2002年9月の地平線報告会レポート


●地平線通信275より

先月の報告会から(報告会レポート・275)
「中央公園まで3100マイル」 下島伸介+武石雄二
2002.9.27(金) 箪笥町区民センター

◆東京にはひんやりした雨が降り、金木犀の香りがした。もう秋なのね。それでも武石さんと下島さんの黒光りする顔からは、アメリカのハイテンションな日差ししか読取れず、2人の周囲は夏のままだ。

◆今夏71日間、アメリカを端から端まで走り抜いたレース「トランスアメリカ」。溶けるように崩れた麦藁帽子、爪を痛めないように指先をくりぬいたシューズ。1日に60〜80キロ、デジカメで拝見しても日々かわりばえのしない景色を行く。広すぎる砂漠やら畑やらの中に、終わりの見えない舗装路が伸びる。ロッキーを越えアパラチアを越え、小麦粉でひかれた矢印と、艱難辛苦共にするサポートクルーを頼りに前へ前へ。

◆このレースを主催したのは、あるアメリカ人カップル。彼らは毎日レースの結果や感想などをホームページに掲載。ランナーには、毎朝、前日の順位表とその日のコースを渡した。参加費を徴収するとはいえ、その手間などを考えれば、当然費用は持ち出しだろう。参加費2,000ドルと期間の長さ、それに「9.11」が原因か、出走者は14人、アメリカ人参加者は1人だけ。完走者11人中、日本人は8人を占めた。

◆ランナーにとって走ることが生活になる。重視するものが楽しみか、あるいは求道的なものか、それぞれの人生が反映される。もちろん「レース」に対する解釈も異なる。ただ両人が口を揃えて話してくれたのは、サポートクルーとの関係の難しさだった。レースに参加するには、荷物を運ぶ車とそれを運転してランナーの身の回りの世話(食事準備やマッサージ、買出しなど)をするクルーを1人以上、自分で用意しなければならない。頼るのは気心知れた走り仲間や家族とはいえ、見知らぬ国で互いに心身ともに疲労度満点の中、感情むきだしでぶつかりあう。カラダの痛みはなんとかなっても、人間関係はなかなか。ランナーには目的があるが、クルーは71日間も異国の地で何を思う?とてもとても大事な人に「アナタの71日間私に下さい!」と言われたら、何て答えよう?やっぱり断れないような、気もするか。まあ今のところ私の周りにはそんなに走りたがる人間はいない。

◆昨年、私は8ヶ月弱中南米をふらつき、いまだ何をか語る言葉を持たない。初めての長期旅行で、出発前には中南米に関する様々な本を読み、旅行中に「何か」特別な事に気づきたい、と願っていた。だけど、そんな気持ちは、旅行中は一切忘れていた。旅が出来て、幸せだった。小さな事に一喜一憂し、町から町へ移動できた事に満足し、話したい人とだけ話し、景色を愛でた。それが精一杯である。

◆武石さんと下島さんは、こんなことは自然にこなし、走らんでいい程の距離を走り、濃密な人付き合いをクリアしてゴールした。武石さんはこのレースを「贅沢な遊び」と語り、下島さんは日々疲労して、最後まで完走できるか不安になった時の様子を「道が細くなってゆくようだ」と表現した。2人はもちろん、まだまだ走り続ける。武石さんは来年、「トランスヨーロッパ」への出走を予定している。私ごときには理解を越えた走りっぷりだ。

◆私は一生かけても3,100マイル(5,000キロ弱)も走らない。疲れることは好まないから。お2人の話しを伺い、なんだかしんどくなった。それは私だけではなかったのだろう。会場からのお礼の言葉は「呆れました!」だった。[後田聡子・大阪から参加、夜行バスで帰阪した]


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