2002年3月の地平線報告会レポート


●地平線通信269より

先月の報告会から(報告会レポート・269)
シゲさん、イスラム圏に迷い込む
金井重
2002.3.26(火) 箪笥町区民センター

◆話がうまいとの前評判を訊いて顔を出した3月の報告会、グレートジャーニーの放送後とあって、普段はあまり見かけない親子連れの方や高校生の少女も参加していた。金井重さんの報告はスライドこそ無かったが、そうした初めての方にも親しみやすい会だったのではないだろうか。

◆「しげ節」は前評判以上という印象を受けた。話の展開が巧みなだけでなく、一単語の発音までプロのそれである。地平線の報告者は必ずしも大勢に話をするプロではない。それがまたマスメディアにはない、旅人が見聞きした当地の事を演出抜き、ロマンス抜きで伝える地平線の良さでもある(GJはかなり抑制が効いているが、やはりTVというメディアの性格上、センシブルな範囲内ではあるが演出が入るのは避け難い)のだが、いかんせん聞き難いこともある。その点「しげ節」は間違いなく「聞かせるための語り」であり「聞きたくなる語り」であった。

◆前半は最近の旅の軌跡が語られた。ひょいひょい飛び出す冗談の上に、地名を片端から忘れてみたり、そこに江本氏が突っ込み、三輪氏が混ぜ返しといった調子で、暢気で楽しい報告だ。「予定通りに行かなくてもネ、気にしないんです。私もう悟ってるんですネ。これ、大変なコトなのよォ」こんな調子である。

◆冗談交りの暢気な調子そのままで、後半は重さんの宗教について思うところが語られた。文字以外の要素が重要な重さんの語りを、敢えて少ない文字数で乱暴にまとめれば、次のようになるだろう。

◆「無神論・科学万能はやめて、目に見えるものと見えないもののバランスをとっていこう。そしてこれからは教義だ民族だではなく、誰もが当たり前にもっている『命』に信仰の対象を見出す生命信仰が必要だ。教団なんて各々が自分の教団を作ればいい」

◆これほど明確なメッセージをもった報告は私の記憶にはない。そしてメッセージを受け取った以上は、受け手の我々は何らかの反応をすべきではないだろうか。「しげ節が面白いなあ、百以上の国を回るなんて凄いなあ」でも良いが、賛成・疑問どちらでも良いから、皆さんそれぞれに考えてみると良いと思う。

◆かく言う私自身の考えだが、基本的には重さんに全く同感である。誰もが命の尊さを心が震えるほどに感じ、尊重しあえれば悲しい争いは随分少なくなろう。しかし、人間の目標は生きる事だけではない。ある者は心が震えるほどに、ある思想に強く染まり、命より思想を信仰するようになる。そうした人に生命信仰だと語っても、なかなか埒が開くまい。また個々人で素朴な宗教心を持つのは昔からの理想だが、実際には人間は自然と徒党を組むものだ。教団組織も民族も人間の性質から自然と生じてしまう面がある。自由気ままな旅人が考えるほど、宗教や民族の問題は簡単にはいかない。そうした宗教の実態を、もっと現実に即して捉え、アプローチしていく必要があると思う。

◆宗教を変えてテロ・戦争を根絶するよりは、宗教は変えがたいものとして、それを前提としてもテロ・戦争が起こらないように、困難な模索を続ける事こそが必要ではないかと私は思う。

◆と、こんな感じで各々がいろいろな事を考えるわけだが、そうして考え出した事が、本当に正しいとも限らない。平和はそう簡単には手に入らない。手に入らないからこそ貴重なのであり、平和団体はデモ行進をするのであり、地平線会議はせっせとイスラム特集を組み、重さんは「しげ教」の話をし、私はそれを議論のネタにするのである。賛成も反対も、冗談話も真面目な議論も、地平線的ごった煮でワイワイやっていければと思う。楽しいしげ節、また聞きたくなる報告会であった。(マックを駆使する哲学志望の東大生、松尾直樹)


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