●地平線通信279より
先月の報告会から(報告会レポート・279)
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イマドキのチベット
長田幸康
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2003.1.28(火) 牛込箪笥区民センター
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◆チベットの専門家と言われる長田さん。本人曰く本業はライターで仕事に占めるチベットの割合はわずかとのことだが、自己紹介では5冊のチベットに関する著作が紹介された。地平線報告会ではチベットの辺境に関する報告はあったが、区都ラサに関する話はなかったという。この日は渡辺一枝さんを始め100人近い聴衆が集まった。
◆長田さんは'87年からチベットに行き始め、4年前からは夏の間ラサに滞在して観光客を案内している。'99年の中国の統計ではチベットを訪れた外国人旅行者は約11万人、その内日本人は1万人程度だ。実質は5千人とも言われ統計自体があやしいのだが、とにかく外国語としての日本語の需要は多くない。そんな中日本語を話せるチベット人ガイドが2人誕生した。通称「かずえ」と「やすお」。しかし語学力や勤勉さの点で漢人のガイドに引けを取るという。
◆'97年に「セブンイヤーズ・イン・チベット」が公開されてから、若い観光客が増えた。しかし「セブンイヤーズ」や「クンドゥン」は、長田さんに言わせればチベットらしくない映画だ。今年1月から上映中の「チベットの女」は、チベットで撮影されただけあって違和感が少ないらしい。それでも細かい部分はいろいろ気になるので、もう一度見てあら探しをしたいと笑っていた。長田さんの話を聞くのは初めてだが、わかりやすい語り口と謙虚な姿勢に好感を持った。
◆スライドは「チベットらしい」写真から始まった。放牧用の黒テント、丘の上のゴンパ、立ち並ぶ僧坊…。一見昔から変わらないように見えても寺院のほとんどは文革後の再建だし、僧坊は現代の事情に合わせて造り方が変わっている。そしてラサの写真。ピカピカのホテルに隠れてポタラ宮が小さく見える。車の往来が激しい道路や、何十棟も連なる箱型の集合住宅。ポタラ宮が写っている以外は中国の他の都市と変わらない。街路には椰子の木のイミテーションが立っている。黄色く塗られて夜になると光るらしい。この街の都市計画はどうなっているのかと長田さんは嘆くが、チベット人が自慢げにここへ案内してくれることもあるという。以前より派手な看板が目に付くのは、広告代理店が台頭しているから。ポタラ宮の前では中国国旗を掲揚して武装警察官のためのお祭り行事が開かれる。そういえば以前、ポタラ宮の階段で水着女性のコンテストをやっている写真を見て度肝を抜いたことがある。
◆このように急速に変わるチベットを見ていると、外国人として哀しい思いにかられることがある。中国はひどいと思う。しかし話はそう単純ではない。チベット人自身の問題もあるだろう。そして何より突き付けられるのは、僕たち自身の問題だ。今の日本は河口慧海が生きた頃と比べてどれくらい変わったのだろうか。日本人は自国の文化や伝統をどれだけ切り捨てて、新しいものに変えていっただろう。その自覚と反省なくしてチベットの変化を哀れむのは滑稽だ。長田さんの写真と話はそんなことを考えさせてくれる。
◆'92年に千人程度だった漢人のチベット旅行者は、'99年には34万人に膨れ上がった。沿海部の裕福な漢人は、日本人や欧米人より豪快に買い物をしてゆくという。そのため漢人が好む派手な土産物が増えている。チベットの商売人たちは、外国人より漢人を相手にし始めている。チベット自治区に滞在する漢人の人口は、チベット人の人口を上回るという統計さえある。漢語のチベットガイドブックが多数出回り、漢人の旅行者の中にはチベット文化を尊重する人も増えている。様々な意味で漢人のいないチベットは考えにくくなっている。
◆スライドの最後に河口慧海の修学塔と、西川一三のデプン寺僧坊が写されて第二部の対談へ続く。江本さんからチベットを目指した十人の説明があり、最近出版された「チベットと日本の百年」の話しが入る。この本は長田・田中夫妻がレイアウト・装丁まで手掛けた2人の作品でもあるのだ。第二部は時間が30分しかなかったため、十分なやり取りを聞けなかったのが残念だった。また全体を通してチベット初心者を対象にしていたので、ディープな話を期待していた人はもっと聞きたいという感想を持ったかも知れない。2回目を期待したい。
◆地平線のよさは講演会だけでは終わらない。二次会では「旅行人ノート チベット」の裏話や、長田さんがプー太郎から現在に至るまでの軌跡、早すぎた(?)結婚の話などお聞きすることができた。日本ではチベットが元気になっていることを感じた一夜であった。[梅里雪山を愛する写真家 小林尚礼]
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