2001年1月の地平線報告会レポート


●地平線通信255より

先月の報告会から(報告会レポート・255)
グレートジャーニー
・ユーラシア蹄道行
関野吉晴
2001.1.26(金) アジア会館

「あれ?まだ6時40分?!やっぱりちがうなぁ」21世紀最初の地平線会議、あの関野吉晴さんがやってくるということで会場はすでに超満員。それでもまだやってくる人が絶えない。よくみるとイスを並べているのは賀曽利さん。「来る人もちがうよねぇ」とりあえずの目標にしていた21世紀の報告会ができたことを祝うかのように前回の通信に原稿を書いてくれた人達がほとんどやってきたところで報告会が始まった。

◆関野さんのグレートジャーニーの報告は3回目。前回の報告から今回までの2年間は動物を連れたユーラシアの旅だった。トナカイぞりでスタートした旅はまず極東シベリアを駆け抜けた。トナカイぞりは犬ぞりよりも扱いやすく、革のベルトのようなもののさきにとがったものの付いたムチでトナカイのおしりをたたいて進んで行く。おしりの決まったところをたたくのだが、言うことを聞かないトナカイだとあっちこっちにあたってしまうのでおしりの跡をみれば性格がわかるという。また、えさを持って行動しなくてはいけない犬ぞりに比べ、トナカイは自分でえさをとることができることや乗りごごちもよく、100キロほどのトナカイぞりの旅は「このままずっと乗っていたい」ほど快適な旅だったようだ。

◆トナカイを犬ぞりに乗り換えて旅は進む。犬ぞりの話しをしながらもついトナカイぞりと比べてしまうほどトナカイがお気に入りだったようだが、何度も乗っている犬ぞりの旅は手馴れたもの。途中、「お医者サンですよね」と言われ、凍傷になった犬の診療もしたらしい。しかしそこはドクトル関野。「人間も犬も凍傷につける薬はほとんどおんなじですよぉ。」

◆モンゴル入ると今度は自転車での旅。少し遠回りになる複線のほうのシベリア鉄道沿いに進む予定にしていたが、地元の人の話しを聞くうちにどうやら単線のほうが整備された道があるということがわかってきた。それでも川を越えるのには橋が無く、線路に自転車を担ぎ上げ電車が来ないことを確認しながら線路を走っていった。途中、タイヤがパンクするアクシデントがあり、結局自転車を押して行くことになった。「グレートジャーニーなら歩いたっていい」でしょう。その後も子供用の自転車を買って自転車を改造したり、古タイヤを切ってブレーキを直したりありとあらゆるもので「まるでシベリア人」のように修理をしながら進んで行った。

◆モンゴルの砂漠でのパートナーはラクダ。この地域では子供たちもランドセルを背負ってラクダに乗って通学している。しかし、最近では長いラクダの旅をするような人達は少なくなり6つの家族に付き合ってもらって少しずつ乗り換えて行くという方法でキャラバンを組んだ。ラクダというのは思った以上に賢く、写真を撮っていれば待っていてくれるし、待っている間に回りに遅れをとってしまうとハラハラして遅れないようにがんばるのだそうだ。

◆チベットへ入り、巡礼の人々に出会い、グレートジャーニーの一行はドルポで12年に一度の巡礼祭に出会った。外国人がこの祭りに参加できるようになったのはほんの数年前のこと。おそらく外国人でははじめてであろう。スライドに映る人達の髪は黒く、三つ編みで、着ている服もさらに信仰に生きているという点でも南米の人達によく似ている。それにしても関野さんの撮る写真は本当に美しい。映っているものだけでなくそのまわりのにおい、音、風、空気までも写し撮り、私達の目の前に届けてくれる。

◆ここドルポには4ヶ月滞在し、テントを張ってドクトル関野病院を開院。ここの人々は病気の治療に関してもいいと思うことは何でもやろうとする。だから民間療法にかかったその足で関野病院にもやってくる。この地域で多い病気は皮膚病と胃潰瘍。胃潰瘍の原因のほとんどはストレスによるもの。「こんなのんびりしたところだからストレスなんて無いと思うかもしれませんが狭い地域で濃い人間関係の中で生活しているから思った以上にストレスをかかえているんですよ。」

この病院にはだいぶ悪く、布団をかぶって座っているしかなかいような高僧もやってきていた。そこで見つめる人間の死。ふとこんな疑問が浮かんできた。「人の死はだれがどんな時に決めるのだろうか」この地域では死ぬ人自身が旅立つ時を決め、周りの人に最期の言葉を告げるのだそうだ。そうすると魂は光のように飛んで行くので体を瞑想の形にし、3日後に火葬にする。火葬にし、骨にすると徳のある僧の骨には模様が浮かび、本当にその僧には徳があったということが証明されるのだそうだ。

◆ドルポを離れヤクの旅。何よりも子供が印象的だったという関野さんのいうとおりスライドには子供がたくさん登場する。7歳の子供は今回がはじめてのヤクの旅だが10歳にもなると経験も豊かになりヤクを5頭も任されるようになるらしい。ここのこどもたちは好奇心にあふれ、新しいものには興味を持って寄ってくるが、かといってオトナに媚びず、まわりの評価など気にすることも無く、自立して活き活きと暮らしている。その様子がスライドからも溢れ出し、すっかり関野さんもパパの顔になっていた。

◆あっという間に9時になり、報告会も時間切れ。しかし今世紀の地平線会議はおまけがあった。場所を1階の食堂に移し、懇親会。この先も地平線会議が続くことを願って乾杯した。

◆最後に貴重な関野さんの名刺にサインをしてもらった。関野さんが書いた日付は2000年13月26日。「グレートジャーニーは2000年中にゴールしますよ」グレートジャーニーも地平線会議もまだまだ続きそうです。(三輪涼子)


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