2002年10月の地平線報告会レポート

●地平線通信276より
先月の報告会から(報告会レポート・277)
文明開化の憂鬱
丸山純・令子
2002.10.29(火) 箪笥町区民センター

日本の若者が辺境の村を訪ねる。村の青年と親友になり、ある時村に内緒で、2人で街に出る。自動ドアに驚く青年、電灯は夜も明るいのだと始めて知った青年、電車が走るのをじっと見つめる青年。若い2人のはしゃぐ様が見えるようである───そして、村の青年は日本の若者に「国境警備隊」に入りたいと告げる。若者は斡旋を断り切れないが、一方家を支えるべき彼を村から引き抜くこともできず、裏で事情を話して彼が採用されないようにしてしまう。今回丸山純さんが語った、彼の三度目のカラーシャ訪問の際のエピソードである。若者とは無論純さん自身のこと、そして青年というのが地平線通信にも名前の出ていたベークことバリベークのことだ。私にはこれが、今回最も印象に残った話だった。

◆丸山純さん・令子さんの今回の報告会は二部構成で、前半はchiheisen.netにも紹介のあるMihoko's Fund(以下基金)の今年の活動を紹介した。素晴らしいのは子供達の写真だ。元気いっぱい遊具に群がる子供達、花壇に撒く種を興奮した笑顔で受け取り、大きな目を見開いてじっと紙芝居を見つめ、「大きなかぶ」の演技に大はしゃぎの子供達。何とも可愛らしいのはひとりの幼い少女の写真で、かくれんぼの鬼のように顔を覆って立っているのは何?と思えば、詩を朗読しているのだが、恥ずかしさのあまり原稿で顔を隠しているのだった。「声がふるえて可愛かった」と令子さん。「ホーチ!ホーチ!(ひっぱれひっぱれ)」とカブを抜く動作が大好評で、子供達がそこら中で真似をしたというが、純さん・令子さんの柔らかい笑顔がそもそも大好評だったに違いない。お二人が用意した授業参観の最後には、子供達が揃って基金の活動に感謝の言葉を述べたそうで、思わず熱いものがこみ上げたそうだ。

◆後半は今回のテーマ、カラーシャの谷に見る援助の問題。「これが(地平線通信の案内に名前のあった)ファイジです」と見せられたスライドにひっくり返りそうになった。まだ10歳そこそこの子供じゃないか!しかしこれは私の勘違いで、20年以上も谷に通い続ける純さんは、今は立派な大人に収まって、援助導入で村を急速に変革しようとしている張本人が、まだはなたれ小僧だった頃の写真も持っているというわけだ。昨日今日見聞きしてきた話ではないと再認識、俄然説得力が増す。

◆話は2人のここ20年を追うようにして始まったが、次第に不協和音が混じる。スクリーンにはちぐはぐな外観の豪邸や、広場に集まる人々を圧迫するような「日除け屋根」が映し出され、「街に出た若者の多くは援助のピンハネで豊かになっている」などという話が出る。話が熱を帯びてテンポよく進み、理屈を跳び越えて「何か間違っている」と感じさせる。

◆「援助」に見出される問題の多くは援助のやり方の問題である。有効活用できないものを贈ったり、物資が適切な人に渡らなかったりというのは、やり方を考え直せば解決される。しかし純さん・令子さんの問題意識は少し異なり、より深い。援助が確かにそれを欲する人々の生活水準を上げ、関係者全員満足したとして、なお問題は無いのか、と問うのだ。その点、完璧に成功したかに見える基金の活動にも疑問の眼差しを向ける。「子供達の笑顔こそが援助の甘い罠ではないか」と。カラーシャの場合、たとえピンハネであれ当地の人々は確かに潤っているのだが、援助マネーの流入で伝統社会は動揺する。街と同じような家を建てれば冬は暖かいかも知れないが、春祭りの喜びは薄れてしまう。財力の変動があれば、人間関係もギクシャクするだろう。そこで冒頭の物語である。この物語は外部の経済社会に触れて村社会の価値観が動揺する、援助問題のあまりに鮮やかな象徴のように、私には思えたのだ。

◆今、ギリシアのNGOが谷で巨大プロジェクトを進めている。流入するマネーの量に、誰も否とは言えない。その中で起きた事件に、純さんは報告の最後に触れた。谷でスペイン人と世話係のカラーシャの少年が殺された。その際、少年だけが猟奇的な殺され方をしていたというのだ。純さんは潤うカラーシャへの周辺ムスリムの妬みを危惧する。

◆子供達の笑顔と伝統社会の動揺、文明について、幸福について、いろいろ考えさせる報告だった。[松尾直樹]


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