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●地平線通信272より
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グレートジャーニー・ファイナル 関野吉晴 |
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「いやあ、ほんと関野もしゃべりがうまくなったな」「あちこちで講演馴れしてきたからね」。99年の1月、シベリア踏破の報告が終わって拍手が贈られている最中、グレートジャーニー応援団のメンバーからこんな声があがった。中盤の質疑応答が長引き、このままでは膨大なスライドが余ってしまうと誰もが思ったのに、なんと1枚残らず上映して、どんぴしゃ時間内に収めてしまったのだ。
◆ところが今年の4月の報告会で上映できたスライドは、たった5枚だった。1枚の写真をきっかけに、93年12月以来の長い旅の記憶が次々と浮かんできて、話が踏破ルートのあちこちに飛んでしまう。現地でシャッターを押した瞬間からすでに、関野さんの頭のなかにはこうした過去の旅のシーンが幾つも去来していたに違いない。どこか夢見るような表情で写真を見つめながら、旅の手応えをひとつひとつ確かめていく。そんな生々しい体験を、間近で関野さんと共有させてもらうことができた。
◆5月の2回目の報告は、前回“ゴールにたどり着けなかった”という思いからか、前半はいきなりラエトリの足跡に話が及んだ。しかし、西アジアでは出会えなかった採集狩猟民と過ごした熱い体験談でたっぷり時間を使ってしまったりして、後半のスライドは遅々として進まず、またまたゴールには届かなかった。関野さんの心はまだ半分、旅の途上にあったのだろう。
◆今回、3回目の報告会では、またぜひ訪れたい場所として挙げたエチオピア高地が、世界3大高地の残りの2つ、チベット高地やアンデス高地といかに共通項が多いかという、比較文化論的な話から始まった。原始キリスト教の面影を残すエチオピア正教とチベット仏教との類似点が語られ、そしていつもの脱線だなと思って、西・中央アジアと南米の平坦さの違いやヒマラヤ奥地の交易の話を聞いているうちに、ゴビ砂漠のラクダのキャラバンやモンゴルの遊牧民が登場。やがて、ソ連崩壊後もたくましく生きる極東シベリアの人々の姿が……。
◆そうなのだ。今回はやけに解説がクールで回想シーンのスライドが混じるなと思っていたら、とんでもない。自身の旅路を逆に、つまり本来のグレードジャーニーの道筋を順にたどる、粋な演出がなされていたのだ。それから先は新大陸に渡り、北極圏から北米、中米を駆け抜けて古巣の南米へ。これまで写真展や写真集を飾ってきた傑作が、惜し気もなく立て続けに披露される。そしてビーグル水道を臨む写真で「ここがゴールです」。またもや、どんぴしゃ。
◆「グレートジャーニーが奇跡なのではなくて、40億年前に始まった生命の歴史の果てに自分たちがこうして生きていること自体がもう奇跡なのだと実感させられた」と、関野さんは今回の旅を振り返る。より長大で過酷な自転車の旅をしたサイクリストも大勢いるし、より深く諸民族と接した研究者もいることだろう。しかし、ここまで発見と思索の旅を深めることができた人は、ほかにはいない。人力と獣力だけで各地の少数民族を訪ねながら人類の足跡をたどるという企画のユニークさと共に、学生時代から南米で積み重ねてきた濃密な体験が、サポートに奔走した友人たちの努力が、そしてなによりも人間の営みを温かな目で見守ることができる関野さんの資質が、グレートジャーニーの旅をより普遍的なレベルに押し上げて、私たちがその一端を共有できる財産にしてくれたのだと思う。
◆グレートジャーニーの進行をリアルタイムで体験するという、幸せな時間を持てたことに心から感謝したい。[丸山純]
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