2000年1月の地平線報告会レポート


●地平線通信243より

■2月の地平線通信・243号のフロントより

地平線通信238表紙 先月、山形県鶴岡市に舞台を移して行なわれた「出羽庄内ミレニアム集会」は、印象的な会になった。理由はいくつもある。山形スタッフのちょっと緊張したニコニコ顔が良かった。I部会場のレイアウトもいいし、II部会場つるおかユースホステルの一所懸命さも好もしい。関東および近県から駆けつけた地平線仲間(総勢30人近く!)の勢いの良さもあった。でも圧巻は、スペシャルゲスト(?)のコンロンの存在だった。

 コンロンはイヌワシだ。I部で話をして下さった鷹匠の松原英俊さんの相棒。北海道で狩りをしてきたばかり。瞳の奥には原始の森が潜む。射るような目で正面から見つめられると、知らず後ずさりしたくなる。

 この迫力を同時に経験している共有感が、会全体の芯になり、求心力を持った。

 狩の様子を静かに語る松原さん。その左腕にじっととまるコンロンが、松原さんの一語一語にリアリティを与える。フィルムやビデオでも伝えきれないナマの存在だけが持つ饒舌さ。情報方のミレニアムイヤー幕開けに、「情報ってナニ?」と考えさせる絶妙のタイミングだった。

 人が旅に出る理由はそれぞれだが、未知の人に出会う魅力は必ず大きい。地平線会議が20年も報告会を続けてきたわけもそれだ。だからこそ、会議自体が旅に出るのも自然な流れなのだろう。

 その土地ならではの人々に出会い、その場ならではの伝え方に感動する。どうせなら、そんな報告会に今年もたくさん出会いたい。[長野亮之介]



写真展と報告会を終えて
多くの方のご協力に心から感謝します

◆写真展と報告会が終わってからまだ1週間しか経っていないのに、ずいぶん前のことだったような気がします。なんだか、長い夢を見ていてようやく醒めたような気分です。

◆写真展「地平線発」には、3か所の会場を合わせて延べ1000人以上の人が足を運んでくれました。この時期にしてはよくこれだけの人が来てくれたと思います。2回以上見に来てくれた人、時間をかけてじっくりと見てくれた人も少なくありませんでした。写真を見つめる表情やノートに書き込まれた感想から、この写真展の意図するものを感じてくれた人が庄内にも少なからずいたことを知り、うれしくなりました。それだけでも、ここで写真展をやった甲斐はあったと思います。

◆地平線報告会[出羽庄内ミレニアム集会]には、9人の出展者をはじめとして県外から30人、合わせて78人が参加してくれました(part1=70人/part2=47人/他にユースホステルスタッフ=7人)。予想もしていなかったほど大勢のメンバーが、忙しいなか遠くから駆けつけてくれて、本当に感激しました。

◆マスコミの取材などで「写真展を開催する目的は?」といった質問を何度か受けましたが、「やりたかったから」という答えにならない答えしかできませんでした。「やろう」と思った直接的なきっかけは、やはり神戸集会に参加したことです。あのとき以来、いつかは山形でも……という想いがどこかにありました。その想いに、何かに導かれるようなさまざまな偶然が重なったこともあって、実施に向けて動き出しました。「やろう」と決めたときに、全体の9割くらいの作業は終わっていたのかもしれません。

◆開催にあたっては、実行委員会を組織して、プロセスを共有しながらじっくりと進めていくつもりでしたが、実際はほとんど独断で決めたものを手伝ってもらう形になりました。十分な話し合いができなかったことは残念ですが、詳しい説明をしなくても、この写真展はいい企画だと理解してくれた人がほとんどでした。

◆具体的に動きはじめたのは昨年12月に入ってからで、その後1か月余りでバタバタと準備をしてきました。そのため、不備な点や不満な点もいろいろあったと思います。困ったことも数々ありましたが、時間はほとんどないので、常に「前に進む」ことだけを考えました。不思議なことに、困っていると必ずといっていいほど、どこからか救いの手が現れてきました。

◆開催資金は、鶴岡市の「まちづくり創造支援事業」と山形県国際交流協会の助成を受けることができました。どちらも締切日に駆け込みで申し込んだのですが、なんとか通りました。鶴岡市からは、助成金ばかりではなく会場使用料の減免(すべてタダ)、出羽庄内国際村との連絡調整など、さまざまな支援をしていただきました。この支援事業がなかったら写真展は開催できなかったと思います。

◆展示の準備は地元のギャラリー主宰者と写真家から協力していただき、会期中の受付は地平線会議が誕生した頃の報告会に参加していた人などに快く引き受けてもらいました。会場の演出まではとても手が回らなかったのですが、思いがけず小原流のお師匠さんから活け花を提供していただきました。また、鷹匠の松原英俊さんと「崑崙」(イヌワシ)の送迎は、前々日に参加申込をしてくれた山形市の女性が申し出てくれました。そのほかにも多くの方からいろいろな面で援助していただきました。

◆今だから言えますが、報告会の開催にも危機がありました。報告者の山口吉彦さんに、2月1日にハワイで大学の同級会があるので1月25日に出発する予定だと言われたときは、正直言ってかなり焦りました。12月の地平線通信に報告会の日程を載せた後でしたが、日程を変更してもらおうかとずいぶん悩みました。結果的に、山口さんにはハワイ行きをギリギリまで延ばしていただくことになりました。

◆短い間にじつにいろいろな経験をさせていただきました。来る2月11日には関野吉晴さんの講演会を予定しているので、それまでは気を緩められませんが、このような企画を主催する機会に恵まれたことに感謝します。また、写真展の出展者と快く写真を貸してくれた植村直己冒険館、来場者、報告会の参加者、参加はできなかったけれど応援してくれた皆さん、最後まで支えてくれた地平線会議の世話人の方々に、あらためて感謝いたします。本当にありがとうございました。そして、これで終わりではなく、庄内での出会いがまた新たなつながりを作るきっかけになれたとしたら、それ以上の喜びはありません。また庄内でお会いできるのを楽しみにしています。[写真展「地平線発」庄内実行委員会 飯野昭司]



写真展来場者の声

▼2歳の息子と来ました。息子は雪山大好きなので、“お父さんの山だぁ”と言いつつ大喜びで見ていました。“火星に行きたくてー”と研究と旅をスタートした吉川さんのphotoにも久しぶりにお会いして、なつかしさとうれしさに感激してしまいました。また地球のどこかに行きたくなったな。[木村洋子(1/23)]

▼宿直明けでボーッとしています。この夏ホームステイしたネパールのサティスの事とか思い出してヒマラヤの山々の写真を見ました。[田中恭子(1/24)]

▼すごいですね。山形では、このような作品の写真展が少ないので、ぜひまた来年もお願いします。次回を楽しみにしています。[吾妻道浩(1/24)]

▼ここが集まれば多くの視点で見られて色々の角度から見られてよかった。次回を期待します。[菊池誠治(1/24)]

▼行ってみたいなよその国、簡単に言うけど大変ですよね。日本は小さい。日本一周は過去の事。やはり世界に出たいな。[五十嵐雄二(1/24)]

▼私も歩いて、アメリカ、ロシアを旅していた時を思いだし、何にかを考え結局何にも見つけられず、今、新潟に住んでいる。しかし、日本の中にも、地平線に近い星、山、人々が住んでいる。山形、秋田を旅している自分が今楽しい。もっと……[クマ(1/24)]

▼御苦労さまです。ずらり並んだ“本物の写真”はやはり圧巻ですね。(中略)大勢の人から写真展訪れてもらいたいですね。[渋谷嘉明(1/24)]

▼実は、こういう写真展・イベントをずっと前から楽しみにしていました。私も小さい頃からいろんな所へ行ってみたいという気持ちが強く(ただの好奇心のかたまり、口ばっかりかな?)。このイベントの中心になっている方が主人の友人(親友)ということで、良かったなーと思っています。全然協力できなくて申し訳ないですが、子供達が大きくなって、自分達にゆとりがでたら、きっと旅をします。これからもこの活動が続いていけるよう願っています。ありがとうございました。又29日(土)きますね。[渋谷志穂(1/26)]

▼素晴らしい写真を拝見しました。とても印象的です。[菅原寛(1/27)]

▼新聞で記事を読んで、見に来ました。昔、テレビであった「すばらしい世界旅行」を見おわった時のような気分です。世界には、まだまだ、自分の足でしか行けないような辺境がたくさんあるのだなと思いました。文明に満たされた今の私達の生活に対する程よい刺激がありました。いつになるかわかりませんが、私も、今回の写真家のみなさんが味わっているような素敵な気分を味わってみたいです。[奥山均(1/28)]

▼吾々と異った視点で撮った世界。海外旅行と云ふと、きまった観光地のみの常識しかない自分も、特種な風景と人々を見る事が出来ました。有難うございます。[鈴木彦一郎(1/28)]

▼私には体験の出来そうのない世界を見て撮られた写真にはいかばかりかのしっと心がありますが、せっかくの写真展ですので、写真の質の向上があったらと思われます。ピントの甘い、ブレ、発色がいまいちのもの(色あせた感じ)、構図(水平線の傾き)が気になりました。いやいや私の眼が悪くなったのかもしれません。[榎本(1/28)]

▼旅とは出会いであり、偶然であり、そこに旅があるだろうと思う。この写真でも、世界の様々な人の表情、笑顔などがみられ、旅をしたい気持ちにさせてくれた。[記名なし(1/28)]

▼私は19年間この庄内に生きてきました。でも一度も外の世界に足を踏みだしてきませんでした。今回このような世界の中のいろいろな土地を見ることができて、もっともっと外の世界を体験したいと思うようになりました。人間、もっと自由に生きていいんだと思いました。[19歳・女(1/28)]

▼写真をかざる高さ、スペース、角度、照明、どれをとっても最悪。[記名なし]

▼異国の風俗、習慣、生活、出かける事の出来ない身にはとてもとても感激です。これからもどんどん展示また発表期待します。[記名なし(1/30)]


●地平線通信244より

素晴らしい出会いと感動でいっぱいでした。庄内のみなさん、ほんとにありがとう。
出羽庄内ミレニアム集会に参加して
1月の地平線報告会レポート+会場でみなさんに書いてもらったノートから

▼1月29日土曜日、スキー客の混雑を避けて山形新幹線経由でやってきた江本さんと私たち夫婦は、昼過ぎに出羽庄内国際村に到着した。さっそく写真展が開催されているホールに入ってみる。天井が高く、ずいぶんと広い。会場の設営から装飾まで全部自分たちだけで手作りでやったと聞いていたのに、こんな本格的で立派な展示になっているとは、驚いた。ずらりと並ぶおなじみの写真を見ているうちに、うれしさがこみあげてくる。さっそく飯野さんをつかまえてその気持ちを伝えたが、「ここまでがせいいっぱいで……」と、にこにこ笑っているだけだ。

▼飯野さんから突然、写真展「地平線発」を庄内でやりたいという相談のメールをもらったのは、去年の1月初めのことだった。まずほとんど不可能だろうと、内心あきらめていたのだが、その後何度か東京の報告会に足を運んでくれたり、メールなどで連絡をとりあっているうちに、いつのまにか日程が決定し、報告会までいっしょに開催しようということになっていった。資金的な裏付けなどぜんぜんなかったのに、なんとかなるさとどんどん前に進んでいった飯野さんに、人もお金も付いてきたのだ。思いがあれば、道はかならず開ける。

▼いかにも地平線流のやり方で実現した写真展+報告会にこうして参加することができて、感無量だった。


探検帽がやっぱり似合う・山口吉彦さん

▼1時をだいぶ回ってから、第243回の地平線報告会「出羽庄内ミレニアム集会」の「Part 1」が始まった。最初に登場した報告者は、この出羽庄内国際村に併設された「アマゾン民族館」の館長、山口吉彦さんである。1942年に鶴岡に生まれた山口さんは、子どものころに読んだ探検記で、アマゾンに強いあこがれをいだいたという。東京農大を出てフランスに留学し、ワインの醸造を学んでいたが、博物館でレヴィ=ストロースが集めたアマゾンの資料に出会って大きな衝撃を受け、文化人類学を志すようになる。その後、世界各地でフィールドワークにたずさわったあと、念願のアマゾン入りを果たし、日本人学校の教師などをしながら、南米で通算十数年暮らした経験を持つ。

▼ざっと経歴を話してくれたあと、スライドを上映しながら、山口さんはアマゾンの魅力について熱をこめて語りだした。信じられないほど巨大な、あるいは美しい色をもった蝶、魚、鳥、ワニ、ヘビ、獣たち……。どの写真からも、野生動物が放つ独特の迫力が伝わってくる。

▼いつしか話は先住民たちの暮らしぶりに移り、衣・食・住についての興味深い報告が続いた。今回の報告会のテーマである「“狩り”をめぐる地球体験」にふさわしく、狩猟に使う道具や仕留めた獲物の利用法などにも触れていく。

▼最後は、アマゾンの森林伐採がもたらす環境破壊に話が及んだ。インディオの生活が成り立たなくなり、地球環境全体に悪影響があるだけではなく、1本の木に100万の生命体を宿す未知の森がなくなることは、難病などに効く特効薬を発見する機会が失われることにもつながる。アマゾンには、自然と人間の共生の道が隠されているんですという山口さんの言葉が、ずしりと心に残っている。

▼話が一段落したところで、アマゾン民族館の収蔵庫からもってきてくれた剥製や槍、弓矢などをひとつひとつ取り上げて、使い方などを解説してもらった。民族の知恵が活かされた本物の道具を、山口さんはひとつひとついとおしげになでまわす。

▼アマゾン民族館は、山口さんがアマゾンに十数年滞在しているあいだに集めたさまざまな民具や美術品などを鶴岡市に寄贈して生まれたものである。報告会の翌日、山口さんの案内で収蔵庫や館長室まで見せていただいたが、個人でこれだけの貴重な民族資料を集めてこられたこと、そして一地方自治体がその展示・保管を引き受けていることに、大きな感銘を受けた。


イヌワシと共に登場の・松原英俊さん

▼続いて登場したのが、朝日村に住む現役の鷹匠、松原英俊さんだ。最初に『奥羽の鷹使い』という30分ほどのドキュメンタリー映像が上映された。鷹の調教法から松原さんの暮らしぶりまで丹念に撮られた作品で、見応えがある。とくに雪のなかで何度も獲物を襲うよう鷹を訓練していくシーンは、息詰まるような迫力に満ちていた。

▼その後再登場した松原さんは、なんと左腕にイヌワシのコンロンを乗せている。北海道で狩りをしてきたばかり。なにもかも見通してしまうような鋭い目に、会場が湧きかえる。しかし飼い主の松原さんの目だって、野性的なすごみを帯びている。49歳という年齢にはとても思えない、若々しさが全身に漂う。

▼松原さんは青森に生まれた。幼少のころから鳥や動物好きで、山登りにも親しんでいたという。慶應大学卒業後、自然のなかで生きたいという気持ちが高まり、老鷹匠に弟子入り。その後すぐに独立して、ほとんど独力で鷹匠の道を歩んできた。

▼じつは私たち夫婦は、パキスタンのチトラル王家専属の鷹匠と親しくしているのだが、鷹の訓練法をいくら尋ねても、信じがたい話ばかり。半信半疑で聞いていた。ところが松原さんの話には、そっくりなやり方をしている部分がかなりある。

▼ぎりぎりまでエサを与えずに飢餓状態に置き、野性をどこまでも砥ぎ澄まさせておかないと、鷹は狩りをしない。一歩間違えば、死んでしまう。そこを見極めるために、シーズン中、鷹匠は鷹と寝食を共にしなければならない。人間が、野生動物と一心同体化するわけだ。

▼松原さんと相棒の鷹が初めて獲物を仕留めるまで、なんと4年半の月日が流れた。雪の斜面を転げ落ちてやっと押さえた獲物を手にして、この日のために生きてきたんだ、自分以上の幸せな男は世界にいないと、うれしくて号泣したという。一瞬の生のきらめきをみつめる松原さんの言葉のひとつひとつに、静かに感動が広がっていく。

▼休憩時間、どっとみんなが松原さんとコンロンを囲む。こわごわ頭をなでてみた人もいた。


リレー形式で紹介した・世界各地の狩猟生活

▼「Part 1」の最後は、東京から押しかけた5組によるリレートーク。時間が押してしまい、予定の半分もしゃべってもらえず、申し訳ないことをした。

▼トップバッターは、夜行バスで朝到着し、晩にまた夜行バスで帰った賀曽利隆さん。日本三大秘境と言われた宮崎の米良に伝わる猪狩りの祭りの模様を見せてくれた。民俗文化研究家としての賀曽利教授の“講義”、東京でもぜひ聞きたい。

▼2番手は樫田秀樹君。サラワクの密林に生きる狩猟採集民をめぐり、じつに味わい深い話をしてくれた。狩りというのは、森の恵みをいただくことにほかならないこと。そして人間が頂点にいるのではないこと。この言葉が参加者全員の胸に深く刻まれたようだ。

▼3番手は石川直樹君。南太平洋で参加した海亀漁で食文化や男女の役割の意味を、さらに勇壮なカツオ漁の模様も解説してくれた。美しい写真に歓声が起こる。

▼4番目は丸山令子による、パキスタンの鷹狩りの話。昨秋ようやく録音できた、鷹を捕獲した喜びの歌をみなさんに聴いてもらった。私が話したのは、覆面をつけてにじり寄る、カラーシャ族の鳴きウサギ猟。

▼トリは江本嘉伸さん。極北に生きるイヌイットのハンターを皮切りに、自身の体験した各地の狩りを紹介。最後は、白装束で踊るモンゴルのタルバガン(鳴きウサギ)猟の実演となった。


スタッフの方々に、心から感謝

▼その後の「Part 2」では会場をつるおかユースホステルに移して、自身の旅を全員が順番に語り合い、恒例のオークションも実施した。夕食に出た名物寒鱈汁に大感動。庄内のみなさん、おかげさまで素晴らしい報告会になりました。ありがとう。(丸山純)


地元
鶴岡から
●地元鶴岡から来ました(生まれも鶴岡)。現在、温海温泉にある高校で、旅好きが好じて地理を教えています。あまり教科書の内容は進まず、専ら自分の体験ばかり話しています。仕事になれるのが精一杯で旅に行けず、ストレスが……。今日、色々な話が聞けて楽しく、アンド、大変刺激になりました。[丸谷浩之]

●一週間災いの日々……。これで最後にしてよ!!っていう感じの土曜日。新しい展開は自分自身の手でやっていけそう。という事でたくさんの貴重なお話、ありがとう。(飯野くん本当にご苦労様です) [田中恭子]

●恭子さんというお友達ができて、知らなかった世界に時々足をふみ入れています。私も自分の夢をもってこれからの半生を過ごして行きたいと思います。[本間賀代子]

●写真展よりも報告会を楽しみに来ました。賀曽利さんに初めてお会いして“得した!!”と思いましたが、松原さんとイヌワシに会って“こっちの方が得した!!”と思いました。一生かけてもこれから、こんなに近くイヌワシを見ることなんてないでしょう。ワシの超然とした姿に感動しました。[丹羽諭美]

●飯野さんはじめスタッフの皆さんご苦労さまでした。ハンティングは人間の生きるための基本だなと思わされました。生きるために命がけ、地平線のむこうにはそうして生きている。私たちはなにか忘れてしまっていると思わされた。[丹羽孝]

●久々に感動するお話を聞きました。この会にたずさわった皆様に感謝します。[阿部等]

●貴重なお話を伺うことができて、参加してよかったと思いました。スタッフのみなさんお疲れさまでした。[五十嵐ゆかり]

●みなさん精力的に活動しているので、ビックリしました。裏話等、2次会でお話しして欲しいと思います。[長谷川光樹]

山形の
県内から
●松本栄一さんに紹介していただき、昔の冒険の思いをなつかしく、今もすばらしい旅をされていたり、新鮮な感じで楽しませていただいております。[東根市/大江章]

●鷹匠のこと。迫力があった。モノ、カネを追うに急な今日、どういう意味を持つのか。民俗芸能とし、これを支持することの少なき。ないことを残念におもう。とにかく今日のつどい、74歳の私として、始めて知ることの多かったこと。収穫だった。関係のみなさんに厚くお礼申し上げます。南方はかつて転戦の地。暫くぶりに郷愁をおぼえる。いっそうのご健闘をいのります。[羽黒町/丸山光夫]

●実際に体験した皆さんの話はおもしろい。自分も昔外国を旅した事があるが、また行きたいと思った。[西川町/奥山悌二]

●山形新聞で見て寒河江より来ました。私も学生の頃多少旅をしたものですから、大変楽しく半日過ごしました。また、いつの日か山形でこのような会議があればと思います。[寒河江市/若月仁]

●以前からなんとなく存在は知っていて、関心を持っていた“地平線会議”が地元で開催されると知り、こんな機会はめったにない!と喜んで参加しました。一人ひとりの持ち時間が少なくて、あまり詳しく聞けないのが残念ですが、ほんのほんの少しでも、いろいろな経験を聞けて、とても楽しかったです。PartIIにも期待して……。[山形市/網谷由美子]

●『生の瞬間』を、ありがとうございました。[寒河江市/今井幸子]

●いろいろな面々、いろいろな体験が聞けて良かったです。「狩りは自由」――この言葉が印象に残りました。エモノをおって走る。これは人間の本能なのかもしれません。また「本当に強い人間は耐えることができる人間」――重い言葉だと思いました。以上です。[酒田市/鈴木栄史]

近くて遠い
雪国から
●やっと報告会に出席できました。79年11月以来、地平線通信をもらっていましたが、報告会には出席できずにいました。ひょんな機会から三輪先生と知り合って、今回やっと出席できました。今後も出席するようにしたいと思っています。今日はとても感動しました。アマゾンも鷹匠も!![青森県岩崎村/鹿内善三]

●山でみたイヌワシを生で見れてgoodでした。ただ今失業中なので、なにかとめいってますが、みなさんのパワーあふれる話を聞いて元気がいっぱい出てきます。自分のなくしてしまったと思い込んでいるものが、少し見えてきました。[秋田県能代市/宮崎栄一]

●南会津から鶴岡への風景をみながら、心地よく。この場に集まるエネルギーの熱さには、つねにPowerをいただきます、いただいてます。ありがとう。[福島県伊南村/丸山富美]

●那須からのんびり走って、日本海を見ながら旅気分でやってきました。庄内のみなさん、お疲れさまです。盛大な写真展でおどろきです。那須でもぜひやりたいと思います。 P.S. ポスターの写真に使ってもらってありがとうございました。[栃木県那須町/滝野沢優子]

はるばる
首都圏から
●久し振りに山形に来て、楽しい一時を過させていただいています。[千葉県市川市/松本栄一]

●山口さんや松原さんのお名前は以前より存じあげていましたが、今日初めてお目にかかれてうれしかったです。お話の内容も興味深く、実に感動しました。[埼玉県浦和市/難波賢一]

●一週間前に結婚式を挙げ、今日は新婚旅行で〜す! 一昨年の秋に「日本山村会議」というのに出ました。民映研の上映グループの全国ネットワークが主催で、山人の話を聞いたり、焼畑の見学をしたりという会で、今回の鶴岡の報告会はその延長というかんじです。できるだけ沢山の人の話を聞いて、見て帰ろうと思います。[埼玉県浦和市/難波(金田)裕子]

●楽しいお話が聞くことができて、来てよかったなと思っております。これからもできるだけ参加して、沢山の人の話を聞いてみたいと思っております。小学校の教師をしていて、ここでうかがったお話は、私の中で色々な意味で役に立っているような気がします。今日も本当にがんばってきてよかったです。[千葉県四街道市/大谷早苗]
●我が身ひとつでじかに世界を旅して、世界の人々と個性でわたりあってきた人たちの話は、実に味わい深く、考えさせられるものがあります。話が聞けてよかったです。[千葉県四街道市/松本敦子]

●東京から車で親子4人やって参りました。行きにチェーンが切れるというハプニングもありましたが、アマゾンの山口先生と鷹匠の松原さんのお話がきけてとてもよかった。アマゾン博物館では古代マヤ遺跡の展示等興味深く、また来たくなりました。“狩りに関する話”ももう少し時間があってそれぞれの方の話がききたかったのですが、またのおたのしみですね。本当にみなさんありがとうございました。[東京都杉並区/神谷恵子&岩石ファミリー(夏実・茉里・悠介)]

●山形は以前から縁のあった場所でした。出羽三山で山伏修行をしたり、飛島で生まれてはじめてタイを突いたり……。そして今回地平線で3度訪れることができました。山形、大好きです。このような機会を作って下さった飯野さんはじめ、準備にたずさわった皆様、お越しいただいた方々に本当に感謝しています。ありがとうございました。[東京都目黒区/石川直樹]

●やっと地平線写真展を見せて頂きました(いつも海外に出てましたので……)。実行委の皆さん、お世話さまでした。夜の交流会にも館長さん、鷹匠の松原さん、コンロンも、みなさんありがとうございました。生まれて初めてイヌワシと見つめ合って、そのすべすべした羽根をなでて、大感激。「鷲囲む国際村の淑気かな」「太郎月きりヽ鷲の目茶色の目」。[埼玉県浦和市/金井重]

●山口館長、コンロン、御主人ともどもの出席で、また、こちらの係の方々の御世話で楽しい時を過ごすことが出来ました。同じ旅をしている方のお話はほんとうに楽しいものです。[東京都町田市/田中進・田中正子]

●庄内のみなさん、お疲れさまです。盛会ですね! 来てよかったです。これからの第2部もとってもたのしみ! まだ2〜3日いたいなぁ。東京にも来て下さい![東京都練馬区/杉田晴美]

●「地平線会議が何ぞや」ともわからずに参加させて頂いたのですが、様々なお話に目からウロコが落ちまくりです。以下、前の杉田さん同文![東京都練馬区/竹村純二]

●きっと凍えるくらい寒いだろうと思っていたのですが、案外あったかくて……。鶴岡の皆様のあたたかさのおかげでしょうか。私は何回かこの辺りきたことがあります。朝日岳登山の時に朝日村も通ったのですが、そこに松原さんがおいでなのですね。鶴岡、酒田……の皆様はすばらしい活躍をされているのですね。いろいろ感動しています。飯野さんご苦労さまでした。[東京都板橋区/三輪主彦]

●来てすぐアマゾン館を見て、その多彩、豊かな陳列に驚きました。よくぞあれこれの生活用具類、装備品、etcをあつめたものだと、山口館長の情熱に脱帽。そして松原さんとイヌワシの崑崙に感動。不思議な体験をさせてもらいました。大きなワシと人がこれだけのつながりをもっていることを目の前にして。[東京都新宿区/江本嘉伸]

※時間がなくてノートが回りきらず、書いていただけなかった参加者がまだまだおおぜいいらっしゃいます。


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