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●地平線通信260より
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小林尚札 |
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●6月の報告会レポートは、報告者の小林さんの友人で、地平線報告会は初めての参加という田中裕子さんに執筆をお願いしました。田中さん、ありがとうございました。
◆会場の片隅には来場者へのおみやげが置かれていた。トウモロコシの粉、塩の井戸から取れた紫色の塩、くるみ、そして地酒。いずれも、「神々の楽園」で日々食されているもの。口に含んでみれば、見知らぬ土地が急に近しく感じられるから不思議だ。
◆写真家・小林尚礼さんの地平線報告会は、中国・雲南省の最高峰、梅里雪山(標高 6740メートル)やその麓の村、そこに生きる人々がテーマだった。すでに彼の写真は雑誌や新聞でも紹介されているが、彼自身が直接説明してくれる、このようなスタイルのスライド上映は今回が初めてのことである。この2 年間に5回の撮影旅行を行い、ようやくすべての季節の写真が揃ったこともあり、報告会の運びとなった。
◆小林さんが梅里雪山を初めて訪れたのは、1996年。当時は、登頂を目指す登山隊の一人だった。その5年前にも同じ山岳会の仲間が登頂を試みている。しかし、親友を含む17人の隊員全員が遭難し、消息を絶っていた。
◆その後98年、遭難者の遺体や遺品が氷河で発見される。遺体の収容作業に当たるため、小林さんは再び現地に向かった。高さ千メートルの氷壁の下に散らばったテントや衣服の残骸に、自然の厳しさを軽んじた現代人のおごりを感じた。その上、地元の人は、神の山として崇める梅里雪山に登ろうとする外国の登山隊を快く思わない。「この山の麓に暮らす人々はどんなことを考えているのだろう。」登山者である彼の目が、山から、そこに住む人々へと転じた。勤めていた会社を辞め、撮影人生が始まった。
◆村の風景はどこか懐かしい。春には桃や梨、リンゴの花が咲き乱れ、秋には収穫物の麦やトウモロコシが家の屋根を彩る。かつて日本でもありふれていたような、農村ののどかな光景が広がっている。しかし、一つ、大きく違っているのは、背後に梅里雪山がそびえていること。村人たちは、天にも届きそうな山に見守られるようにして暮らしている。
◆小林さんは何度か村に通ううち、村長と親しくなった。弱冠38歳だが10年も村長を務め、尊敬に値する人物だという。確かに写真で見ただけでも、穏やかで、聡明な様子がうかがえる。彼は言う。「村長と仲良くなれたことが大きな収穫だった」。今では、撮影で訪れるたび、村長の家に寝泊まりさせてもらっている。言葉の壁は厚い。でも、じかに語り合いたいから、通訳をつけずに取材している。こうして彼は徐々に村人たちとうち解けていったのだろう。どの人も実にリラックスした表情を見せている。
◆撮影を始めて2年。小林さんは「彼らが考えている本当のこと」を知りたくなった。仲良くなるにつれ、これまでに聞いてきた話は、もしかしたら外国人の自分に対する建前に過ぎなかったのではないか、そんな想いが頭をもたげているという。さらに、この「神々の楽園」には、観光化の波が押し寄せている。今後、村はどう変わっていくのか。彼らは、「豊かさ」をどう捉えているのか。「梅里雪山と共に生きる村人たちをずっと見守っていきたい」と力強く語ってくれた小林さん。これから、彼は私たちに何を見せてくれるのだろう。
◆上映会は盛況だった。100人以上が集まり、みんな熱心に写真を見、質問を浴びせる。友人として、思わず胸が熱くなった一夜であった。[田中裕子]
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