|
●地平線通信274より
|
|
|
◆話の中にいきなり「カシダ君(私のこと)なんか、もう20年も前から、いつユーラシア横断をするんですかとチクチク聞いていましたから」と我が名を出されて、そう言えばと思い出した。
◆賀曽利さんは、この夏、長年の夢だったユーラシア大陸をバイクで横断した。20年前というのは、私が賀曽利さんと知り合った頃だが、その夢はもっと前からだった。
◆70年代、賀曽利さんは数冊の本を出版している。その1冊、世界一周記録の「極限の旅」(山と渓谷社)は強く心を突き上げる名作(!)だ。その最後にある計画が書かれてある――「‥ソ連当局からの許可を得て、オートバイでシベリアを横断し、ソ連から北欧に入りヨーロッパをイタリア半島まで南下‥」。
◆賀曽利さんは、30年も前、つまり当時冷戦真っ只中のソ連を走る夢を描いていたのだ。そんなのできんのか。だから、私はチクチク言っていたのかもしれない。だが思い続けてみるものだ。本当に実現してしまうのだから。
◆今回の旅は、旅行会社「道祖神」企画の「賀曽利隆と走るユーラシア大陸横断」で、賀曽利さんを含め17人が、自宅前をバイクで出発して日本海を船で渡ってシベリアを横断し、ヨーロッパ最西端のロカ岬にまで到達した。途中、道路のない約1000キロだけは鉄道に乗ったが、賀曽利さんのバイクの走行計は1万4001キロを指していた。
◆「オーストラリアでも4000キロ、アメリカでも6000キロ。それに比べてユーラシアは大陸横断に1万5000キロを要するんです。そのほとんどがシベリア。いかに、ヨーロッパがユーラシア大陸の半島であるかが実感できました」
◆スケールの大きな旅がスライドで映し出される。海だ!と思ったバイカル湖、2000キロも内陸にあるのに2キロ以上の川幅を誇るオビ川、お花畑と化す夏のシベリア、夢にまで見たウラル山脈、50日ぶりに見た海。だが、最も嬉しそうに話してくれたのは、やはり人との出会いだ。水着美女の撮影は当然として、吉田茂さんとの出会いは運命的な話だった。
◆シベリア街道で、「あ、賀曽利さん!」と叫んだのが、1300ccのバイクで旅行中の吉田さんだった。吉田さんは、賀曽利さんのアフリカ一周(68年出発)以前に世界一周を果たし、当時、賀曽利さんの訪問を受けると丁寧なアドバイスを与えた人である。そして、世界一周後ヤマハに入社したが、いつかまたと夢を諦めず、30数年後の定年退職後すぐに2度目の世界一周の旅に出て、シベリアで賀曽利さんと偶然の再会を果たしたのだ。「人間の抱く夢の究極を見ました!」
◆シベリアと世界一周を、それぞれ30年も思い続けてきた賀曽利さんと吉田さん。どちらも素敵だ。とはいえ、今回のツアーの同行者によると、「賀曽利さんは洗濯をしない」そうだ‥。これは素敵と言えない。
◆ちなみに、報告会の4日後の9 月1日、賀曽利さんは55歳になった。さあ、いよいよ、賀曽利隆「四捨五入して還暦ツアー」の10年が始まる。今後も、一生をかけて世界と日本を走り尽くしてください。[樫田秀樹]
|
|