2000年7月の地平線報告会レポート


●地平線通信249より

報告会レポート・249
カーニバルの異境空間へ!!
白根全
2000.7.28(金) アジア会館

◆真夏日が続く7月の報告者は、白根全さん。グレートジャーニーのコーディネーターや、編集者、写真家、中南米大好き〈特にキューバ中毒〉、飛行機のパイロット免許取得者、登山家など多彩なマルチタレントだ。

◆報告のテーマであるカーニバルとの出会いは1982年。初めてのカーニバルで3日間金縛りにあい、一気にはまった。それ以来、カーニバルに行けないと1年間身体の調子が悪くなる、重度のカーニバル中毒患者である。報告は、カーニバルの歴史から始まった。カーニバルとは、キリスト教の復活祭の前に肉好きキリスト教信者が日常生活から肉を取り去る、その直前の4日間のドンチャン騒ぎの事。古代ギリシャの豊穣祈願の祭りまでさかのぼり、やがて各地の民間祭祀がキリスト教と合体して、ヨーロッパから新大陸まで発展したのだった。教会が認めた無礼講の4日間、人々は身分の差も、貧富の差も、男女の差も、全ての境界線をとっぱらい異境空間に突入する。南米のカーニバルの特徴はアフリカの要素が強いこと。特に昔の奴隷港町ではその傾向が強く、実にパワフル。その代表格のブラジルとキューバでは、「異常な発展」を遂げ、国家を揺るがす大イベントとなっている。

◆白根さんのカーニバルに対する思いは、単なるお祭り好きを超えて、「カーニバルの生き字引」、「カーニバル百科」の域に達している。カーニバルの基礎知識を仕入れた後は、いきなりスパンコールがきらめくお尻のアップからスライドはスタート。男性陣が身を乗り出していたのを私は見逃さなかった。時折、カーニバルの音楽をBGM に、白根さんの話もエキサイトしてくる。

◆今回は、中南米のカーニバルクルージングであったが、リオのカーニバルが中心だった。4日間のパレードがメインのお祭りだが、その面白さの真髄は、カーニバルが終わった直後からすでに次回にむけてじわじわと盛り上がっている人々のライフサイクルだと感じた。パレードは、1チーム5千人ほどで構成され、決められたテーマを中心に、演出、音楽、ダンス、衣装、山車、ストーリーなどが緻密にデザインされ、絶妙のバランスを醸し出す総合芸術、壮大なオペラだ。1キロ弱の会場を制限時間80分で練り歩き、厳密な審査が行われる。パレードの主な参加者は、リオでも最貧困層のファベーラの住民。彼らの1年はすべてこの80分間に継ぎこまれているといっても過言ではない。無法地帯の貧民屈、マフィアのボスが牛耳るダークサイドがパレードの核だ。本番はおろか、準備段階でも死人が出るのは当たり前。準備は半年前から秘密裏に、かつ綿密に積み上げられていく。人々は、カーニバルのパレード優勝者で歴史を記憶する。パレードへの参加は、リオの歴史に刻まれるというものすごい名誉なのだ。

◆次々と紹介されるスライドは、「これって人なの?」というくらい人間がきらびやかにひしめき合っている。自分の人生の全てをかけた老若男女の命の熱気がむんむん。その場にいる観客も参加者もすべてがカーニバルの構成要素であり、会場は生命の坩堝と化す。「これで死んでもいい」という刹那的な生命力が全開のパレードは、花火大会、阿波踊り、岸和田だんじり、ねぷた祭り、北朝鮮のマスゲームが束になってかかってもかなわないド迫力。2月3月の南米各地では、命がはじけるカーニバルがあちこちでひらかれる。紅白歌合戦の派手派手衣装のために毎年通っているデザイナーもいるらしい。内容が奥深く、筆舌尽くし難い報告会であったが、大興奮のカーニバル報告は来月まで暑気払をかねて続きます。乞うご期待!![山本千夏]


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