターの日当は400円足らず。膨大な物資を大名行列のようにベースキャンプまで運び上げる。ピークアタックは山肌に安全な“道”を造りキャンプを前進させる旧態依然とした極地法。近代装備を駆使し登頂を果たした服部の心には「これが登山と呼べるのか?こんな登山に意味はあるのか?」そんな想いだけが残った。
◆「自分の力だけで自由に登りたい」新たな手法にチャレンジしていく中で、フリークライミング(登攀具に頼らず自分の手足だけによる登山)とスキーのフリーライディング(自由なルートを滑るスキー)に“自力”と“自由”を見つけた。その思想を発展させ、“食”までを自然に委ねるスタイルに昇華したのが服部流サバイバル登山である。
◆2003年8月、約1ヶ月の北海道・日高全山縦走(2000m級の峰が連なる全長150kmの山脈)に単独で挑んだ。食料は米10kgとナッツ類1kg、飴玉に調味料のみ。他は釣り竿と食用植物の知識だけが頼りだった。沢筋を行きながらイワナを釣り、食用になる山野草を探した。全行程、焚き火のカマドが調理場だった。余ったイワナは保存食用に焼き枯らし(薫製)にした。そんな食事にも飽きはじめていた時、地質調査の人々と偶然出くわす。「彼らは日帰りなのに、ものすごい食料を持ってた」このときばかりは人を襲うヒグマの気持ちが良く分かったという。1個だけもらったアンパンが胃に浸みた。
◆順調に出発したものの、早くも4日目にして疲労が蓄積していく。「ザックをおろしても十数歩あるくともうヘトヘトの状態」だった、そんな時、北海道を直撃したあの台風10号にもろに出くわした。岩場のキャンプサイトを捨てて崖を攀じ、ブッシュ帯に逃げた服部の眼下で、大増水し激流と化した沢を、ごろんごろん大岩が音を立てて流れ、木々がなぎ倒されてゆく。突風、轟音・・一歩も動けない、まさに恐怖の3日間だった。なんとか再出発した彼は、途中で出会った登山者に携帯電話を借りる。「生きてるよ!」(服部)「生きてたの・・・」(妻)たったそれだけの無事の知らせだった。
◆沢筋を下っていたとき、猛烈な腐臭を放つエゾシカの死骸に遭遇した。周囲にはいたるところにヒグマのフンが残っていた。「もう少し早くここを通っていたら、ヒグマと遭遇していたかも」と思うと身震いした。豊かな糧を与え彼の命を支えてくれる自然はまた一方で、いつでも命を奪い去る危険も同時に秘めていた。
◆23日目、様々な苦境を乗り越えた末に山を降りた。翌早朝、すでに秋風の吹く中、最終地点の襟裳岬に立っていた。広い太平洋が眼前にあった。その先に家族の姿を見つめていた。横浜の自宅へ帰ると、窓を開けた六畳間に妻と2人の幼い息子が昼寝をしていた。
◆僕がカナダ極北の森で出会った先住民の老人は「斧とヒモとマッチさえあれば生きていける」と言っていた。その森の達人の姿に、まるで文明の垢を落とすかのように山に通い続ける服部文祥の姿が重なった。そして最後に彼は夢を語った。「できれば年に10ヶ月は山にいられるような暮らしがしたい・・・」expedition (遠征) からlife (暮らし) へ。そんな生活を目指して、目下妻子を説得中だとか。(田中勝之 9月「希望砦の森から」報告者)
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