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●地平線通信268より
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和田晶子 |
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◆「これは行かなくちゃ!」と決意した。いつも楽しみに見ている「地平線通信」にカラーシャ族と結婚したわだ晶子さんが、援助について語ると予告されていたのだ。実は今、私達夫婦は仙台に住んでいる。600kmという距離と2 万円という汽車賃は地平線への道を阻んでいた。でも、今回は・・。受付には、三輪さんと武田さんの懐かしい顔。すでに数十人の人がわださんの話に聞き入っていた。
◆アレキサンダー大王東征軍の末裔ともいわれるカラーシャ族は、パキスタン北西部に住む人口3000 人弱の少数民族。周囲をイスラム社会に囲まれながらも、長い時代にわたって独自の多神教を信仰し、禁酒の掟のあるイスラムとちがってワインをつくり、女性もベールを被っていない。
◆わださんは、ゆったりとしたペースでカラーシャ族の日常の食べ物や貴重な風習の話、苦労したヴィザ取得の話しなどを語っていく。私には一言一言が興味深々でおもしろかった。美しい飾りをつけた被りものと黒い民族衣装にネックレスという独特の服装やチョウモス祭などの宗教儀礼や女性不浄の風習は基本的に変わっていないようだ。しかし、現在は自動車も入るようになり、多くの外国人観光客も訪れ、大きく様変わりしたという。
◆わださんは、最初はイランに行く途中にちょっと立ち寄ろうかという軽い気持ちだったそうだが、しだいにカラーシャの魅力にはまりこんでいく。丸山純・令子夫妻も何度も通われているし、私達も、昨年の冬には、そのルーツは本当に「アレキサンダー」なのだろうかと確かめたくて、ギリシヤを訪れる程、何か不思議な力があるカラーシャなのだ。アジアの辺境の地にありながら、金髪に青い目の人々もいるという点に、私は「東は東、西は西」ではなくて、人類は「ホモサピエンス」というひとつの種なのだということを思い出す。
◆カラーシャ族の住む谷を夫の元彦と私が訪れたのは、1968 年。日本でカラーシャ族に最も詳しく、かつ愛している? 丸 山夫妻によれば、私達は日本人で2 番目にこの地を訪れたことになるそうだ。当時、私達は、東京農大探検部OB を中心とした登山隊のメンバーとして、ヒンドゥクシユ山脈の未踏峰エクタゾム(6000m)に初登頂した直後だった。何か月にもわたってイスラム世界に暮らした後だったので、よけいに興味をそそられたのだ。
◆30年後のわださんの話に戻ろう。日本の大使もこの地を訪れ、外務省の援助で電気がつくようになった話や、女性たちのために外から見えない衛生的な水浴場をつくるなど、単なる旅人でなく、この地の人々のことを考えて、実行に移すわださんに本当に良い援助のあり方をみて、感心してしまった。夫の元彦が代表をしているNGO 「マングローブ植林行動計画」の一員としてエクアドルやベトナムの村に通っている私には、その苦労が何千キロも離れた地なのに、共通点があって、手に取るようにわかる気がした。ギリシヤの人々は同じ仲間として、善意のNGO 活動をしているのだが、実際には色々問題があることも、わださんの口から語られた。同じ事を私達日本人もしていないだろうか?反省させられる話だった。
◆久々の地平線。高山に住む中畑さんの便りにもあったが、地方で人を集めるのは大変で、苦労している身としては、こんなに 長期間、コンスタントに人が集まるのは、本当にスゴイことだと思う。江本さんにそのヒミツを聞かなくちゃ。地平線会議は、継続しているだけでなく、内容も楽しくかつ社会的に貢献するよう進化していると感じた夜だった。[向後紀代美]
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