2003年8月の地平線報告会レポート



●地平線通信286より

先月の報告会から(報告会レポート・288)
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坪井伸吾
2003.8.25(月) 箪笥町区民センター

◆外回りの営業社員(よく日焼けしている)それが最初に受けた、折り目正しい雰囲気を醸し出す坪井氏の印象であった。いやいや彼はそんな模範的年金納付者とは対極的な生き方をしてきた人である。

◆まずは日本一周を皮切りに、五大陸の殆どをバイクで走破した。その必然の帰結として学生生活は追加延長措置甘受。延びたキャンパス生活においても勿論価値ある足跡を残している。大体、数ある部活の中から「これだ!」っと選んだのが「人力車友の会」なのだ。未知なるものへの挑戦、更にそれが並外れて困難であるほど圧縮好奇心で固まった彼の冒険心を捉えてしまうようだ。その極めつけが、人力車を曳いて東海道五十三次550キロの完走というわけだ。

◆いざ出発点日本橋に実行メンバー4人が集結した時にはテレビカメラが並んだという。ほぼ野宿でつないだ道程では、食事を提供し歓待してくれた人たち、人力車研究の指南役、萩市在住の中原省吾氏(千葉から福岡までひとりで人力車を引っ張った人)はじめ多くの出会いも忘れ難い(ついでながら、報告会には、かのインド・リキシャの鉄人、浅野哲哉氏も人力車と聞いては黙っておれんとばかりに駆けつけた)。

◆さて、ずらり並ぶ坪井氏の冒険の中から一つを挙げるとすれば、それは「アマゾン筏下り」だろう。準備として事前に行った11日間の断食で極限からの生還を確信し、個性的である事では引けを取らない古原氏、栗本氏を強力なメンバーに加えアマゾンに繰り出したのが30代を前にした1992年。

◆7メートル四方のすのこ状の上にテントを載せた形の筏。動力はといえば、人力による方向転換用のオールのみ。しかし総重量数100キロに及び簡易住居に匹敵する筏をオールだけで操縦する事自体不可能である事は出発と同時に思い知らされた。こうなれば、アマゾンと五分で渡り合うという愚かな発想は捨て、流れに運命を任せる浮遊物と化そう。釣り三昧、暇つぶしに考案したトランプ3名様用マージャン三昧、はたまた普通なら手にする事すらない「養豚」に関する書など読書三昧の日々。

◆坪井式ライフスタイルで重要な地位を占める釣りは大いに有効だったが、コツを掴みつつ獲得した魚たちは、グロテスク、色鮮やか、毒含み、凶暴、でっかい、などなど泥水から姿を現す度に旅の猛者たちを驚かせた。

◆一見プカプカのんびり無人島生活気取りの毎日も、筏が岸に乗り上げてしまえばビクともしない頑固者。そうかと思えば流れ如何で岸に角をゴツンゴツンと当てながら回転し、本体崩壊の危機にも。

◆状況を打破したのは、メンバーが買ったカヌーだった。アマゾンでは気軽な自転車感覚で子供でもカヌーを自在に操る。生活物資の調達始め、収入源の産物輸送、更には筏などへの訪問販売と、まさに“暮らしの足”だ。坪井さんたちも途中に町を見つけるとカヌーで食料を仕入れに出掛け、筏に追い着くという綱渡りの川渡り生活。

◆こう聴いてくると、大アマゾンをなめてかかりそうになるが、侮るべからず。筏なんて航行するタンカーから見れば(実際は見えないのだが)木の葉の如き存在で、衝突すれば、存在していなかった事になってしまうのだ。

◆旅も後半となり、徐々に海と見紛う、ぐるり水平線の中で毎晩の様に襲われた嵐には、心底疲れ果て、眠りから覚める度、命あることを実感したという。ついにツワモノ一名リタイヤー。連夜の嵐に加えつかみ所の無い河口の地形から、知らぬ間に大西洋に迷い出てしまうかもしれない恐怖。食料が尽きた事もあり、四ヶ月運命を共にしてきた筏を去ることを決め、最小限の荷物とともにカヌーへ。

◆しかし、これからがサバイバルの戦いなのだった。男二人と荷物の重みに耐えかねたカヌーは、沈んでしまったのである。カヌーの浮力を頼りにしがみつくこと数時間。偏食知らずのピラニアやカンジェロの餌になる立場から挽回し、何とか中洲に辿り着いた結果の今日の坪井氏だというのに、「なんか、ライン下りして来ました」みたいに語る所が心憎いじゃありませんか。[藤原和枝]


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