●地平線通信287より
先月の報告会から(報告会レポート・289)
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希望砦の森から〜2人と1匹の北極圏〜
田中勝之+菊地千恵+ラフカイ
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2003.9.26(金) 新宿榎町地域センター
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◆「久しぶりに都心に出てきたら、いろいろな情報が一気に入ってきて、エライ人にも会って頭が真っ白になってしまった」。陣場山の麓に小屋を借りて住んでいる田中さんはそう、何度も頭を掻きながら語りはじめた。
◆針葉樹の森とそこに暮す人々に憧れた。獨協大探険部に在籍していた91年、当時まだ自由に旅できなかったシベリア・レナ川の代わりとしてマッケンジー川に出会った。が、手探りのまま独りイカダを浮べ、シングルパドルで漕ぎ出すと、10kmも進まずに敢え無く沈んでしまう。「巨大な自然のプレッシャーに負けていた。精神的にも未熟だった」。
◆大学6年生になった94年に、探検部の後輩をひき込んでのリベンジ。寝食も排泄も全てここで、男2女2のイカダ暮らし。Fort Providenceからおよそ半分の行程であるTulitaまで700kmを1週間無寄港で下った。ひたすら下った。この船上生活を田中さんは、学生時代に住んでいた和室6畳のアパート暮らしと同じだった、と述懐する。ご飯をつくってTVを見て眠るだけだった、風呂なし・トイレ共同で1万9千円の自分だけの繭。できあいの食料を持ち込み、イカダを自分たちの殻とすると、岸辺の村々の暮らしはただ大きな風景として流れていくばかりだ。流れ、流され、通り過ぎる旅人としての自分たちと、土地に根を下ろして生きる人々との隔たりを詰める術を知らない。食料係のずさんな計算のおかげで食べ物が底を尽いた一週間め、はじめて岸に上がった。ここからが本当の旅のはじまりだった。
◆「土地にあるものと接触し、地べたに上がって暮してみたら、極北の地がぐっと近くなった」。薪をとったり、熊におびえたりというほんのささいなことが、またシンプルに暮す人々とのちょっとした出会いが胸に焼き付いて離れない。
◆それからの3年間は、極北の地に想いを残しながらも、都心の作家の事務所で忙しい毎日を送るばかりだった。学生時代よりはいい暮らしをしている、自分で記事も書いている、しかし―。「ここで出なければ北への想いはなくなってしまう」。明治初期にGood Hopeに渡り、土地の女性と結婚してそこで生涯を終えた日本人の足跡を追ってみよう。“もしかしたら有名になってガッポリ稼げるかも?”という甘い幻想のイカダから思い切って飛び降りた。
◆だが、村の生活は田中さんの魂には訴えかけてこなかった。2×4の家にはアメリカの衛星放送が入り、子供たちは任天堂のゲーム機で遊ぶ。日本と変わらぬ生活をしているではないか。
◆余談だが、先日、重さんもオススメの映画『氷海の伝説』を見て、そのエンドロールに大ウケしてしまった。ついさっきまで原始的な生活をしていたイヌイットの役者が長髪を後ろに束ね、皮ジャンを着て、ヘッドホンをしているノリノリの様子でちらりと登場するのだ。例えばGood Hopeの村でも、かなりの年配の方を除いてはほとんどの者が英語を話す。学校の授業も英語で行われるし、先住民の言葉は日常生活の中からどんどん失われていく…。それが現実なのだろうし、そのことに異論を唱えたいのではない。ただ、意気込んで出かけていった青年にとってはいささか拍子抜けする事実であろうことにもまた、ひどく納得する。
◆一方、94年のイカダに相乗りした千恵さんは2000年、村からは少し河口に下った流域のfish campを訪ねた。キャンバス・テントを張ってトウヒの枝を敷き詰めて寝床とし、魚を獲って暮らしている老夫婦である。それまでも牧場で働いたり、ラフティングのツアーガイドなどをしてきたという彼女ではあるが、基本的に日本で育ってきた女性が森の生活に入っていくというのは実際のところ何かと不都合も多かったのではないだろうか。
◆「物足りない感じがしないんですね」。水が必要ならまわりにたくさんある。薪もやはりいくらでもある。なによりも、肉体を使うことの充実感や、自分たちの食べる物は自分たちで得るという明確さが潔い。大自然におなかを満たされた。
◆面白いエピソードがある。ある日、森に熊の罠を仕掛けた。それも、横たえた枝にロープの輪を吊る下げただけの、なんとも頼りなさげな罠である。風にでも飛ばされたか、数日後には影も形もなくなっていた。ところが、である。2週間も経ってから、首を締め上げられ、すさまじい異臭を放つ熊がキャンプ近くで発見されたのだ。そのとき千恵さんが命じられたのは、バラバラにした熊の死体を森のあちこちに置いてくること。腕を、足を、そして頭を、そのか細い体でえいこらせ、と言われるままに運びながらも不思議でならない。“なぜこんなことをするのだろう?”その答えは自然の摂理に則って生きてきたインディアンならではの哲学にあった。これを一つの大きな塊のままとせずに分散させることによって、動物の力関係の強弱に係らずこの肉をshareできるようになる。腐らせてしまったものは仕方ない。しかし、本来ならば食べるために命を奪っているのだから、その責任は全うすべきなのだ。千恵さんはここでの生活を通して命、死、食の循環という、知識としてあった流れが身体感覚として身についたという。
◆現在は奥高尾で節約生活をしている二人は、「何もないと(その分頭を働かせるから)生活が面白くなるんだよ」と笑う。持ちすぎる束縛から解放されているかのような二人にとって、東京での日々は極北の川に戻るためのモラトリアムとしてのイカダなのかもしれない。そこから景色の移ろいを眺め、時がきたらひょいと大地に足を下ろすのだろう。今度は二人と一匹の家族としてだ。
◆会場では、地平線会議が生まれた24年前にマッケンジーを下った獨協大探険部OBの河村安彦さんが密かに胸を熱くし、報告会終了後、参加者たちには、夫妻がマッケンジーから連れてきた愛犬、ラフカイと会場の外で対面するという、素晴らしい“おまけ”が待っていた。[貧乏社会人暮らし1年生、菊地由美子]
田中さん+千恵さん+ラフカイのウェブサイト:http://www.paddlenorth.com/
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