2001年7月の地平線報告会レポート


●地平線通信261より

先月の報告会から(報告会レポート・261)
7s'sトレンド化計画
山田淳(あつし)
2001.7.30(月) アジア会館

◆灘中・灘高を卒業し、東大文(経済学部)に籍を置く学生、それも金融関係のベンチャー企業でアルバイトをしている、というとどんな人間を想像するだろうか。セブンサミッツ(以下7s's)に王手を掛けた今回の報告者、山田淳の履歴である。

それが、報告会に現れた彼はといえば「隅田川花火大会のために借りてきました」という白い浴衣をまとった小柄な身に、なんとも愛嬌のある表情をたたえた金髪頭を乗っけている。その風貌を一見するや、強烈な個性の匂いがプンプンしてくる。

◆山田君は幼い頃、小児喘息で随分悩まされたという。「夜中に咳き込んでは呼吸ができない、酸素が足りない!」という辛い状態もあったらしい。そんな身体の弱さから、「頭で生きるしかない」と小4で決心、「死ぬ気で勉強」し、見事灘中に合格した。小4でそこまで悟るとはなんとも可愛げのないガキなのだが…実に可愛いのだ。というのは、山に“ハマる”きっかけとなった中1のときの屋久島での写真。本人も「幻想的な」と言う通り、縄文杉に寄り添うようにして映るあどけない表情の少年からは、今の経歴は想像に難い。

もう少しで未熟児という小さな体と共にこの世に生をうけ、体育の成績だけ「2」というコンプレックスから山登りをはじめた少年が、今や世界で一番高い場所に手を伸ばそうとしている。人間の可能性というのは計り知れない。

◆さて、山田淳の7s's。99年9月のキリマンジャロ登頂を皮切りに、2000年 1月にアコンカグア、6月マッキンリー、9月エルブルース、11月にはコジウスコと次々に片付け、新世紀の幕開けと同時に南極のビンソンマシフに登頂。さらには、この4月にカルステンツピラミッドに登り、残すは王者・エベレストのみ。

その勢いもさることながら、南極より以前は資金もすべて自分で工面したのだという。聞くところによると、富士山ガイドや家庭教師のバイトで200万以上も稼いだというのだから、何かをするのにお金がないなどと言い訳をしている場合じゃないよなぁと改めて思う。私が聞いたどの地平線報告者も飛び抜けた個性の持ち主ばかりで、ひとくくりになど到底できないが、共通するものがあるとすれば、目標にかける情熱というか、周囲を圧倒するバイタリティーにあると思う。

◆前半、カルステンツピラミッド登山のビデオは圧巻であった。ロープがはずれたらまっさかさまという高所からの映像、頂上へ向かって一歩一歩踏みしめる瓦礫道の画には荒い息遣いが重なる。せっかく喘息がよくなったというのに、何も自分から「酸素がない!」状態を求めて行かなくても‥などと、こちらまで息苦しくなってきたところに、「ビデオ撮っている場合じゃないだろ」と、いとも楽しげに本人のつっこみが入る。

報告中終始笑顔で、とにかく口が達者で飽きさせない。次から次へと出てくる言葉、度々会場を沸かせるユーモアに、頭の回転の早さをうかがわせる。かと思うと、「インドネシアの空港でキレイなお姉さんに囲まれ」て、にやにやしたカオを見せる。「人が好き」で、単独の極地探検などより「人と楽しく登りたい」と最近つくづく思うのだと真っ直ぐな視線で語る姿は、やはり愛すべきキャラクターなのだ。

◆次の日に試験を控え、「頭の中フランス語でいっぱい」といいながら語ってくれた彼の、「もっと多くの人に7s'sに登ってほしい」との思いが伝わってくる会であった。例えテストのヤマははずしたとしても、今秋チョーオユー、来春エベレストの頂上へ向け、着実に歩みを進めること、確信させる。[地平線会議新人・菊地由美子(法政大学4年)]


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