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●地平線通信248より
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田中幹也 |
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●「田中幹也の主要経歴」というプリントが受付にあった。目を通してみると。「1986年から89年にかけて4年間のうち600日以上をクライミング、冬山に費やす。黒部周辺、甲斐駒ヶ岳、谷川岳一の倉沢、八ヶ岳、吸収、大山、欧州アルプス、ヨセミテなどの岩壁を180ルート以上登り、冬季初登10回。山行回数200回以上」。
●それが、91年から岩壁登はんの経歴が消えてなくなり、今度は一転して「中国放浪」「オーストラリア自転車横断」「カナダユーコン河カヌー徒歩1000km」。特に95年から99年にかけて4回にわたり「カナダ縦断1万4000kmー北極海沿岸イヌビック〜カナディアンロッキー縦走〜ウォータートン・レイク国立公園」を完成。踏破距離の内訳は自転車10000km、徒歩2000km、山スキー1000km、カヤック1400km」とある。
●とんでもない人だ。典型的なB型人間では?と思った(あとの飲み会で聞いたら違うと言われた)。
●さて、話は「今回の旅を終えて、達成感、充実感、満足感がなく、いったい何のためにやったのかわからなかった」という言葉で始まった。そう、今日の報告会のタイトルは「冒険家はいつ涙を流す」だ。田中さんは旅を終えてのインタビューでそう言った時に、インタビューアから「達成感がないのになぜやったのか?」と言われて悔しかったという。そして田中さんは、なぜ自己満足できなかったのか考えてみた。旅の中で一番印象に残っていることを思い返してみたら、それは意外にも「1日の行動を終えて焚き火をしながら夕陽を眺めるのが実に心地よかったということだった」という。
●「自分はなにを求めてやったのか」「何気ないひとこまの中にこそなぜ旅をするかという意味があるのであり、何かをやり遂げる、などということは無意味である」これが、この1年、自問自答して出た結論だった。
●スライドが始まった。カナディアンロッキー単独冬季縦走の写真だ。単独だから、自分を撮るのも大変な苦労だ。「これはセルフタイマーのやらせです」「初めて山スキーをはいたんです」「荷物が重すぎて肋骨が折れました」「-30℃〜-40℃くらいならたいしたことはないです」「みなさんが思うほど大変じゃあないです」「着るものがなくて除雪車のおじさんに服をもらいました」「泊まりたそうな顔をしてると言葉が通じなくても泊めてくれるんですよね」「金がないから町の中で雪洞掘って寝ました」。
●過酷の中の滑稽さ。感嘆のため息と笑いが会場から交互に起きる。すごいことをやっているのに、穏やかで訥々とした話しぶりが「すごいことなんかやってないです」というかんじである。超越している。私が高校生の時、うちの学校に講演に来た植村直己さんに話し方が似ているな、と思った。
●こんなエピソードを話してくれた。安宿で知り合った女の子が、山に登ってみたいという。「どうせ途中で引き返すさ」と、全く軽装、ふつうのスニーカーでカナダの冬季3000m峰に一緒に登り始めた。ところがどんどん順調に登っていってしまい結局頂上まで行ってしまった。冒険とは、そういうものではないか、どれだけ未知の世界に踏み込んだかということではないか、彼女のおかげでなんとなくわかった気がする、と。(・・・しかしこれはさすがに、臆病者の私にはただ無謀としか思えなかったのですがね。)
●旅とは、冒険とは何だろう。それは他人にわかるものではないのかもしれない。他人にわかってもらおうとして冒険をするのではないのかもしれない。あんなにすごい冒険野郎の田中さんは、精神安定剤としての焚き火の暖かさ、あの心地よさがたまらないからまた旅に出るのだという。そういった田中さんは少年のような顔をしていた。
●これからの田中さんの旅を期待したい。でも決して無理はしないでね。[うさぎ菊]
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