2001年9月の地平線報告会レポート


●地平線通信263より

先月の報告会から(報告会レポート・263)
雲の上の夏休み
田端桂子
2001.9.25(火) アジア会館

◆暗い室内で本原稿のためキーボードに指を走らせながら、内心焦った。田端桂子さんという人を短い文章で表現する、その骨組みとすべき一貫した物語が思い描けないのだ。と、考えあぐねた挙げ句に気がついた。田端さんの旅に私が思い描くような物語など無いのだ。物語などの枠に囚われない、そこに田端さんの魅力はあった。中学=創作ダンス 高校=バスケットボール 大学=探検部 ここに如何なる物語が見出せようか。

一貫するものがあるとすれば、それは精神のフットワークの軽さであろう。田端さんは一つ所に留まることはない。たびたび海外に出る理由を「何でも新しいものを目指したいですね」と語るその精神は、サークル遍歴の中に既に見られるようだ。そしてアジア会館に現れて、一度会ったきりの私にも気さくに声をかける軽やかな立居にも、それは現れている。

◆幼い頃にインディ・ジョーンズを見て冒険に憧れ、京都博物館に展示された「楼蘭の美女」を見ては、大して美しくないのにがっかりしながらも砂漠への憧れを育んだという田端さん。新入生歓迎行事でのボロボロの身なりにピンときて入ったという探検部で、幼い頃の淡い憧れを現実のものとした。国内の川下り・登山に励み、東南アジアで一人旅をしたり、偵察隊に加わって憧れの楼蘭にも行った。

◆報告会は前半が99年の雲南省怒江・濁龍江偵察、後半は今年のパキスタン・コーセルガン南峰登頂が中心を占め、ほとんど全編がスライドで構成された。次々と映し出される写真は秀作が多い。筆者にはコーセルガンのクレバスが縦横に走った頂上や、光の降り注ぐキャンプ・ワン、山中の丘でメッカを拝するポーターなどの写真が印象に深いが、皆さんはどの写真に惹かれたであろうか。新疆の子供達や雲南のガイド、パキスタンでのパーティーメンバ?ポーターの日常風景も、語りと相まって楽しいものだった。

◆その写真の合間に、普段の軽快さとは別な一面が顔をのぞかせる。98年に訪ねた波照間島では楽園伝説にロマンを感じ、延々と続く道を凝視するような写真を見せてくれる。山スキーでは「まっさらな雪の斜面を登るうちにトランス状態になり、無の境地に達しそうに思える。こまごまとしたことを何も考えずにいられる瞬間があるのは幸福だ」と語り、幼い頃には手塚治虫や江戸川乱歩、『はだしのゲン』など「生命の神秘・生きる意味を問うような」作品に惹かれたという。

また一方で雲南省とパキスタンでは食に対する姿勢や衛生観念を比較し、雲南省で進む開発が自然や村々に何をもたらすのか、パキスタンの女性の地位がどうなのかを、立ち止まって考える。どこか瞑想的な感性がひかり、考え深げな横顔も見せてくれるのだ。田端さんという人は23 歳という若さの内に、未だ混沌とした部分を多く残している。これからどのような展開を見せてくれるのか、写真も含めて、再びマイクを握ってくれる日が楽しみだ。

◆さらに今回はもう二人、丸山純さんと片山忍さんというパキスタン帰りの旅人がマイクを握った。話という程の事もない短かいものだったが、米国同時多発テロ後のパキスタンを直接見た二人の話には真剣に聞き入らずにはいられない。我々はともすると情報源としてのマスメディアに無批判に頼ってしまうが、その報道内容は政治的な要求を持って報道機関を支配する資本の意向から己の掴んだ事実を誇大広告しようとする一報道者の功名心に至るまで、その内に数え切れない多くの要素を含んでいることだろう。そしてそれらがフィルターとなって、事実に恣意的な着色を施している事は想像に難くない。

その点、田端さんが伝えてくれた現地の人々の様子や丸山さんの政治を含む解説、片山さんが見た国境での経済活動の話など、マスメディアには載ることのない現地で活動する人々の生の声を直接聞けることは、地平線報告会がもつ魅力の一つであるはずだ。そういう意味で今回は、地平線報告会という場の持つ価値が示された会となったようにも思われる。[マックをモバイルする東大生 松尾直樹]


to Home to Hokokukai
Jump to Home
Top of this Section